空間演出企業が挑む地方創生。100年企業を目指し、アンテナショップ運営、バーチャル展示会で守りながら攻める
デザイナーとして株式会社シ・ピ・エル入社後、現場で年配の職人たちに鍛えられました。その後、大型イベントで事務局員として経験を重ねる中で会場デザインから企画、運営、実施管理に携わりやがてプランナーに転身。 現在は経営者として、イベント業務、小売・流通事業、デジタル部門へと業務の範囲を広げながら100年企業を目指す代表取締役社長、林美成(嘉成)(はやし よしなり)さんに次なるビジョンを語っていただきました。
戦後復興で開催された博覧会や展示会の装飾が会社の原点
貴社の歴史を教えていただけますか。
シ・ピ・エルは、まだ戦後の混乱期にあった1947年に装飾ディスプレイの企画製作を業務に設立されました。復興を目指して各地で計画された博覧会の開催や展示会の装飾を担ったのが会社の原点です。社名の「シ・ピ・エル」はCulture Publicity Laboratory(文化宣伝研究所)の頭文字をとって名付けられました。
石川県内ではディスプレイやイベント企画運営の老舗であり、業界をけん引する立場にありますね。
屋外広告業では石川県屋外広告業登録第1号であり、展示や装飾の専門企業として北陸はもとより全国各地に事業を拡大してきました。金沢市の街中で創業したのですが、夜を徹した什器の製作を行うこともあり、郊外へと移転を重ね、1986年には金沢市の南に位置する白山市(当時は松任市)に本社を移しました。
デザイナーとして入社、現場で鍛えられた若き時代
林社長の経歴を教えてください。
金沢市で生まれ育ち、高校のデザイン科で学びました。大学に進学するか、就職するか悩んだのですが、ある先輩に「大学で4年間過ごすのならば、現場で4年間を過ごしたほうが伸びるぞ」と言われたことから就職の道を選び、シ・ピ・エルにデザイナーとして入社しました。
入社後は順調に経験を積まれたのですか。
20歳すぎの頃でしょうか、大きな失敗をしてしまいます。設計の世界ではミリ単位で設計図を作成しますが、現場の職人さんたちは尺寸で製作を進めます。図面上はミリで書かれているため、尺寸に計算し直して現場に指示を出す必要があるのです。ある企業の展示会の現場でオープン前日に確認すると、寸法が合わないことが分かりました。自分の計算ミスが原因でした。職人さんたちは時間が来たので「自分でやれ」と言って帰って行きます。見かねた先輩が手伝ってくれ、夜通しかけて作り直しました。翌朝、早い時間から職人さんたちが次々と現場に来て作業を始めてくれました。ミスをした若い社員をカバーしてやろうということだったのでしょう。なんとかオープン時間には間に合いましたが、「この先、絶対にミスはしない」と固く誓いました。
仕事に取り組む上で転機はありましたか。
一つ目の転機は、1980年に金沢市で開催された「中華人民共和国展覧会」でしょうか。配属されていた設計監理室でデザインと施工管理の末端スタッフでしたが、開会前から会期終了まで40日以上にわたって毎日現場に通い、ディスプレイを中心に会場内の整備を行いました。日中国交正常化を記念したイベントで、官民挙げてさまざまな分野の展示物が並べられ、多数のお客さまが詰めかけました。同時に現場ではいろいろな問題が起こったのですが、他のスタッフと力を合わせて対処したことで、終了後は大きな手ごたえがありました。
他にも多くの大型イベントに関わってこられました。
このイベントがきっかけとなり、博覧会や展示会の運営やディスプレイが天職だと感じるように。イベント開催情報にアンテナを張り、行政や広告代理店などに積極的なアプローチを繰り返しました。全国菓子大博覧会、全国都市緑化石川フェア、加賀百万石博、食と緑の博覧会、国際ソーラーカーラリーといった石川県内で開催された大型イベントでは会場ディレクションや事務局業務、構成、運営計画などを担当しました。この過程で自分自身はデザイナーからプランナーへと転身していきます 。
さらに訪れた転機を教えてください。
弊社は首都圏の情報収集や営業拡大を図るため2002年に東京オフィスを開設しました。そして私が30代の頃から、市場の大きな首都圏での業務を展開するべきだと考えて経営陣に提案してきたプロジェクトが動き出しました。とはいえ、単純に「石川県の企業が東京に事務所を開いたので、石川県ゆかりのお客さまの仕事をします」では通用しません。スタッフには「石川県の企業が支店を置いたという位置づけではなく、『東京に本拠のある企業』を目指そう」と首都圏の市場をターゲットに営業活動を進めてきました。おかげでいくつかの国際博覧会や省庁のイベント、東京モーターショーなど初めての経験を重ねることができました。2022年3月で東京オフィスは、開設から20年を迎えます。
