「今が不運でも、心持ちと行動次第で大きく変化する」デザイン・ギャラリー・住宅、クリエイティブをベースに幅広い事業を展開
TシャツのOEM・ODM企画・デザイン・制作を中心に、ギャラリー事業やデジタル関連事業、住宅会社との連携など幅広い事業をグループ企業と展開する株式会社AZOTH(アゾット)。同社の代表・相澤謙市(あいざわ けんいち)さんに、創業からこれまでの事業展開やそこに秘めた思い、今後の展望などについてお話を伺いました。
ガレージで小さな専用プリンター1台からTシャツづくりをスタート
創業までの来歴を教えてください。
高校を卒業後、大工の見習いやトラックの運転手、ルート営業の仕事などを転々とした後に、23歳で起業しました。ラーメン屋を皮切りに、カフェバー、タトゥーショップなど結構な数の商売を作ってきて、すべてそれなりに上手くやってきたのですが、商売が軌道に乗り出すと、人に売ったり譲ったりしていたんです。しかし、30歳のとき、結婚を機に安定した商売を作らなければならないと考えました。
そこで自分と向き合って考えた結果、自分はやりたいことをやっていないと思ったんです。人は好きなことなら苦にならずに続けられますし、好きなことは得意なことでもあります。得意なことなら商売の強みにも変わると思い、自分の得意なことに目を向けるようになりました。嫌々やっている人や、仕事だと割り切ってやっている人とは大きな差が生まれますので、自分自身が飽きずに打ち込めるビジネスを模索して、たどり着いたのがTシャツの企画・製造でした。
Tシャツ制作を始められた具体的なきっかけはあったのでしょうか?
きっかけとなったのは、サーフィン仲間から一緒にやらないかと誘われたことです。Tシャツなら、小さな専用プリンター1台で始められるという話を聞き、面白そうだと、狭いガレージで作り始めたのが、出発点になりました。シルクスクリーン印刷のことはまったく知識もありませんでした。私はファッションやデザインがもともと好きでしたし、アパレルには「華」があると思ったんですね。また、Tシャツは世界中で共通するアイテムですから、世界にも目を向けたビジネスができると考えたのが大きな理由ですね。
事業を始めて、すぐに軌道に乗ったのでしょうか?
最初はクラブやサークルのTシャツづくりがメインの個人事業で細々としたスタートでしたが順調に仕事も増えて、2004年に法人化しました。その後、停滞を感じる時期もありましたが、法人化して1、2年ぐらいの頃に、お台場のビッグサイトで行われたイベントで「クリエイターズビレッジ」というゾーンに出展したことが、大きな飛躍の契機となりました。
そこで当社オリジナルデザインのTシャツを展示したところ、人だかりができるほどたくさんの人が訪れ、非常に高い注目を集めることができたんです。多くのアパレルメーカーから「ウチで販売するTシャツも作ってくれないか」とお声がけいただき一気に取引が増えて、東京支社を作るなど業容を拡大させていきました。
また、JETRO(日本貿易振興機構)に支援いただいて、海外にも進出し、世界的なエグゼグティブブランドとも取引を実現しました。ニューヨークでは、アパレル業界で世界的に有名なセレクトショップに飛び込み営業したところ、たまたまその場にいたオーナーに絶賛いただき、「(持ってきたTシャツ)全部置いていけ」と言われたりもしました。
リーマン・ショックや東日本大震災などいくつもの困難を打破
では、海外展開も順調に進んだのですか?
いえ、海外での取引を拡大していた2008年に、リーマン・ショックが起きたんです。為替レートが一気に急変して、売れば売るほど赤字になるような事態になってしまい、海外での取引は一旦すべて撤退しました。
そのときに、ファッション界で有名なコレクションに出るという目標を立て、取引先のブランド名で間接的にではありますが、「パリコレ」をはじめ世界で名だたるすべてのコレクションに出ることができました。周りからは無理だと一笑に付されましたが、実現できて嬉しかったです。経済の市況もだいぶ持ち直して、さあまた本格的に海外展開というところで、2011年の東日本大震災が起きてしまったんです。
東日本大震災では、どの程度の被害を受けたのでしょうか?
