シャッター商店街のシャッターは、自分でこじ開ける。「面白がる力」で街に活気を!
かわいいイラストが至るところに散りばめられ、オモチャ箱のようなワクワク感がある株式会社ガハハのホームページ。代表取締役の徳田憲治(とくだ けんじ)さんは、長年プロミュージシャンとしてバンドのボーカルを務め、大手企業の会社員を経験。そして会社の立ち上げへと至った異例の経歴の持ち主です。
突然大きな病気にかかり入院生活を送ったこともありましたが、そんな状況も「面白がる」ポジティブなパワーを持つ徳田さん。駅から遠く離れたシャッター商店街に株式会社ガハハを設立した裏側には、特別な想いがありました。
プロのミュージシャンとして活躍、そして大企業の会社員に
会社を立ち上げる前までは、ミュージシャンとして活躍されていたそうですね。
1997年、大学生のときにバンドを結成して、それから20年近くミュージシャンとして活動していました。「スムルース」というバンドで、僕はリーダー兼ボーカル。作詞・作曲も担当していました。大手のレコード会社とも契約して本格的に活動していたんです。バンドは2016年に休止することになるのですが、その少し前から、音楽活動以外のところでも社会経験を積んでみたいと考えるようになりました。ハローワークでチラシを見つけたのをきっかけに、Web制作の職業訓練を受けてみたんです。経験も実績もなかったけど、その職業訓練のスキルと、これまでやってきたバンド活動のことを履歴書に書いて、企業の採用面接を受け、合格しました。
どんな企業に採用されたのですか?
とにかくパートでも何でもいいから雇ってほしいと思っていました。ただ採用してくれたのは何と、船井総研(株式会社船井総合研究所)のWebチームでした。
受かったのはなんででしょう…ミュージシャンとしての活動実績を面白がってくれたのかもしれません。僕はそれまでバイトも含めてこんな大きな会社で働いたことがなかったので、すべてのことが新鮮で。昼休みには「これがサラリーマンの“財布1個でランチタイム”か!」とか言いながら楽しんでいました(笑)。音楽を続けながら3年くらい働いたあと、独立して仕事がしてみたいと思って、会社を飛び出したんです。
原因不明の難病、ギラン・バレー症候群を発症
そこからは、順調に会社の立ち上げに至ったのでしょうか。
それがある日、路上でいきなり体が動かなくなって、病院に運ばれて。「ギラン・バレー症候群」の診断を受けました。ギラン・バレー症候群は、原因や予防法などがはっきりしていない病気です。体を動かすことがまったくできなくなり、握力もわずかにあるかどうか。医者には、後遺症が残るかもしれないから今後の人生のことを考えてくれ、とまで言われました。治療には少なくとも1年はかかると言われていたので、これをきっかけにバンド活動をいったん休止することにしました。
突然の病気の発症、しかも未知の難病ということで、気持ちが落ち込んだりしなかったのでしょうか?
それが、ぜんぜんならなかったんですよねえ。むしろ、この状況がおもろくなってきて。「めったにない機会だから、病院を探検してみよう!あ、体動かないわ!」みたいな(笑)。友達がふざけて変装して見舞いに来たりして、看護師さんによく怒られていましたね。
体はまったく動かないんですけど、こんなに何にも考えずに休めるときはないわ、と思って入院生活を楽しんでいたら、あっという間に回復して治療が終わってしまったんです。
この病気を知っている方なら驚くような結果なんですね。
担当医の先生もギラン・バレー症候群で間違いはないと断言していたのですが、1年かかると言われていた治療が2か月くらいで完治してしまい、びっくりしていました。
後遺症もまったくなく、たくさん食べて動けなかったから、太っただけ(笑)。ストレスがない生活が良かったのかな…。ただ、重い症状の方もいるので、私はたまたま運がよかったのだと思います。
駅から遠く離れた“商店街”の中に、会社を設立。
退院してから本格的に、起業の準備を進められたわけですね。
会社勤めにもバンド活動にも区切りがついていたので、退院後に会社の立ち上げに取りかかりました。僕が“師匠”と呼んでいる知り合いの社長さんに色々教えてもらいながら、会社組織や場所を考えたんです。
創業時、立ち上げをいっしょに担ってくれたのが、船井総研時代にデザインチームのエースだった林田です。彼も僕と同じ頃に船井総研を辞めていたのですが、話を聞いたら「ひとりでやるのはもう疲れた」と。「じゃあ、いっしょにやらへん?」という流れで、2人社長のような体制でここまでやってきました。
フリーランスではなく、会社設立を選ばれたのはなぜですか?
