ゲームのグラフィックス、アニメーションを主軸に、Crico株式会社は幅広いエンターテイメントコンテンツ創造の業務を展開している。
ゲームのグラフィックス、アニメーション、シナリオ制作を主軸に、ゲーム開発をはじめ、クリエイター、エンジニアのための学習機会提供サービス、広告クリエイティブ制作支援、イベント企画運営など、幅広い事業を展開する「Crico株式会社」。代表取締役の市川剛実(いちかわ たけみ)さんに、起業への道のりやゲーム業界、クリエイターに対する思いを伺いました。
ゲーム開発は、大変でしたが楽しくて夢のような毎日でした。
Cricoホームページ https://crico-japan.com/
幅広い事業を展開されている市川さんの、これまでのご経歴を教えてください。
もともと美術大学を希望していたのですが、親の反対を説得することができず、法学部で経営法学を学びました。僕の学生時代は、「NINTENDO64」や「PlayStation」などの所謂(いわゆる)次世代機が登場し、インターネットが脚光を浴びはじめデジタルクリエイターのメディア露出も増えてきた頃で、多感な大学生としてはとても刺激を受けていたんです。
どうしてもゲームや映像の業界に入りたいと大学卒業後、専門学校に入学し、当時まだ手掛ける人が少なかった3DCGならチャンスがあるかもしれないと考え、CGを専攻したんです。
卒業制作にとりかかった頃に、就活で美大卒の人と横並びで比べられてはかなわないと、少しでも早く実務経験を積みたくて、ゲームソフト『ポケットモンスター』(以下ポケモン)に関連する会社が求人を出しているのをみつけて、アルバイトとして入りました。
入社後どのような仕事をされたのでしょうか?
最初はCGデザイナーとしてポケモンのモデリングを担当しました。当時その会社は、『MOTHER2ギーグの逆襲』を作った素晴らしいクリエイターがたくさん在籍していて、とても刺激を受けました。
僕が入ったのはポケモンが世に出て2年目くらいでしたが、そのうちにポケモンの人気がどんどん高まり、アメリカをはじめ世界中で人気が爆発。ゲームだけでなくアニメなどのメディアミックスが展開され、次々と新しい仕事が舞い込んでくる。忙しくも、やりがいのある夢のような日々を過ごしていました。本当に恵まれた環境で、運がよかったと思います。しかし、だんだんとデザイナーとして壁にぶつかるようになってしまったのです。
専門学校時からの再びの壁…どのように乗り越えたのですか?
十代の頃からアートや漫画などの制作に真摯に打ち込んできた人と比べると、どうしても超えられない壁を感じたんです。そこで、もともと企画を考えるのが好きだったこともあり上司に申し出て、新しい「ゲームボーイ」のソフト開発プロジェクトにプランナー見習いとして参加させてもらいました。
ここでは、企画の勉強をしながら、ドット絵でキャラクターデザインをしたりしていました。リリース前後の販促活動もしていましたね。その結果、ゲームは約10万本以上売れるちょっとしたヒットになりました。
今振り返ると、ゲーム開発の楽しさが凝縮したような1年間でした。この体験は今も自分の中で息づいていて、クリエイターたちが、このときの僕のように楽しく全力投球できるような現場作りすることを「Crico」でも心がけています。
30歳で人生最大の挫折。からの「そうだ、経営者になろう!」
その後は順風満帆にキャリアを積まれたのでしょうか?
