“モノづくり”でミュージシャンとアーティストの未来を拓く。プロデュース力が光る世阿弥Entertainment
株式会社世阿弥(ぜあみ)Entertainmentは、缶バッジやステッカー、アクリルキーホルダー等の製造のほか、イベントやライブ等の開催、映像制作、音源のレコーディング、オンライン配信など、幅広い事業を手がける会社です。
その振り幅の大きさに「一体どれが本業なの?」と訊きたくなりますが、一見バラバラに見えるこれらの事業は、実はすべてひとつの意志のもとにつながっています。「世阿弥」の名に込められたエンターテイメントへの熱い想いを、代表の横山氏に伺いました。
すべてのはじまりは、音楽愛。
御社ではグッズ制作や映像制作、デザインなど幅広い事業を手がけていらっしゃいます。どのような発想からスタートしたのでしょうか?
そもそものはじまりは2001年、大学時代に立ち上げた自身の音楽レーベルに遡ります。僕は東京の大学に通っていました。その大学があった御茶ノ水という街は「音楽の街」。
いろいろな楽器も弾いていましたし、ライブを見に行くのが大好きだったので、毎日のようにライブハウスに通っていました。たぶん年に150本くらいは観ていたと思います。
熱心に通っているうちに、さまざまなバンドやレーベル、事務所の方々と交友関係が深まっていきました。「アーティストのWebサイトを作ってくれないか」「ツアーに同行して機材の調整をしてくれないか」「楽器に詳しいなら調整してほしい」「エフェクターの制作も」などと声がかかるようになりました。
そうやって音楽周りのさまざまなことをお手伝いしていると、すごい上手くて才能もあるのに、全然芽の出ないバンドがいるのに気づくようになりました。「どうやったら彼らが売れるようになるだろう?」と考え、CDのレコーディングを手伝ったり、事務所とのマッチングの場を作ったりと、アマチュアバンドのサポート活動を行うようになったんです。その時に立ち上げたレーベルが、「UDONRecords」。今から振り返ると、このレーベルが「世阿弥Entertainment」の原点でした。
年間150本ものライブを観ていたとは、熱量の大きさを感じます!もともと、音楽への関心は強かったのでしょうか?
そうですね。ただひたすらに、“音楽”そのものが大好き。前に言ったとおり聴くのはもちろん、ギター、ベース、ドラム、ピアノ、トランペット、三線など、さまざまな楽器も演奏します。
僕の音楽好きのルーツは、中学生の頃に海外で暮らした経験なんです。ニュージーランドとフィリピンに1年いたのですが、何しろ言葉が通じないので、音楽を聴くのが唯一の心の拠り処でした。ニュージーランドにはイギリス文化、フィリピンにはアメリカ文化が浸透していたので、ロックやポップスなど、欧米のミュージックカルチャーにどっぷり浸かりました。
音楽の原点が海外だったので、日本に帰ってきてからも、邦楽・洋楽の区別はあまり意識したことがなくて…ジャンルを問わず、あらゆる音楽を聴いていましたね。
そのうちに演奏も自分でやってみたくなって、最初はギター、その後、バンドを組んでベース、ドラム、トランペットなど、興味の湧いた楽器を次々に手に取ってみるようになりました。
演奏の次に興味を持ったのが、オーディオなどの音響機材です。大学で電気工学分野を選択し、大学院では「電気音響工学」という学科に進学しました。まさにぴったりの学科でしょう?(笑)幼いころの夢が「エジソンのような発明家」だった僕にとっては、大好きな音楽と研究の両方ができる大学は、理想の環境でした。
3時間睡眠の毎日でも、好きなことは夢中で続けられた。
大学での研究生活は充実していたんですね。卒業してからはどんな道を歩まれたのでしょう?
当時は会社の仕事をしつつ、大学時代に始めたミュージシャンのサポート活動の仕事も同時進行で続けていました。出社している9時から20時までの時間は、会社の仕事に“100パーセント”の力を尽くす。そして、21時から明け方の5時までは、ミュージシャン周りの活動にこれまた“100パーセント”の力を尽くす。そして、3時間だけ寝る(笑)。
当時は、そんな無茶苦茶な生活を送っていましたね。3年間くらいは続けていたでしょうか…自分の好きなことをしていたので、睡眠時間が短くても全く苦に感じなかったんです。
就職で拠点が東京から大阪に移ったことで、ミュージシャンのサポート活動に支障はなかったのでしょうか。
東京の案件をそのまま手がけつつ、大阪で新しいミュージシャンの発掘を行っていましたので、手がける案件の数は倍になっていましたね。ミュージシャンはライブの地方公演で全国を回りますので、彼らが大阪方面に来たときに面倒を見られるようになりました。大阪のライブハウスを紹介したり、人脈をつなげたりと、東京から大阪に来て、できることがさらに増えたぞ、という感じでした。
なるほど…そこから会社を辞め、起業をするに至ったのにはどんなきっかけが?
入社して3、4年が過ぎたころ、自身が関わっていた開発で特許に携わることができました。それで、気持ちに区切りがついたような気がしたんです。ここでできることはすべてやり切った、という心境でした。
そして2006年、会社を辞めた次の日に「世阿弥Entertainment」を立ち上げたんです。とはいっても、これまで自分がずっとやってきたことを同じように続けていくだけ。会社を立ち上げたからと言って、身構えてはいなかったですね。会社に100パーセント、自分の事業に100パーセントだった力が、合わせて200パーセント使えるようになった!そんな感じです。
ミュージシャンやアーティストを支えるための、モノづくり。
現在、御社の主軸の事業はグッズ制作ですが、どのような経緯で手掛けるようになったのでしょうか?
