WEB・モバイル2021.11.17

逆境の時こそ先を見る コンサート業界を軸にデザインを広げるタエラグラフィックス

大阪
株式会社タエラグラフィックス 代表取締役
Yusuke Takeda
武田 祐輔

関西を中心に、全国のコンサート関連の制作物を多く手掛ける株式会社タエラグラフィックス。世界的なオーケストラからピアニストにバイオリニスト、合唱団、ダンスまで、イベントを活気づける数多くのチラシを制作してきました。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、イベントが次々に中止となる未曾有の事態が発生。

過去最大の逆境の中で、代表取締役の武田祐輔(たけだ ゆうすけ)さんは先を見据えて新しい事業へ踏み出しました。

 

体育大学を卒業し、中東シリアへ

大学を卒業されてからすぐにデザイン関係のお仕事に就かれたのでしょうか?

いえ、大学を卒業して初めての就職先は「青年海外協力隊」。実は僕、体育大学の出身で、バリバリの体育会系なんです。中学、高校、大学までバレーボールに打ち込んできました。青年海外協力隊では中東のシリアで2年間、バレーボールの普及活動をしていました。

体育大学のご出身なのですね。デザインに興味はなかったのですか?

バレーボールをずっと続けていましたけれど、子どもの頃から絵を描くのも同じくらい好きだったので…高校生になって、美術系の大学にしようか、体育系の大学にしようか、進路に悩みました。そんなとき、部室にあったバレーボール雑誌の広告で青年海外協力隊の募集記事を見かけたんです。いいなあ、海外でこんな仕事をしてみたいなあ、と。条件に「指導経験があることが望ましい」とあったので、教員免許を持っていたら有利かも、と考えました。そこで、体育大学に進んで教員免許を取ろうと決めたんです。大学を卒業し、青年海外協力隊の選考にも無事通りました。

その後シリアに行き、日本に戻ってこられたわけですね。

はい。大学を卒業してすぐシリアに渡りましたが、日本に帰ってきてから何をするかは全く考えていませんでした。とりあえず就職活動をして、非常勤で中学校の体育の先生になることが決まりました。でも、当時の「体育の先生」は、不良学生が暴れているのを止めたり、体育館の裏でタバコを吸っているのを注意しに行くといった役割を任され、自分の性格とは合いませんでした。学校という枠組みの中に生徒を押し込めることを好きになれなかったですね。そこで改めて、これからの人生について考えました。高校生で選ばなかった美術系の進路を、もう一度選び直してみようか、と思ったんです。

そうしてデザインの道がスタートしたのですね。

23歳でデザインの専門学校に入学。昼間は印刷会社で働いて、夜に授業に通う、という生活を2年間続けました。友人とグループを組んでアートイベントに作品を出したり、尊敬しているデザイナーの先生に師事してデザインを教わったりと充実していましたね。自分のイラストを使ったデザインで仕事ができたらいいなあ、と漠然と考えていました。就職活動ではデザイン事務所や広告代理店から内定をもらっていたのですが、あまりピンとくる職場がありませんでした。当時のデザイン業界は無茶な働き方をしているところが多く、徹夜や終電が当たり前。面接官の方もほとんど寝ていないような血走った眼をしていて……。どうせしんどい思いをするなら、雇われるのではなく独立して苦労するほうが面白いんじゃないか、と考えたんです。そこで、卒業と同時に友人とデザイン事務所を立ち上げました。あまり深くは考えておらず、若さゆえの勢いで個人事業主になりました。

 

社名につけた「タエラ」は「飛行機」

独立されてからは、どのようにお仕事をされていたのでしょうか?

仕事はゼロの状態からスタートでした。学生時代に作った作品をポートフォリオにまとめて、印刷会社や広告代理店などへ営業に行く毎日です。知人の紹介で飲食店のチラシを作ったりして、何とか食いつないでいましたね。独立から1年が過ぎた頃、一緒に立ち上げた友人とは別々に仕事をすることになりました。そこからは個人で仕事を続け、5年ほど経った頃に株式会社を立ち上げました。徐々に仕事が増えてきており、法人にしたほうが取引しやすいクライアントもいると考えたからです。社名は「タエラグラフィックス」。「タエラ」はアラビア語で「飛行機」の意味なんです。僕がシリアで教えていたバレーボールは、アラビア語で「コラッタエラ」と言います。これは「飛行機ボール」という意味で、「コラ」がボールで「タエラ」が飛行機。もともと旅行が好きでしたし、世界各国の飛行機のデザインも好きだったので、自分の会社を立ち上げたときにはこの名前をつけたいとずっと思っていました。会社のロゴも飛行機のデザインなんですよ。

社名のユニークな響きはアラビア語から来ていたのですね。

会社が軌道に乗るまで、しばらくはきつい時期もありました。「飛行機」を社名につけているのに、低空飛行ばかり(笑)。転機になったのは、知り合いの紹介で始まったコンサート関係の仕事です。その頃、大阪にはコンサートに特化したデザイン事務所がありませんでした。紹介で広まり、徐々に安定して仕事が取れるようになっていきました。

コンサート関係のチラシ制作のポイントは何でしょうか?

