映像&音楽で、名古屋を笑顔に!

名古屋
株式会社ポッシブル 代表取締役
Akira Kano
加納 啓

1997年の設立以来、東海エリアを中心に多彩なテレビ・ラジオ番組をお茶の間に届けてきた「株式会社ポッシブル」。代表の加納啓(かのう あきら)さんに、起業までの道のりやポッシブルの強み、仕事のモットー、若手クリエイターへのアドバイスなどを伺いました。

バンドマンから、番組制作の世界へ

テレビ・ラジオ業界に興味を抱いたきっかけを教えてください。

昭和30年代生まれの私にとって、テレビは特別なものでした。当時は子供の手の届かない場所に置かれ、父がいないとスイッチを入れてはいけない機械。社会への影響力が今とは比べものにならないほど強く、テレビに未来を感じましたし憧れもありました。

小学校の高学年になるとラジオが好きになり、深夜ラジオにはがきを投稿して読まれるのを楽しみにしていました。ラジオから流れてくる新しい音楽にも衝撃を受けました。しかし、テレビ・ラジオ業界や音楽業界で食べていこうとは考えていませんでした。

どんな将来像を描かれていたのですか?

科学技術がどんどん進歩していく時代の中、私は医者になりたいと考えていました。しかし、中学2年生の頃に五島勉の『ノストラダムスの大予言』を知り、考えが大きく変わったんです。予言が当たるかどうかは分からないけれど、もし1999年に世界が終わるとしたら、科学も医学も必要なくなります。

それをきっかけに物質やテクノロジーよりもマインドに価値を置くようになり、ミュージシャンや物書きに興味が出てきました。

それからのことを教えてください。

高校に入ると学校新聞や生徒会の活動と並行してバンドを組み、周りにユニークな仲間が集まってきて、自分の中で“クリエイティブの爆発”が起きました。創作活動にのめり込んで、大学進学後もバンドを続け、大学祭の実行委員会ではミュージシャンを招聘(しょうへい)して、今でいう“フェス”のようなものも毎年企画しました。ポッシブルのきっかけとなる音楽制作会社の社長との出会いも、大学時代にありました。

それでは、卒業後はその音楽制作会社に?

その会社には入社せず楽器メーカーに就職したのですが、1年半で辞めて25歳で貸しレコード屋(現在のレンタルCDショップ)を始めました。しかし、業界に大きな資本が入ってきたため、約2年でショップを畳み、そこからはアルバイトを転々としながらバンド活動に力を入れました。

メジャーデビューのチャンスもあったのですがレコード会社との折り合いがつかず悩んでいた頃に、その音楽制作会社の社長から「うちに来ませんか?」と誘っていただき、業界に飛び込みました。29歳のときでした。

ポッシブル創業までのいきさつを教えてください。

入社してしばらくすると、空前のバンドブームが訪れ、ディレクターとしてコンサートの制作やラジオ番組の制作を手掛け、CMプランナーと組んでテレビ番組の制作も行うようになりました。軌道に乗った番組制作事業部が独立して私は取締役となったのですが、39歳のときにトラブルで会社が空中分解してしまいました。

私自身には地元テレビ局からの誘いや、今や日本有数のIT企業となったベンチャーからの誘い、フリーランスの道など複数の選択肢がありました。しかし、残ったスタッフで再スタートすることを選び、ポッシブルを立ち上げたのです。

雑談から、アイデアと仕事が生まれていく

これまでの歩みと手掛ける事業を教えてください。

立ち上げ時はラジオ番組と音楽テレビ番組の制作に携わっていましたが、時代の流れで音楽番組が減っていったため、バラエティー番組や情報番組の制作も行うようになりました。その他には映画関連のインタビューやイベント企画、ミュージシャンやタレントの育成・マネジメントも手掛けています。

TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニング曲「残酷な天使のテーゼ」や同アニメ映画の主題歌「魂のルフラン」で知られる歌手の高橋洋子も当社の所属です。

会社名「ポッシブル」の由来は?

