黎明期からWeb業界を支え続けた香川県の企業に学ぶ「地方と東京」の違い
香川と東京にオフィスを構え、地方発のWeb制作会社として大手企業のブランドサイトなどを数多く手掛ける株式会社ヘルツ。創業から22年以上にわたり、クチコミにより事業規模を拡大していったと明かしてくれた代表取締役の山崎正宏(やまざき まさひろ)さんに、会社設立までの経緯やビジネス的にみる地方と東京の違い、そして、Web業界で理想とする人材像を伺いました。
Webに初めて触れた1995年頃から可能性を見出す
山崎さんが会社を設立されたのが26歳。それまでの経歴を教えてください。
香川にある工業系の大学を卒業して、初めに就職したのは名古屋の空調設備の会社でした。親がビル管理の仕事をしていたので、自分もそれに近い業種に就職すれば「親も喜ぶだろう」と思い、入ったのですが、肌に合わないと感じてしまい3カ月で退職しました。
同時に、自分の中で「クリエイティブに関わる仕事がしたい」という気持ちが芽生えて、製版を手掛ける出力センターに転職。そこではデザイン業務も請け負っていて、印刷物の制作業務に関わる一方で、Webサイトの制作や運営を担当しました。
当時の経験が現在に通じているようにみえますが、サイト制作の業務が起業のきっかけだったのでしょうか?
そうですね。自社サイトの運営を任されていたのは1995年頃で、一般的にはISDN(総合デジタル通信網)が普及し始めた時代でしたが、地方の小さな会社のWebサイトにもかかわらず、他社からも「相互バナーをお願いします」という依頼がよく来たんです。
間違い探しやクイズコーナーなどを設けて日々の更新に励んでいたら、本来であれば知り合えないような大手メーカーから声がかかったりして、「Webサイトを通して情報発信をすれば外にいる大きな誰かとつながれる」という可能性を感じ始め、Webサイト制作で独立を考えるようになりました。
社名の「ヘルツ」にはどのような意味を込めたのでしょうか?
本来は「周波数」を意味する英語ですが、一つはシンプルに「こちらから発信することで、情報を皆さんに届ける」という思いを込めました。ただ、それは創業当初から表向きに語ってきた理由で、実はもう一つの意味もあります。
設立当時、弊社制作サイトの情報は「アンテナを立てている人に届けばいい」と思っていたので、ラジオをチューニングするように、特定の情報に対して感度の高い方々をピンポイントで刺激できるような会社にしたい考えもありました。
香川で創業され、3年後の、2001年には東京進出を果たしました。そこへ至るまでの過程を教えてください。
創業当初から「3年後には東京へ行こう」と考えていたので、そこまでの過程を逆算しながら、銀行や放送局、インフラ系の企業サイトなど、東京の企業や広告代理店に実績として認めてもらえるような取引先を中心に、案件を受注していきました。
そういった積み重ねをもとに、東京で初めて大手製薬会社のブランドサイトを作る案件を受注してからは、徐々にお声がけいただく機会が増えていきました。一方で、東京での実績を香川県へ持ち帰ると、地方での信頼もよりいっそう向上するという好循環が生まれて、現在への下地ができていきました。
地方から東京へ来て2~3年仕事をすると「地元での10年分に匹敵するほどの経験を積める」
Web制作にはさまざまな業務がありますが、事業の核は何でしょうか?
創業当初から変わらず、制作をメインとしています。クライアントからの要望をくみ取り、デザインやコーディングを経てお客さまのサーバーに入れるまでが一つの核です。もちろん、付随してサイトの運用なども請け負っています。
弊社の特徴として、長年にわたり継続してサイト全般の業務を請け負っている企業が多く、一つの案件で平均5〜10年間。営業を担当する人間や部署はなく、クチコミでお声がけいただいており、広告も打っていません。
クチコミという自然な流れでクライアントからの支持を獲得できる理由を、どのように考えていらっしゃいますか?
例えば、リニューアル案件を担当するクライアントから「以前担当していた会社は、電話やメールの返事もないからストレスが溜まって」と相談されたケースもありました。このような、当たり前のコミュニケーションや日常のささいな習慣一つにしても丁寧に行い、お客様が大切にしていることに応えているのが、お声がけいただいている理由だと考えています。
香川と東京を行き来されて、それぞれの特徴をどう感じていますか?