コンサートのチラシで伝える情報の重要度は、「誰が」「どこで」「何をする」という順番になっています。デザインのトーンは、演奏する曲の雰囲気やテーマによっても変わりますね。オーケストラだと、やっぱりどーんと迫力のある感じが求められますし、逆にピアニストやバイオリニストのソロコンサートは、抑えめでシンプルなデザインにします。また、チラシはラックにさされるので、重なっても見えるようチラシの上部に大事な情報を持ってくるようにしています。自分がそもそも音楽好きなので、音楽にまつわるさまざまな要素を考えてチラシを作るのは楽しいです。

会社が軌道に乗り始めてからは順調に?

いえ、リーマンショックが起きた2年後の2010年ごろ、景気の悪化の影響を受けて、広告代理店から受けていた仕事がすべてなくなって……。ちょうどスタッフも増やして力を入れていた矢先の出来事だったので、かなり落ち込みました。そのときに「下請けばっかりやっていたらダメだ、デザインに関わる知識を広く身につけないといけない」と痛感したんです。それからは必死にマーケティングやコピーライティング、デザイン理論を勉強し直しました。自分がデザインの根拠を説明できなければ、お客さまにも納得してもらえないし、信頼してもらえないと考えたんです。勉強しながらコンサート業界に向けた自社サイトを作ったりDMを送ったりと営業活動を続け、少しずつ仕事を増やしていきました。かつての忙しさを取り戻していき、辛い時期を何とか乗り越えられたんです。

 

コロナ禍でコンサートの仕事が激減、過去の経験を糧に

コロナ禍ではコンサート関連のお仕事に影響が出ているのでは?

はい、コロナ禍は今まで経験してきた中でも最大の衝撃でした。何しろ、ほんの1カ月くらいでコンサート関連の仕事がすっかりなくなってしまったのですから。2020年2月には、予定されていたコンサートがほぼすべて中止になりました。その後も新しい仕事はぽつりぽつり程度。コンサートを企画しても中止になるかもしれず、入れられるお客さまの数も少ないので、チラシが作られなくて。コンサート関係の仕事はほぼ白紙の状態になってしまいました。

それは厳しい状況でしたね。相当しんどかったのでは?

意外と追い詰められはしなかったんですよね。先ほどお話したように、一度ごっそり仕事がなくなった経験をしていたからでしょうか。減ったとはいえ、1件でも依頼をいただいているうちはまだ大丈夫かなと思えました。むしろ、コンサートの仕事ができなくなった代わりに、勉強したマーケティングの知識を活かした事業をしたいと考えるようになりました。新しい商品やサービスを広めたくても情報発信がうまくできない中小企業向けに、発信のノウハウやSNSやブログの具体的な運用まで、トータルでサポートできるサービスを始めたんです。

厳しかった時期の経験がいま、活きているのですね。

今後は主力のコンサート分野においても、情報発信のサポートも含めた広い目線で手掛けていきたいと思っています。コンサートは年配の方がメインターゲットの業界ですので、これまではチラシやポスターなどの紙媒体が必須でした。しかし今回のコロナ禍で、お年を召した方もスマホを使いこなす方が増えた印象があります。情報発信の方法も、紙媒体からWebにだんだん移っていくでしょう。最近ではコンサートも開催されるようになってきていますし、このままコロナが収束すれば、従来の事業に新しく始めた事業が上乗せされることになります。一連のピンチも結果的にはプラスになる、と信じています。

 

「自分」を出さずに裏方で支える

学生の頃に思い描いていたデザイナーになれましたか?

デザインの勉強を始めてすぐの頃は、自分の仕事が作品集になる、みたいなデザイナーに憧れた時期もありました。しかし、仕事を長く続けていくうちに、その考えは変わりました。自分の作風よりも「商品の良さをどう引き出すか、そのためには何が必要か」を考えるほうが、やりがいがあって楽しいと感じるようになったんです。自分が前面に出なくてもいい。自分より上手なイラストレーターさんがいたら、その人に絵を描いてもらったっていい。最初に考えていたデザイナー像とは違うのですが、いろいろな媒体の特性を生かすプロデューサーのような立場で仕事に関われたら、と考えています。専門学校時代に尊敬していた先生が「デザイナーは、常に裏方の仕事だ」と言っていたのを思い出します。前に出て何かをする人と、そういった人たちを陰でサポートする人。人が2種類に分かれるとしたら、僕は“サポートする側”になりたい。新進気鋭のデザイナーと呼ばれて名前が売れるのも素敵ですが、僕は黒子の役目に徹したいと思っているんです。

これから叶えたい夢や目標はありますか?

“誰が作ったかわからないけど、誰でも知っている”ものを作りたい。これが昔からの夢です。デザイナーの名前が知られていなくても、誰もが一度は見たことがあるデザイン、というのがありますよね。それを1つは作ってみたい。「実はこれ、俺が作ってん」と言って周りをびっくりさせる、いつかそんなシーンが叶ったらいいなと思っています。

取材日:2021年9月28日 ライター:土谷 真咲

株式会社タエラグラフィックス

  • 代表者名:武田 祐輔
  • 設立年月:2011年7月
  • 事業内容:チラシ・ポスター・パンフレット等の制作、Web制作、企業のマーケティングサポート・ブランディングサポート、コンサートやイベントの集客サポート
  • 所在地:〒530-0047 大阪市北区西天満5-4-13 ユリスト西天満602
  • URL:https://taera-graphics.jp/
  • お問い合わせ先:https://taera-graphics.jp/contact/

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