いえいえ、その逆で30歳で人生最大の挫折を経験したのです。プランナーとして4年ほど頑張りましたが、壁にあたり、自分では絶対にかなわないなという優秀なプランナーを前にして自信を喪失したんです。僕はゲーム・クリエイターとして、ある程度のことはできる、でも特に秀でたものがない。このまま騙し騙しやって40歳になったとき何ができるのか。そんなときに上司にいわれた言葉が心に響きました。
「クリエイターはスポーツ選手のようなもの。30歳を過ぎても現役バリバリで行くか、若いもんを育てるコーチになるか、トップで指揮を執る監督になるかだ」と。この言葉に本気で悩みました。
憧れてクリエイターになり、楽しく幸せな10年間を過ごしたけど、気がつけば超器用貧乏。コーチになるほどに一つ一つの職能に経験も実績もない、現役で頑張るといってもどんどんセンスのいい若い人が出てくる、そこで勝ち続ける自信はない、監督にいきなりなるのは難しかろう。さて、どうしたものか…。そう考えたとき、一度、クリエイターをやめて、いろんな可能性を探ってみようと思ったのです。
ゲーム作りは趣味でもできると。まずやったことはスキルの棚卸しです。他の人より自分ができることは何だろうと考えてみたとき、僕は会社でハブ(結節点)みたいな役割に自然となっていたことを思い出したんです。「100人くらいの社員ほぼすべてに顔がきく、何かあると上からも下からも相談がくる、これが俺の才能かも」と(笑)。その強みを活かしてなにができるか?なにがやりたいか?どうなりたいか?とあれこれ考えていた時に、「経営者」というイメージがでてきました。
大学で経営法学科を選んだのも所謂「社長」という存在に漠然と興味があったというのもありますし、IT業界で自分と同世代の方達が起業されて活躍されているのを見ていて刺激を受けたというのもあります。
ゲームグラフィックで軌道に。武器は営業などの経験から得たビジネス視点
起業までの準備はどのようにされましたか?
それまで、仕事で見積もりも請求書も作ったことがなかったんですね。お金に関わることがなかった。また、どこかで、成功した経営者は営業経験者が多いと聞きかじって、まず営業を通じてビジネスを学ぼうと、クリエイター経験のある営業募集という求人を見つけ、エージェントとして7年間、主にゲーム会社の顧客向けの営業担当を務めました。
クリエイター時代は、開発中は1年でも2年でもチームの仲間としかほとんど顔を合わせないので入ってくる情報も限られていたんです。他の会社の人との交流もない。でも、世の中には驚くほどたくさんのゲーム会社があり、膨大な数のプロジェクトが動いていることを知りました。まさに「“木を見て森を見ず”とはこのことか!」と痛感しました。さらに営業4年目に働きながらグロービス経営大学院に入り、経営について体系的に学びました。そこでの学びと、経営者をはじめ似たような課題意識を共有できる学友と知り合えたことは、現在の自分にとっても大きな財産になっています。
クリエイター時代を振り返り、今、何を思われますか?
反省する点としては、まず、僕にはクリエイターとしての戦略がなかったんです。「おもしろい仕事をしたい」「自分のアイデアで誰かを喜ばせたい」「エンドロールに名前がでたらうれしい!」「ゲームの仕事ができたら幸せ!」という純粋な気持ちだけで突き進んできたと思います。
どの強みを活かして、どの領域でどんな価値を生み、自身の希少性をどう担保していくのか、そういった戦略も覚悟もないままに漠然とやっていた。器用さと根性はある程度あったので、会社の方針に合せてできることを、その場しのぎでやっていくというスタイルになり、専門性が伸ばせず行き詰まる。
かといってゼネラリストとしてキャリアを築いていくイメージも当時はもてていなかった。視野が狭かったと思います。現在、Cricoのメンバーには、自分のようなキャリア迷子にならないように、サポートしていきたいと思っています。誰しもなにか才能をもっているので、それを見極め、伸ばす支援をすることは特に大事にしています。事業領域を広げているのは、メンバーの選択肢を広げるというのも大きな理由です。今後も長期的な広い視野で、キャリア形成ができるように支援していきたいですね。
起業後の展開を教えてください。
最初は起業の練習がてら、知人の起業を手伝いました。海外の人材を日本に招聘(しょうへい)する会社だったのですが、クリエイティブやIT関連の担当をしてほしいと請われて飛び込みました。ゲーム業界はずっとエンジニア不足といわれています。日本のゲーム業界も海外の才能ある人材を入れていかないとだめだという問題意識があったので、その「エンジニア不足解決の一助になれたらいいな」と思ったのがきっかけです。
しかし、なかなか軌道に乗らず、資本金も出したうえに8カ月くらい無給でした(笑)。そこで副業で始めたのがグラフィックの制作です。ちょうど『パズルアンドドラゴンズ』が出た直後で、スマホゲームのグラフィック制作ニーズが高まっていた頃です。
きっかけは別の知人からトレーディングカードゲームのグラフィックのマネジメントをしてほしいという依頼があり、チームビルディングと進行管理に携わったことでしたが、これがすぐに軌道に乗りました。
「自分の経験をすべて生かせる、人に求められ喜ばれる、やはり、自分の生きる道は現場に近いところだ」と一周回ってそう強く感じました。ビジネス視点を得て、クリエイティブと向き合ったとき、見える景色が変わったのです。
会社の価値を高め、クリエイターがチャレンジできる機会をクリエイト。
ビジネス視点を得て、クリエイターに対する考えに変化はありましたか?