フリーランスで働いたほうが、利益率は高いとはわかっていました。でも、改めて自分の性格を見直してみると、ちゃらんぽらんなところがあるなあ…と。ひとりで仕事をしたら、いろいろな人に迷惑をかけてしまう気がしたんです。会社員時代、「できないところを補い合いながら、皆で何とかしているのが会社だ」と感じました。そこで考えた。僕ができないことを、社員にやってもらえるような仕組みを作ればいい。「会社ひとつで一人前」という考え方から、起業という選択を取ったんです。
会社を設立されたのは山手一番街の中。高槻駅から少し離れた商店街です。ここには何かゆかりがあったのでしょうか。
まず高槻には自宅がありました。事務所があるこの場所は、もともとは80歳のおじいちゃんがコーヒー豆を売るお店だったんですよ。僕が高槻駅前の自宅で仕事をしていた頃、たまたまそのおじいちゃんから仕事の依頼があって…。当時でもう45年間の歴史がある商店街で、初めて夏祭りをやろう、ということになったそうなんですね。うちわとか手ぬぐいとかを作りたいから手伝ってくれないか、と。引き受けたはいいものの、そのおじいちゃんはメールができなかったから、デザインができる度に自転車で現物を届けなくちゃいけない。高槻の駅前から自転車で20~30分かかりますからね、通うのはまあ大変(笑)。でも、毎回顔を合わせていると、やっぱり仲良くなるんですよね。普段はメール1本で済ませている仕事に手間をかけるのが、だんだんと面白くなっていきました。そんな中で、会社をやろうと思っていることを話したら、「店舗の隣の建物空いてるで!」と言ってくれたんです。
そこですぐに会社を置くことを決めたのでしょうか。
いえいえ、何しろ駅からこれだけ遠い場所ですからね。気持ちはありがたいなと思ったけど、最初はまったく考えていませんでした。会社の場所については先ほど話した“師匠”にも相談していて、高槻中の物件を見てもらっていたんです。そこで、試しにこの場所のことも話してみたら、「絶対にここだ!」と。「この商店街と、この街を盛り上げてみろ。この場所をどこまで面白く盛り上げられるかが、お前のテーマだ」と言われて。
あとは、家賃が5万円と格安で、初期投資がかからないのも良かった。会社で初期投資を抑えられたら、それに越したことはないですから。そんないきさつがあって、商店街に会社を構えることになりました。
初めはおじいちゃんのコーヒー豆店の隣にある建物を使っていましたが、数年後にお店を畳むことになり、今は店舗だった建物も事務所として使わせてもらっています。
シャッター商店街のシャッターをこじ開け、人が集まる楽しい街へ
創業時からお仕事はWeb制作がメインで?
僕と林田でWebデザインができましたので、まずはWeb制作の仕事から始めました。なぜか初めから、仕事の依頼はたくさん入ってきていましたね。仕事は紹介でいただくことが多かったです。僕たちを頼ってくれることが嬉しくて、徹夜してでも、ひとつひとつの案件に100パーセントの力を尽くして作り続けてきました。
会社ではどのようなことを大切に仕事をされていますか?
仕事をする上では、Webサイトを作った“後”のお付き合いを大切にするようにしています。僕らの見積もりは決して高額ではないけど、平均よりはちょっと高いかもしれない。
ただそこには、「今後のお付き合いをちゃんとする」という分の金額も含まれているんです。Webのことはもちろんですが、それだけではなくて、困ったことがあったら何でも相談に乗ります。“お困りごと解決屋さん”ですよ。
「水道がおかしいねん、いい修理屋知ってるか?」って言われたら、知り合いの中からできる限り探し出して紹介するとか。そういった困りごとに応えられるような人脈を、設立のときから作ってきましたから。関わるすべてのお客さんと丁寧にお付き合いを続けていきたいと思うから、安すぎる金額設定にはできないんです。
現在はどんな事業が主軸になっているのでしょう?
今は、Web制作や印刷物の制作のほか、イベントを軸にした事業展開も行っています。イベントを企画して、必要な冊子やWebサイトを作る、という感じですね。ミュージシャン時代の経験があるので、音楽関係のことも手掛けられます。バンドをやっていた頃から自分の描いた絵でグッズを作っていました。今も事業としてグッズ販売を行っています。趣味みたいなものですけど、意外に楽しんでくれている人が多いみたいで…Webで販売するほか、高槻の百貨店の催事などにも出店しています。
これからチャレンジしていきたいことはありますか?
会社を作ったときに“師匠”から言われた、「商店街を盛り上げ、街を盛り上げる」取り組みを、もっとやっていきたいですね。
残念ながら今はこの松ヶ丘の商店街・山手一番街は、いわゆるシャッター商店街のようになってしまっています。まずはここで、まちの人が集まれる居場所づくりをしたい。子どもたちが宿題をやったり、子育てのことを気軽に相談したり…そんな場ができたらと思っています。
やり方はまだまだ勉強中ですが、地域の人のつながりと活気を取り戻すため、できることをやっていきたいです。会社の仕事を通して得た人脈も、最終的にはそこにつながっていくのかもしれないですね。「まちづくり」は地域に関わりを持たない人間が突然やってきてやろうとしても、うまくいくわけがありません。仕事を通してちゃんと人とつながり、人間関係を築いていく。「何十年かけてもこの商店街に元気を取り戻したい」という想いが、今関わっているすべての事業の根っこにあります。
目標の実現に向けて、まだまだやることは多そうですね。
地元を盛り上げるためのイベントはいろいろやってきましたが、そのときにわーっと盛り上がっても、次の日にはまたいつものシャッター商店街に戻ってしまう。これではダメだと、最近になって思うようになりました。誰かがやってきてシャッターを開けてくれるのを待つのではなく、自分たちの力でこじ開けないといけないんです。自社で資金をうまく作りながら、この場所で新しいお店や仕事を展開していく。その夢に向けて、今は勉強中です。閉まったシャッターを全部開けて、この商店街を楽しくて活気ある場所にしたいですね。ここにいつかは、“ガハハ村”みたいなものができるかな(笑)。
取材日:2021年4月21日 ライター:土谷 真咲
株式会社ガハハ
- 代表者名:徳田 憲治
- 設立年月:2016年4月
- 資本金:300万円
- 事業内容:Webサイト制作、ECサイト制作、動画制作、集客サポート(SEO対策・リスティング広告・アクセス解析など)、アプリケーション・ソフトウェア開発、イベントの企画運営、チラシ・ポスター・パンフレット等印刷物の制作、ロゴ・キャラクター制作、グッズ制作
- 所在地:〒569-1031大阪府高槻市松が丘1丁目11-5
- URL:https://gahaha.co.jp/
- お問い合わせ先:072-687-3476 https://gahaha.co.jp/contact/