グッズを作ろうと考えたのは、とにかくミュージシャンの収入源を確保したかったからです。ミュージシャンの主な収入源はCD販売、ライブ開催、グッズ販売の3つですが、CDはそうそう数が出せるものではないし、ファンが急に増えない限り、ライブのチケット売り上げも簡単には伸びません。そう考えると、一番利益を得やすいのがグッズ販売なんです。なぜならグッズは展開の幅が広く、数もたくさん作ることができますから。
最初は「ミュージシャン専用のグッズ制作」と謳っていたくらい、ミュージシャンをサポートするためのモノづくりに徹していました。
モノづくりは、ミュージシャンの収入源を得るための手段だったのですね。そこからの事業の展開はどのように?
グッズ制作をしていくうちに、さまざまな業種から声がかかるようになりました。特に多かったのはアニメ業界やゲーム業界の引き合いですね。サービスをスタートした2005年ごろから、アニメ・ゲーム関連のグッズの制作依頼が急増するようになりました。
その後さらに増えたのは、個人の絵描きさんからの発注です。コミックマーケット(コミケ)が大きなイベントに成長していく中で、イベントブースで販売するグッズの需要が増えました。
絵描きさんたちと関わりを持っていくうちに、プロデュースも手がけるようになっていきます。ちょうど、ミュージシャンのCDジャケットやグッズのデザイン、ロゴ制作などを手がけてくれる人材が必要だったため、うまくマッチングさせることができました。その他にも、出版社を紹介して仕事につなげたり、即売会や展示会などの販路拡大のためのイベントを開催したりといった取り組みを行っています。
グッズを作って終わり、ではなく、その後の販売の場所作りまでサポートすることが大切かなと。
これからますます事業の幅が広がっていきそうです。新事業の構想などがあれば教えてください。
これまでのグッズ制作では、最低1000個からなど、制作できる最少ロット数の大きさがハードルとなっていました。その常識を覆し、1個からでもグッズ制作が可能となるサービスを近日リリース予定です。注文が入ってから受注生産してお客さんへ届けますので、制作者が在庫を抱える必要がなく、売れ残りのリスクがありません。
これまでのグッズ制作は最小ロット数を作るための元手が必要で、資金に余裕がないアーティストにとっては大きな賭けになってしまっていました。アーティストの収入を支えるためにも、誰でも簡単にグッズ制作にチャレンジできる体制を確保しました。
社名の「世阿弥」に込められた想い
御社では、どのようなスタッフさんが働かれているのでしょう?
ミュージシャンとして活動しているスタッフが多く所属しています。ミュージシャンは身なりの派手な人が多くて堅い業種では働きにくく、ツアーで長期の休みを取ったりするので、仕事に困ることが多いんですよね。でもその点、我々の会社にはミュージシャンがたくさんいますので、服装にも厳しくないし、休みも皆で協力し合って柔軟に取れます。
あと、ミュージシャンはみんな手先が器用でマメ。楽器を演奏するのには指先を細かく使いますし、地道な練習を何度も何度も繰り返し続けなくてはいけないでしょう?ひとつのことを熱心に続けられる人じゃないと、ミュージシャンは務まりません。そんなモノづくりにぴったりな適性を活かして働いてもらっています。
スタッフは自分にとって、右腕のような存在だと思っています。彼らがいてくれれば、僕は“千手観音”のような状態になれる。自分にできないことをできるような存在でいてほしい、それがスタッフに求めていることです。
会社の未来像やビジョンはありますか?
うーん、ビジョンを持とうとは考えたことがありませんね。むしろ、ビジョンを持たずに何にでも挑戦できるのが強みだと思っています。フットワーク軽く、いろいろとチャレンジしてきたからこそ、今の会社がありますから。
でも、「エンターテイメントに関わるモノづくり」という会社の軸は、決してぶれません。私たちの会社は、分類でいえば製造業なのですが、プロデュースも、販売も、デザインもやっています。
すべては、「ミュージシャンやアーティストの活動をサポートする」ため。手がけている事業はこのひとつの信念のもと、つながって関わり合っているんです。強い想いが根っこにあり、そこから樹木のように四方に枝葉を伸ばして成長してきた…そんなイメージを持っています。
会社の名前にある「世阿弥」とは、室町時代の「能」の役者の名前です。世阿弥は、もともと貴族だけの文化だった能を、大衆向けのエンターテイメントに作り替えました。自分自身が演者でありながら、プロデューサーでもあり、マーケティングの力にも長けていたんです。まさに“日本最古のエンターテイナー”ですね。
リスペクトの意味を込めて社名に入れた「世阿弥」の名のとおり、僕たちもエンターテイメントのステージを作り続けていけたら、そう思っています。
取材日:2021年3月18日ライター:土谷 真咲
株式会社世阿弥Entertainment
- 代表者名:横山 大地(よこやま だいち)
- 設立年月:2006年11月
- 資本金:10,000,000円
- 事業内容:
マルチメディアソフトの企画・製造・販売
各種音楽原盤の企画・製作
各種イベント・ライブ企画制作
アーティストマネージメント
イラスト・アート雑貨の企画・製作・販売
グラフィック・プロダクト・Webのデザイン・制作
ウェア・アパレル・雑貨のデザイン・企画・製造・販売
缶バッジ・ステッカー・グッズの企画・製作・販売
フライヤー・ポスター・カード・名刺等の印刷
ソフトウェアの設計・開発・販売 - 所在地:〒564-0051大阪府吹田市豊津町21-10-2F
- URL:https://zeami.co.jp
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