大手サービスにはできない「安心・安全のリモート空間」を作る。愛媛から世界へ広がるセーバーの開発チーム
映像配信の深い知見に基づいて、社会のコミュニケーションを支えるシステム開発を手がけるセーバー株式会社。その技術は交通インフラや医療、エンターテインメントなど、多岐にわたる分野で活用されています。
コロナ禍で急激に高まるニーズへ、セーバーはどのようにして応えているのでしょうか。自身も技術者として第一線に立ち続ける代表取締役の二宮宏(にのみや ひろし)氏に、同社の技術力の背景や大切にしているスタンス、そして地元・愛媛で働くことの意味や思いを聞きました。
子ども時代からコンピュータ言語を読み、夢中でゲームを作っていた
二宮さんがテクノロジーに興味を持つようになった原体験をお聞かせください。
小学4年生のころ、当時はパソコンではなく「マイコン」と呼ばれていた最新機器が家にやってきました。それがテクノロジーとの出会いでした。日本の大手電機メーカーからさまざまな機種が発売され、テレビや雑誌、少年マンガ誌などでマイコンの特集が出始めた時期です。とはいえ、マイコンがある家庭はとても珍しかったと思います。私の父は銀行員で、いろいろな企業に出入りしていました。それで「これからはコンピュータの時代だ」と考えていたのかもしれません。当時『BASICマガジン』というコンピュータ言語が書かれた雑誌がありました。私はそれを読みながら夢中でマイコンを操作し、ゲームを作って動かしていました。そのころから、将来は情報系の大学に進もうと決めていましたね。
大学ではどのような領域を学んでいたのでしょうか。
「コンピュータ・サイエンス」の分野です。当時の大学の先生は、私にとっての大恩師。日本の情報処理系のトップに君臨する先生で、厳しい研究室でしたが、私はそこでコンピュータやテクノロジーに関する考え方を叩き込まれました。
研究職に進む道もあったと思います。結果的に企業人として歩み始めたのはなぜですか?
企業の現場で、仕事の手応えをスピーディーに感じたかったからです。私が特に興味を持っていたのは速度とパフォーマンスを限界まで追求するプログラミング。その成果を得られる場所は企業にあると思い、NECに就職しました。
急成長する会社でキャリアを積み、起業の道へ
NEC時代にはどのような仕事を手がけられていたのでしょうか。
私が関わっていたのは国の基幹システムです。スーパーコンピュータシステムにも携わり、ひたすら演算が早くなるように、処理速度の追求を楽しんでいました。
その後は地元・愛媛に戻られています。
1997年に、家庭の事情で愛媛に戻らなければならなくなったのです。帰郷後には、大手ゲーム機器メーカー向けの半導体ビジネスで事業拡大していたメガチップス社とのご縁がありました。同社はちょうどソフトウェアの研究部門を新たに作る計画を進めており、私はソフトウェア開発センターのセンター長として迎え入れてもらったんです。入社後は、20代の私がいきなり経営会議に参加することに。プレッシャーはありましたが、大学時代に研究していた領域と近く、動画と携帯を駆使したビジネスモデルを作り上げることとなり、充実した日々を過ごしていました。
独立・起業はそのころから考えていたのですか?