この東京への進出が、二つ目の転機です。実際に首都圏のお客さまと面談したことで、石川県自体の認知度が低いことを思い知らされたのです。石川県の魅力や情報を伝えて知名度向上を図る必要を感じ、石川県の紹介イベントやキャンペーンなどを積極的に受託しました。また2015年の北陸新幹線金沢開業により、東京-金沢が最短2時間28分で結ばれるようになったことも追い風に。石川県の知名度がかなり高まり、観光やMICE(※)によって交流人口も拡大しました。弊社も石川と首都圏の橋渡しができる企業としての役割を担えるようになりました。
※MICE(マイス)
Meeting(企業や団体の会議・研修・セミナー)、Incentive tour(企業の報奨・招待旅行)、Convention またはConference(国際機関や団体などが開催する大会・学会・国際会議)、Exhibition(展示会・見本市・商談会)の総称。一般の観光旅行に比べて経済・消費活動が幅広く地域に大きな経済効果を生み出すとされる。
石川県の知名度を高めるため、首都圏のキャンペーンやイベントに注力
新たな事業の取り組みを教えてください。
2020年に小売流通部門に進出しました。弊社にとっては新たな分野への挑戦です。首都圏と石川をつなぐ企業としての強みを生かすとともに、地域社会貢献を目指して、石川県のアンテナショップ「いしかわ百万石物語・江戸本店」(東京都中央区銀座2丁目)の店舗運営を県から受託しました。弊社は展示会やディスプレイなど従来の業務を通して流通業のお客さま、食品や地場の製造・小売業のお客さまとのチャネルがあり、その実績をもとに立案した運営業務が、提案型コンペで認められたのです。
手ごたえはいかがですか。
運営を開始したタイミングで新型コロナウイルス感染症が拡大し、店舗の営業は大きな影響を受けて厳しい状況が続いています。そこで地場産品を販売する独自のオンラインショップ「しらやま商舗」(SHIRA・YAMA・YA)を立ち上げました。また石川県のふるさと納税返礼品の業務を請け負うなど、オンラインを通して石川県内の商品のPRに努めています。
コロナ禍で大規模イベントが制限されたり、展示会が中止になるなど、売上にも大きな影響があったのではないでしょうか。
予定されていたイベントが中止になり、弊社のお客さまも業種によっては休業するといった事態が生じました。新型コロナウイルスという見えない敵との戦いは続いています。それでも、コロナ禍が拡大する前から促進してきた、社内業務のデジタル化や、リモートワークや、在宅勤務といった働く形態を見直すことができたのは、良い成果だといえます。さらに、デジタル技術を生かし、バーチャル展示会やWebサイトとリアルを併用したハイブリッド形式のイベントにも取り組むことができました。 ちょうどデジタル化の推進を図ろうと考えていたタイミングに、コロナ禍で背中を押された形ですね。新たなスタイルのイベントの創出、働き方改革のきっかけになったと前向きに考えています。2022年は創業75周年、東京オフィス開設20周年の節目の年であり、コロナ禍に負けることなく、100年企業を目指して「守りながら攻める」ハイブリッド経営を推進していきます。
次代に向けて心掛けていることはありますか。
新しい価値を見いだして地域社会に貢献することを経営理念に掲げています。 『想像から「創造」へ』という点も意識しており、アイデアを駆使して、多くの人が喜ぶ空間を提案し続けます。社名の「シ・ピ・エル」はCIに合わせて、Communicate, Product & Layout としました。とはいえ、原点は設立時の「Culture Publicity Laboratory(文化宣伝研究所)」にあります。常に研究して提案を行い、成長する企業でありたいと思っています。そして、新しい文化の構築に挑んでいきたいと考えています。
取材日:2022年1月27日 ライター:加茂谷 慎治
株式会社シ・ピ・エル
- 代表者名:林 美成(嘉成)
- 設立年月:1947年5月30日設立
- 資本金:5,000万円
- 事業内容:ディスプレイ及びインテリアの企画設計、デザインプロデュース、制作施工、博覧会、見本市、展示会等、サイン、モニュメント、各種プレート、イベント、セレモニーなどの企画から進行・運営までワンストップで受注
- 本社・北陸本部 所在地:〒924-0032 石川県白山市村井町1675-5
- URL:https://www.cpl-japan.com/
- 連絡先:
Mail: Tel:076-275-8111 Fax:076-275-8282