ビジネスサイドの考えも分かるようになって感じたのは、クリエイターとの価値観のギャップです。
たとえば、僕が業界入りたての頃に描いた下手な作品はビジネス的には価値はゼロですが、僕にとっては可愛い価値のあるものなのです。これが絵を描いたことがない人にはなかなか分からない感覚。
この感覚は忘れないようにしたいと考えて、どんな作品も尊重して、いいところを見つけるように努めています。もちろん改善すべきいところは指摘はしますがクリエイター視点を忘れず、寄り添う姿勢は大事にしていきたいですね。
また自分自身がクリエイターとして企画立案やディレクションすることもあるのですが、その精度が格段にあがりました。多角的に課題を分析できるようになったことが大きいと思います。クリエイターのみなさんには、毛嫌いせずにビジネスについても学ぶことをお勧めしたいです。身の回りのほとんどのコト、モノはビジネスで成り立っているのですから。
挫折を繰り返した僕だからこそ、挫折するクリエイターが出ないように、彼らが充実した人生が送れるような会社にする。そのために、自分がどんどん新しい可能性のある領域に飛び込んで学びながらやりがいのある仕事を生み出す、それが僕がやるべき仕事だと思っています。
2013年1月に起業して、最初は僕1人で自宅の6畳一間からのスタートでした。色々と迷いながらの社会人人生でしたが、その時ばかりは不思議と迷いがなかったのを覚えています。
「ゲームってすごいぞ!」と再認識したのもその頃です。ゲームには海外からも高く評価される文化的価値、そして輸出に占める日本のコンテンツの9割以上がゲームであるという経済的価値、さらに癒やしやリハビリ、教育、ECサイトなどにも活用される社会的価値があります。
我々の作っているものは広く文化や風俗、最新の技術を取り込んでさまざまな分野に供用している価値のあるものだから誇りをもって仕事をしようと社員に伝えています。
今思うと20代に感じた直感は正しかった。ゲームには全キャリアを捧げる価値があると確信していますよ。
ゲームシナリオを中心に、アニメ脚本、小説にも対応できるCricoの
シナリオ制作ブランド「WRITEHANDS」(ライトハンズ)
https://writehands.jp/
最後に御社のビジョンを教えてください。
暗い世相を少しでも明るくできるように、「未来の”面白い”をカタチにする。」というミッションの下、ゲーム制作の支援事業(2D、3D、シナリオ、映像等)と、ゲーム企画開発・運営(ハイパーカジュアルゲームに注力中)の事業に邁進し、業界を盛り上げる一助になれればと考えています。
また一方で社内の変革にも取り組んでいます。会社の規模もそれなりに大きくなってきたので、各セクションリーダーの成長を支援して各々が自律的に活動できるようにするための人事制度などのしくみ化にも注力し、個性を活かしながらメンバーが生き生きと働ける会社にしていきたいです。
会社経営は“会社と人との成長の競争”だと思っているんです。常に新しい可能性のタネをまき、会社も関係する人も成長を続ける。クライアントや投資家の皆さんには「Cricoは面白いし頼りになる」働く人たちには「ここにいるとチャンスがある」と常に期待いただき、しっかりその期待に応えていける会社でありたいですね。
取材日:2020年11月13日 ライター:永浜 敬子
Crico株式会社
- 代表者名:市川 剛実
- 設立年月:2013年1月
- 資本金:800万円
- 事業内容:グラフィックス・アニメーション・シナリオ制作、ゲーム・アプリなどのコンテンツ開発、クリエイター、エンジニアのための学習機会提供サービス、コンテンツ開発に関連するコンサルティング、イベント運営、ウェブサイトの企画運営、ライセンスマッチング、交渉、契約、人材コンサルティング
- 所在地:〒101-0021 東京都千代田区外神田3-6-17フェニックスビル7F
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- お問い合わせ先:上記URLの「Contact」より