いえ。私自身は、将来自分が起業するなんて考えてもいませんでした。メガチップス社は、私が入社した2年後に東証一部に上場しています。急成長を続け、新規事業創出のために企業内ベンチャーを推奨していたのです。私はその一環として、メガチップス社からのバックアップを受けてセーバーを創業しました。
セキュリティの不安がない「企業専用の映像配信システム」を開発
御社のサイトを拝見して、BtoBの多岐にわたる領域で開発を手がけられていることが印象的でした。現在の事業領域や、特に注力されている分野についてお聞かせください。
セーバーでは双方向で映像を配信し、コミュニケーションの距離を縮めるためのツールとして、双方向で映像を配信するシステムをさまざまな分野に提供しています。最近ではオンライン会議システムが広がっているのでイメージしやすいのではないでしょうか。私たちの技術はBtoBの多分野に貢献できていると自負しています。交通インフラにおいてはリモート運転の技術として活用。また医療分野では、コロナ禍でニーズが高まった訪問診療を支えるオンライン診療システムを提供しています。さらにエンターテインメント分野でも、リモートで臨場感のあるライブを開催するための技術を開発してきました。セーバーという社名には「情報インフラを底支えできる存在でありたい」という思いを込めています。さまざまな領域の企業へ、縁の下の力持ちとして技術を提供し、社会を便利にしていきたいです。
広く一般的に使われているオンライン会議システムと御社の映像技術では、どのような違いがあるのでしょうか。
大手企業が提供するサービス型システムとの違いは、「ご利用いただく企業の専用品として開発できる」ことです。外部サービスはどうしても、提供する大手企業のサーバーを通過する必要があり、サービス利用者以外の事業者でも会話内容を見ようと思えば見られる状況です。そのため、セキュリティ面での不安が拭い去れないままになっていますよね。私たちは専用システムとして開発・提供するので、外部への情報漏えいリスクを最小限にできます。また、一般的なサービスは通信環境の影響を強く受けて「つながらない」という問題が起きることも。セーバーではこうした問題にも対処し、ほぼすべてのユーザーに安定した環境を提供してきました。
海外へ活動の幅を広げつつ、愛媛に軸足を置いて成長したい
こうした幅広い開発力の秘訣はどこにあるのでしょうか。
ひとつは、トップの私自身が技術者として多岐にわたる分野を経験しており、教える役割がしっかり果たせること。もうひとつは、日本だけでなく海外にも開発体制を広げていることです。国内外の従業員、総勢50名体制で開発にあたっています。国内の従業員数は13名ですが、ベトナムの開発拠点にも30名を超えるメンバーが在籍しているのは強みですね。
海外展開にも積極的に取り組んでいるのですね。
はい。現在は新型コロナウイルスの影響で中断していますが、東欧の国・チェコでの拠点開設計画も2年前から温めています。なぜチェコかというと、時差を活用した24時間の開発体制を作りたいからです。加えて東欧諸国は技術レベルが高い一方で、世界的に見れば賃金水準が低いという利点もあります。将来的には、日本にはいないような高いレベルの人材に出会えるのではないかと期待しているところです。
ゆくゆくは、セーバーが愛媛を飛び出していく可能性もあるのでしょうか。
ないでしょうね。海外へ活動の幅を広げつつ、今後も愛媛に軸足を置いて成長していきたいと考えていますから。私自身は、東京など県外で働いたこともあります。その結果として地元の居心地の良さや住みやすさがよく分かりました。私にとって大都会は「しんどい」んですよ。ただ愛媛は、交通の便や生活コストのバランスの面で優れていると感じていて。食べ物は安いし、身近なところに温泉もたくさんある。こんなに贅沢な環境で働ける場所は、そうそうないと思います。
地方には、ニーズも活躍できる環境もたくさんある
今後の組織作りについてもお聞かせください。ともに働く人には、どんなことを求めますか?
技術者には、自ら技術を高めていく能動的な志向を求めています。新しいトレンドについて積極的に話し合えるチームでありたいですね。また、仕事をする上では協調性がとても大切だと考えています。自分の都合だけで動くのではなく、チームを常に見渡して、困っている人がいれば相互に助け合える。そんな環境を作っていきたいのです。だからこそセーバーでは、単純に成果だけで人材を評価することはありません。チームの中での人との関わり方を重視しています。その上で、私たちと同じくらい愛媛を愛してくれる人であれば言うことはありません。
「これからは地方で働きたい」と考えているエンジニアやクリエイターも少なくありません。そうした方々へのメッセージをお願いします。
UターンやIターンへの不安として、「地方に自分を求めてくれる企業があるのだろうか?」という声がよく聞かれます。そう感じる人が多いのは、地方企業のアピールが圧倒的に足りないからなのかもしれません。実際のところ、私たちの地元にはエンジニアやクリエイターへの多数のニーズがあり、活躍できる環境もたくさんあります。遠く離れた場所でのリモートワークが当たり前となり、生活圏を地方に移しても問題はほとんどないはずです。地方で働きたいと考えている人にとって、今はまさにチャンスの時期ではないでしょうか。
取材日:2021年9月29日 ライター:多田慎介
セーバー株式会社
- 代表者名:二宮 宏
- 設立年月:2003年10月(創業1999年6月)
- 資本金:5000万円
- 事業内容:システム開発・コンサルティング、アプリケーション開発・パッケージ開発、インターフェースデザイン全般・コンテンツ企画、研究開発(動画・画像・音声)、携帯アプリ開発・ゲーム開発(PC、携帯、iPhone)
- 所在地:〒791-8021 愛媛県松山市六軒家町3番24号 丸五ビル6F
- URL:https://www.saver.jp/
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