私の名前が「かのう」なので「ポッシブル=可能」、ダジャレから生まれた社名なんです(笑)。 名古屋の名物TVプロデューサーに名付けていただきました。

ポッシブルの強みはどんなところにありますか?

一つはチーム力だと考えています。コンテンツの規模によって制作チームを構成し、小さなものから大規模な番組やイベントまで生み出せる人材とノウハウがあります。複数の中継ポイントをつないだロケや、ロケバスを複数台用意してチームごとに競い合い、最終目的地で締めを撮るといった大きな動きのある番組制作も得意としています。 海外ロケの経験も豊富で、アジア各地に制作パートナーがいるため、フットワークよく撮影することもできます。

もう一つは、アイデアと仕事が生まれる職場環境。オフィスの「フリーアドレス」が流行する随分前から、個人のデスクは撤廃し、会議室に大きな丸テーブルを配して仕事をしています。あるスタッフは編集作業を行い、別のスタッフは番組の打ち合わせを行ったり、ホワイトボードで企画を行ったりしています。プロジェクトに関係のないスタッフの何げない一言から、新たな企画が生まれることもよくあります。

雑談からもアイデアと仕事が生まれていくダイナミズムがポッシブルの強みです。

ダメでも、次を創ればいい

加納社長の仕事のモットーを教えてください。

ザ・ドリフターズのコントでいかりや長介さんが「ダメだこりゃ…、次行ってみよう!」と言うシーンがありますが、まさにそれが私のモットーです。私自身がそうでしたが、クリエイターの生み出す作品には良し悪しがあります。悪いモノや失敗はやってみた結果にすぎないので、ダメならダメで次をやればいいし、次を創らなければいけないと考えています。

コミュニケーションで大事にしていることはありますか?

「会話」をすごく大事にし、人の意見を否定しないよう心掛けています。絶対的に正しいことなんて、ありません。誰のどんな言葉にも何かしらの意味があります。自分とは違う意見や考え方を否定してしまうと、人間として伸びないと考えています。

採用活動においても、その方の実績やスキルよりも「面接で話が弾んだか?」をとても重視しています。面接の短い時間で互いの接点を見つけられれば、そこには“縁”があると思います。

ポッシブルの今後のビジョンについてお聞かせください。

地方の番組制作会社はテレビ局にディレクターを派遣し、局の番組の枠内で仕事をするパターンが多いのですが、そうではなく、自社の企画による制作を目指しています。企画や演出を含めてコンテンツをしっかりと制作できる会社というポジションは、今後も崩さずにいこうと考えています。

また、映像コンテンツを求めているのはもはやテレビ局だけではない時代になったので、コンテンツメーカーとしてさらなる成長を遂げたいと思っています。「他社がやらないこと」を、今後も突き詰めていきたいですね。

最後に、若手のクリエイターにアドバイスをお願いします。

「やめない」「最後までやる」ことを大事にしてください。自分に才能があるかどうかは、やってみないとわかりません。創作の途中で「ここまでだ…」と思ってしまったら、そこが才能の限界です。自身の才能に疑いを持たず、フィニッシュまでとにかく自力でやってみてください。もし完成したものがダメなモノだったとしても、また次を創ればいいんです。

取材日:2020年12月4日

株式会社ポッシブル

  • 代表者名:加納 啓
  • 設立年月:1997年10月
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:ラジオ・テレビの番組制作および企画立案、各種催物の企画制作および実施、音楽家・タレントなどのアーティストの斡旋、広告代理店業務、放送番組の編集業務員および作成業務員の派遣
  • 所在地:
    <名古屋>〒461-0002 愛知県名古屋市東区代官町39−18 日本陶磁器センタービル3-5
    <東京>〒105-0003 東京都港区西新橋1-2-9 日比谷セントラルビル14階
  • 電話番号:<名古屋>052-937-3325 <東京>03-5532-8109
  • URL:http://www.psbl.co.jp
  • お問い合わせ先:上記URLの「CONTACT」まで

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