「写真工房」富井義夫さんは、北の大地でお客さまの夢をかなえる写真を撮り続ける
株式会社写真工房は、世界遺産写真家の富井 義夫(とみい よしお)さんが興した会社です。1990年東京から、都市と自然が調和する札幌へと拠点を移し、132の国と地域を巡りながら、世界遺産をはじめとする、なかなか見に行くことのできない風景を撮ってきました。第一線で活躍を続ける富井さんに、写真家の心構えと写真の世界で生きていく術などを伺いました。
写真家にはなれるわけがないと思っていた
写真を始めたきっかけを教えてください。
21歳のとき、写真を趣味にしたいと思い、友人からカメラ一式を譲ってもらったことです。それから何回か撮影旅行をしました。でも、うまく撮れない。自分が見たとおりには、どうしても撮れません。それで飽きてしまってカメラをたんすにしまい込む……そういう人が少なくなかったようで、当時、揶揄とも自嘲とも取れる「たんすカメラ」という言葉がよく聞かれました。せっかく買ったカメラを「たんすカメラ」にしてしまうのは悔しい。そこで、東京写真専門学校の夜間部に通うことにしました。趣味として長く写真を続けるために、基礎から学びたいと思ったのです。当時の私にとって写真は、あくまでも趣味でした。
写真家になろうとは考えなかったということでしょうか。
まったく考えていませんでした。お金もコネもなかったので、「写真家になれるわけがない」と思っていましたね。ただ、専門学校の2年間では物足りなかった。もともと、一つのことを極めたいタイプなのです。そこで、「あと1年だけ勉強する」と決めて、カメラマンの撮影助手をしながら、写真を撮り続けました。でも1年後、写真を極められたとは到底思えなかった。それならば、「もう1年だけ続けてみよう」…これを繰り返して、気付くと、写真家と呼ばれるようになっていました。それでも、まだ極められません。どれだけ撮り続けても、きりがない。自分の命が途絶えて写真が撮れなくなったときがゴールなのでしょうね。それまでは、ずっと走り続けます。
四季折々の美しさと都市の機能が共存する札幌に移住
札幌への移住を決めたきっかけをお聞かせください。
直接のきっかけは、ストックフォトの仕事が安定したことです。26歳のとき、広告のフォトエージェンシーに寄託していた写真のうち1枚が、信用金庫のポスターに使われました。それから少しずつ売上が伸び、アルバイトをしなくてもストックフォトの収入だけで生活できるようになります。そこで、34歳になった1988年、「株式会社 写真工房」を設立。埼玉県富士見市にスタジオを建てました。ただ旅をしながら風景や人物の写真を撮っていたので、このスタイルだと、どこで暮らしていても仕事に支障はありません。それならば、訪れるたびに暮らしてみたいと思っていた札幌に移住しようと決めたのです。
札幌のどのようなところにひかれたのでしょうか。
一番気に入っているのは、ヒューマンスケール。札幌という街は、人間が暮らすのにちょうどよい大きさだと感じています。私の住まいは、原始林が残る藻岩山(もいわやま)の中腹にあり、エゾリスやキタキツネが遊びに来るようなところです。そこから、大通公園のある街中までは、夏なら車で15分ほど。そのスケール感が心地よいのです。生まれ育った東京は、いつのまにか肥大化しすぎて、住むのには適していないと思うようになっていました。また、四季折々の美しさも札幌の魅力です。東京と比べると四季がはっきりしていて、真っ白な雪景色、新緑のグリーン、紅葉の赤や黄色と、どの季節も美しい。移住前、札幌にはロケで毎年来ていたのですが、いつ訪れても自然はきれいで、都市としての機能もあり、住み心地がよさそうだと感じていました。
お客さまの夢をかなえるカレンダーを作るために努力を重ねる
出版事業は、札幌に移ってから始められたとのことですが……。
移住して10年ほど経った頃、それまでに撮影してきた世界中の自然や文化を、より多くの人たちに発信したいという思いが強くなりました。そこで、「世界遺産写真家」としての活動を本格化した2005年、カレンダー・ポストカード・写真集の出版を新事業として始めたのです。今では、写真工房のメイン事業に育ちました。
仕事で大切にしていることをお話していただけますか。
スタッフには、「お客さまの夢をかなえるカレンダーを作ろう」と伝えてきました。お客さまアンケートを読んでいると、「海外の風景を見て、いつか訪れてみたくなった」「新型コロナウイルスの影響で、大好きなハワイに行けない。でも、カレンダーを飾ることで、ハワイにいるような気分になれる」といったコメントがたくさんあります。それだけ、カレンダーに夢を見ているお客さまが多いのでしょう。だからこそ、12カ月の間、お客さまのそばに寄り添って、まだ見ぬ外国に思いをはせたり、旅行気分を味わったりできるカレンダーを作りたいと思っています。それは、制作部にも営業部にも浸透していますね。大切なのは、手を抜かないこと。とにかく地道に努力しなければ、お客さまの夢をかなえるカレンダーなど作れるはずがありません。例えば、ベストショットが撮れるまで、早朝3時に起きて日の出を撮影するといった積み重ねが、ひとつの作品となるわけです。それは、自分を映し出す鏡といえます。手間暇を惜しまず丁寧に作れば、よい作品ができて、努力を惜しめば、だらしない作品にしかならないはずです。それは、どの仕事にも言えるのではないでしょうか。
「写真家になる!」と気負わずに、コツコツと撮り続けること
富井さんにとって写真とは?
写真は職人芸であり、写真家は職人です。その職人芸が、進化して昇華した結果、「これは芸術である」と評価されるのであれば、それはありがたいこと。それでも、写真家は芸術家ではなく、職人だと思いますね。ひとつのテーマをとことん突き詰めて、コツコツと地道な努力を重ねていくと、ある日、自分の写真が大化けします。その過程は、職人が一人前になっていく過程と似ているのではないでしょうか。芸術性とは違うけれども、写真のセンスは必要で、それは磨き上げていくしかありません。これもまた、技を磨き上げていく職人と似ています。
写真家を目指している人たちへのメッセージをお願いします。
逆説的ですが、写真家になろうと気負わないほうがよいと思います。40年ほど前、私の若い頃でも、写真で生きていくというのは大変なことでした。一瞬なら活躍できることは多いです。写真の学校を卒業して修行して、それなりに売れて勢いのある30〜35歳は、写真家として生計が立てられます。でも、そこから先は険しい。自分よりも新しいセンスを持った若い世代が次々と台頭してくるなかで、それまでどおりに仕事をキープできるかどうか……。40歳くらいで転職していく同業者をたくさん見てきました。
現代は、写真のデジタル化により単価も下がっています。さらにIT化があらゆる分野で進み、一人一人の人間が使える時間を増やしました。働き方もさまざまになり、副業をする方も増えています。そこで「他の仕事をしながら写真を撮る」というスタンスが、時代にマッチしているのではないでしょうか。
稼ぎの多寡が、プロとアマチュアの差ではありません。よい作品を作り続けることが、プロだと思うのです。だから、地道にコツコツと写真を撮り続けてください。努力は裏切りませんから。
取材日:2021年1月14日 ライター:一條 亜紀枝
株式会社 写真工房
- 代表者名:代表 富井 義夫
- 設立年月:1988年10月
- 資本金:1,000万円
- 事業内容:出版事業、ストックフォト事業
- 所在地:〒005-0832 北海道札幌市南区北ノ沢3丁目8番1号
- URL:https://shashinkoubou.com
- お問い合わせ先:上記HPの「お問い合わせ」フォームより