東京を経験し、徳島に貢献する。「四国で一番自由なクリエイター集団」が目指す姿とは
優秀なクリエイターは東京に集まるもの――。そんな常識を、顧客に対しても、業界で働く人に対しても覆そうとしている会社が徳島にあります。経理ソフトの開発・販売をルーツとする有限会社データプロは、現社長の影本陽一(かげもと よういち)さんが立ち上げたウェブコンテンツ制作事業によって業容を拡大。現在では飲食店向けテイクアウトシステムなどの自社事業も展開しています。デザイナーやエンジニアなど多様な人材が集う組織で掲げられているスローガンは「四国で一番自由なクリエイター集団」。この言葉に込めた思いや、今後の事業に向けた展望を伺いました。
「ウェブサイトを持つ」文化が地元に広がる中、一人で立ち上げた制作事業
御社は2001年に設立されていて、すでに業歴20年を数えます。創業から現在に至る経緯をお聞かせください。
もともとは私の父が作った会社です。父は1995年に個人事業主として経理ソフトの開発をスタートし、地元・阿波池田のお客さまに販売して、2001年に有限会社データプロとして法人化しました。私自身は、四国の大学を中退した後に大阪のウェブ制作会社で働いていました。約7年ウェブコンテンツ制作の仕事を経験し、それから地元に戻り、データプロに加わって現在に至っています。
影本さんが代表取締役に就任する前の2009年には、データプロでウェブコンテンツ制作事業を開始しています。
かつては「地方にウェブの仕事があるのだろうか」と思っていた時期もあります。しかし、自社でドメインを取得し、ウェブサイトを持つという文化は、少しずつ地元にも広がっていきました。父が地元を大切にしてお付き合いを広げてきたおかげで、仕事をいただくこと自体には困りませんでした。
とはいえ、従来とは違う分野で勝負するとなれば苦労も多かったのでは?
それ以前の部分での苦労が多かったかもしれません(笑)。私はウェブ制作会社に勤めていたとはいえ、お客さまと接する機会が少ない部署にいたので、戻ってきたばかりのころは名刺の出し方さえ知らなかったくらい。契約書の作り方も当然分かりません。制作においても、当時はウェブサイトを作る際によく使われる「要件定義」という言葉も知らず、とにかく一人でお客さまの要望を聞きながらサイトを作っていましたね。
「東京水準の仕事を徳島で」。営業のいないデータプロに新規案件が集まる理由
現在の御社のコーポレートサイトを拝見すると、地元・徳島の企業を中心に、多数のウェブ制作やグラフィックデザインの事例が掲載されています。地元への強い思いを感じました。
もちろん「思い」は強くあります。今では地元の有名企業の仕事も担当させていただけるようになりました。ですが、もともと制作事業では東京にアプローチする計画を立てていたんです。データプロがまだ社員数5名くらいの時期に、関西の企業から下請けの制作仕事をいただきました。これがきっかけとなって、月の収益が一定レベルで見込めるようになり、新たなスタッフを雇用して本格的に体制を整えていきました。そうして地元以外からも受注するうちに、「これなら東京のほうがもっとたくさん仕事があるよね」と気づいたんです。そこで東京にもオフィスを構え、3名のスタッフを常駐させてお客さまを開拓し、制作パートナーさんを増やしていきました。私自身も新宿に住んでいたことがあります。
一時的に事業の軸足は東京に置いていたのですね。確かに東京は案件が豊富だと思いますが、一方では競合も多いのではないでしょうか。
もちろんです。東京は同業者が非常に多く、お客さまへの提案でも常に高いクオリティを求められます。そこで鍛えられた東京水準の制作力やノウハウをもとに、東京水準のいわば「大江戸価格」よりも安く地元・徳島のお客さまへ提案してきたことが現在につながっているのだと思います。新型コロナウイルスの影響で東京オフィスは一旦閉じましたが、機を見て、再び東京でも頑張りたいと考えているところです。
顧客への提案の際には、どのようなことを大切にしていますか?