僕は毎週往復しているのですが、仕事の時間の使い方がかなり異なる印象があります。例えば、東京では午後に依頼が来ても当日中で返すことが多いですが、香川では翌日でもいいと言われることも少なくありません。
スタッフの成長にもつながって、香川の人間が東京で2〜3年過ごすと、地元での10年分に匹敵するほどの経験を積めると感じています。
会社をマネジメントするうえで、工夫している部分はありますか?
スタッフに対しては「お客さまに何かしらのサプライズを提供しないと、次の仕事は来ない」と伝えています。例えば、スピードやクオリティ、価格などですが、地方発の会社が勝負できる武器は、「価格」になることが往々にしてあります。
同じ品質なのに、地方では価格が一桁下がる場合も多くて、それで勝負してしまうと東京の価格を下げてしまうことにもなりかねない。そのため、なるべく価格以外のサプライズを考えながら、クライアントの要望に応えようとしています。
会社が万一なくなっても、誇れる武器で戦える人材を育てていきたい
2020年9月に創業22周年を迎えましたが、今後、どのように成長させたいと考えていらっしゃいますか?
クライアントに求められる規模になっていると感じているため、会社自体を大きくしたい気持ちはさほどありませんが、事業としては、コロナ禍でも需要が高まりつつあるECサイトの分野を、マーケティング面も含めて強化していきたいです。またスタッフの成長も望んでおり、弊社が万一なくなっても食べていける技術やノウハウを蓄えてほしいと願っています。
Web制作の現場では、分業化すると自分の担当分野にしかフィットしない人材になってしまう側面もあり、特に地方においてはリスクもあります。しかし、Web制作は細分化しており、分業化は避けられない流れです。かと言って「何でも一通りできますが、得意なものはありません」というのでは困りますので、一人一人が広い視野を持ちつつ、それぞれがしっかりとした武器を持てるように、人材を育てたい気持ちが強いです。
香川のクリエイティブを底上げする狙いで作られた、高松本社の「ヘルツセミナールーム」もその思いを象徴する取り組みですね。
コロナ禍で使用を一時中止していますが、Web制作者や発注を考えているクライアントを集めてセミナーやワークショップを開催していました。制作の発注側と受注側の“共通言語”をなるべく近付けられるよう、講師を招いて東京の制作事情を語ってもらったり、Webに関する最新技術などを提供する場です。いずれまた再開できるようになったら、定期的に開催したいと思います。
最後に、一緒に働きたいと思えるクリエイター像を教えてください。
Web業界自体に向いているという意味も含めると、変化を楽しめる方でなければ厳しいと思います。覚えた技術が明日もう使えなくなるようなことも多々あり、Web業界はとりわけその傾向が顕著です。過去に縛られて「自分はこれしか覚えていないので」と言う人では難しいので、最新のソフトや技術に積極的に触れる好奇心を持つ方がふさわしいと思います。
また、コミュニケーションスキルも必要です。クライアントに向けた提案が通るか通らないかは、本人の伝え方により変わってきますし、Webサイトを介して情報を届ける仕事をする以上は、気の利く人間であってほしい。例えば、制作過程ではユーザーの顔は分かりませんが、ボタンの配置一つにしろどこへ配置するかでも、人それぞれで利便性は変わるので、そういった細かな部分にも想像力を働かせられる人を求めたいです。
社内の様子(本社)
取材日:2020年11月6日 ライター:カネコ シュウヘイ
株式会社ヘルツ
- 代表者名:代表取締役 山崎正宏
- 設立年月:1998年9月
- 資本金:1,000万円
- 事業内容:ウェブコンテンツおよび携帯コンテンツの企画・制作・運営、ウェブシステムプロデュース。ウェブコンサルティング、サポート
- 所在地:
<本社>〒760-0050 香川県高松市亀井町8-11 B-Z高松プライムビル4F
<東京事務所>〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3-15 NTF竹橋ビル4F - URL:https://hertz.ne.jp/
- お問い合わせ先:上記サイトの「お問い合わせ」より