3.11の大地震で、工場が全壊しました。その時期は夏に向けて、Tシャツのオーダーが一番殺到する繁忙期ということもあって、さすがに3日間は落ち込みました。
しかし、関わりのある日本全国の工場から「ウチの工場を使っていいよ」「場所貸すから」という声を掛けていただき、翌週にはスタッフを連れて京都に行き、貸していただいた工場で製造を再開させました。今まで厳しい注文をいただいていたお客様も、「手を貸すよ」と言ってくださったり、困っているだろうと、今まで以上にオーダーしてくださったり、いろいろな人に助けていただきました。忘れられないエピソードです。
震災後に借りた工場は、水害に非常に弱く、2015年の記録的豪雨の際に全浸水する被害を受けました。しかしこれまで、それ以上の困難を乗り越えてきたので、もうそのときには動じませんでしたね。その後も、大きな台風の度に浸水被害を受けましたが、もう慣れっこになっていましたし、災害にはだいぶ強くなったように思います(笑)。
リノベーションビルを社屋にした現在のオフィスに移ったのはいつですか?
2019年12月に、住宅のデザイン性や空間設計に長けるT-Planとオフィスをシェアする現在の社屋に移りました。T-Planは私が顧問を務めており、元から関係性ができていたこともあるのですが、オフィスをシェアすることで、お互いに刺激し合い斬新な発想や閃きが生まれるクリエイティブな空間になりました。
住宅展示場を持っているTシャツ工場は他に類を見ないと、アパレル業界の専門紙に取り上げられるなど、PR効果も非常に大きなものがあります。映画のロケ現場にも使われたこともありますし、訪れたお客様からは「ここ、オフィスの機能以外の情報量多すぎ(笑)」と言われたりもしますね。
今が不運でも幸運でも心持ちと行動次第で大きく変化する
今のオフィスでは現代アートのギャラリーも行っているそうですね
つながりのあった東京のギャラリストから、東北芸術工科大学(以下、東北芸工大)の学生の個展を開いてはどうかという提案を受けたのがきっかけですね。東北芸工大は近年、他の有名美大に負けないほど、数多くの作家やアーティストを輩出していますが、アプローチできないので、若い才能が世に出ていく場をプロデュースしたいと考え、ギャラリー運営も始めました。
すでに、弊社のギャラリーで個展を開いた方の中から、世界的な評価を集める現代アート作家が生まれています。ギャラリーを運営することで、作家や美大生との出会いから、自分たちも刺激や閃きのヒントをいただいています。打ち合わせに来たAZOTHやT-planのお客様にも喜んでいただけるというのも大きいですね。
現在のメンバー構成を教えてください
現在、社員が17、8名です。大まかに営業・マネジメント、製造、デザインと部署は分かれていますが、厳密な区切りはないですね。基本的に、製造現場で生地や加工について実地で学び、営業・マネジメントで商流やお客様対応を一通り経験してからデザインへという流れはありますが、デザイン担当者でも時には製造現場に入ったりして柔軟な体制があります。
当社のほとんどすべてのスタッフが美大やデザインの専門学校を出ています。みんなデザインが好きというよりも、モノづくりが好きで、クラフトマンシップを持っていると感じますね。すべてのスタッフが全工程に精通していることで、なにより、お客様の要望を踏まえた上で、最善の加工技術、デザインを提案できるというのが当社独自の付加価値であり、最大の強みともなっています。
今後の事業展開について教えてください
直近では、キッチンカーカフェ事業の展開や、近隣に作家アトリエの設立を検討しています。また、現在の社屋でアートスクールやTシャツワークショップ、デジタルツールのスクールの開催を考えています。 中長期的視野では、T-Planやグループでeスポーツ事業をメインに手がける株式会社バサラ(https://www.creators-station.jp/interview/legends/158371)と共同で、文化、歴史、芸術、観光、地場産業などのリアルをデジタルと融合させていくビジネスを計画中です。
この先どう変化していくのか楽しみではありますが、はっきりとは分かりません。しかし、デザインやクリエイティブをベースにしていくことだけは確かです。
シルクスクリーンや洋服製造の知識などまったくないところから始めた22年前には、住宅建築に携わり、現代アートギャラリーの運営までやるとは微塵も想像していませんでした。すべては成り行きの中で芽生えた発想に、果敢に挑戦して形にしてきた結果が今につながっています。スタッフや若い人たちには、今が不運でも幸運でも、心持ちと行動次第で大きく変化することだけは伝えていきたいと思っています。
取材日:2022年4月11日 ライター:高橋 徹
株式会社AZOTH(アゾット)
- 代表者名:相澤 謙市
- 設立年月:2004年12月
- 資本金:11,000,000万円
- 事業内容:繊維衣料の企画・製造・加工、アパレル製品のOEM・ODM、グラフィックデザイン・コンテンポラリーアートギャラリー
- 所在地:〒984-0015 宮城県仙台市若林区卸町2-5-7
- URL:https://www.azoth-net.jp/company/
- お問い合わせ先:上記HPの「お問い合わせ」より