満足していただけるような、新しくてクオリティの高い提案をすることです。ウェブコンテンツ制作に携わっているスタッフは、東京水準のクオリティに恥じないよう、デザインやコーディングなどの勉強を欠かさず続けてくれています。データプロの地場の事業者としての存在感を支えているのは、こうしたスタッフ陣の努力あってこそだと思います。特にうれしいのは、弊社のスタッフが担当したお客さまから「彼のためにお客さんを紹介するよ!」と言っていただけることですね。一つ一つの案件に真剣で取り組んだ実績が紹介へとつながり、新しい仕事をいただけているので、データプロには営業職のメンバーが一人もいません。これは私たちが自慢できる部分だと思っています。
飲食テイクアウトや労務系サービスにも参入。地元企業にとっては「大手サービスが使いやすいとは限らない」
コロナ禍においては、自社事業として地元の飲食店に向けた「テイクアウトシステム」をリリースされています。
実はコロナ以前から、飲食店向けテイクアウトシステムの開発を進めていました。ここから生まれたのが多業種・多店舗向けの「tarte」(タルト)と個人店向けの「monaca」(モナカ)というサービスで、ともに2020年2月に正式リリースしています。
制作事業とはまた違うノウハウやリソースを必要とする事業だと思います。どのようにして開発を進めていったのでしょうか。
データプロにはエンジニアも在籍していて、少しずつメンバーを増やしています。彼らに各システムをパッケージングしてもらいながら開発を進めていきました。今後はテイクアウトシステムだけでなく、幅広い業種・業態に向けた労務系のシステムも提供予定です。従業員の応募・面接段階から退職までをフォローできるサービスで、すでに試験導入していただくお客さまが決まっています。
「好きなだけ都会で働き、いつでも徳島へ帰れる」体制が若い人を育てる
影本さんの、組織作りへの思いもお聞かせください。
私たちは「四国で一番自由なクリエイター集団」というスローガンを掲げています。東京や大阪など、都会にあこがれて地元から出ていくクリエイターは多いと思います。かつての私もそうでした。データプロが東京にオフィスを構えたのには、東京で仕事をたくさん獲得しようという目論見の一方で、「一度は東京で働いてみたい」と考えている若い人が多かったから、という理由もありました。とはいえ、人のライフステージは時々で変わります。何かのきっかけで地元へ帰りたいと考えるようになるかもしれない。そんなときに「東京と同様のクオリティで働ける場所が地元にある」ということも、働く個人にとって大きな価値だと考えています。それもあって、コロナ収束後にはなるべく早く東京オフィスでの活動を再開したいんです。
若い人にとっては「最初から地元で働け」と言われるよりも、「好きなだけ都会で働き、戻りたいときにはいつでも地元へ戻っておいで」と言ってもらえるほうがうれしいのかもしれませんね。
はい。データプロのドメインを持ったまま東京で働けるし、状況が変われば徳島でも働ける。そんな環境を維持していきたいと思っています。徳島のクリエイター業界、その水準アップのためには、若い人の力をちゃんと徳島に残しておくべきでしょう。だけど、最初から地元に若い人を縛りつけることはできません。一人ひとりの希望を叶えるのが、私の考える「四国で一番自由なクリエイター集団」です。これは地元へ貢献し続けるためには不可欠だと考えています。
今後は、どんな人材と一緒に働きたいと考えていますか?
データプロでは経験値やスキルは問いません。コーダーやデザイナー、エンジニアには専用の研修カリキュラムを作っていますし、幅広いスキルが求められるディレクターには、私自身の近くで仕事をしながら学んでもらっています。また、コーダーがデザイナーに挑戦するなど、今後は職種の領域を飛び越えて成長する機会も作っていきたいと思っています。
ありがとうございます。取材の結びに、将来に向けた展望をお聞かせください。
今は「徳島でもっと有名になりたい」と考えています。データプロという名前もそうだし、高いクオリティで仕事ができるウェブ制作会社が徳島にあるということも、ちゃんと伝えていきたい。そのためのTVCMや交通広告の出稿も検討しています。より多くのお客さまに「東京や大阪に発注しなくても、ちゃんと仕事ができる地元の会社がありますよ!」とアピールしていくつもりです。直近では、四国の同業者やフリーランスの方々とともに、クリエイティブ事業の協会を作ることにも取り組んでいます。競争ではなく「協業」の輪を四国に広げて、私たちが提供できる価値を最大化していきたいと思っています。
取材日:2021年4月20日ライター:多田 慎介
有限会社データプロ
- 代表者名:影本 陽一
- 設立年月:2001年1月
- 資本金:1,000万円
- 事業内容:各種ウェブサイトの制作、パンフレット・名刺・チラシ・ポスターなどのグラフィックデザインおよび制作、飲食店向けテイクアウトシステム「tarte」(タルト)および「monaca」(モナカ)の開発・運営、鹿革を利用し藍染したプロダクト「DIYA」ブランドの展開など
- 所在地:〒778-0003徳島県三好市池田町サラダ1674-1(阿波池田ヘッドオフィス)
- URL:https://dp778.co.jp/
- お問い合わせ先:上記コーポレートサイト内「Contact」から