「頑固」「不器用」と言われても気にしない。木を知り尽くした“本物の大工集団”が守り続けるこだわり
皆さんは「職人」という言葉から何を連想するでしょうか。強いこだわり、曲げない信念、時として頑固……? 有限会社匠を率いる棟梁・渡辺智紀(わたなべ とものり)さんは、まさにそんな職人のイメージを体現する存在だと言えるかもしれません。
効率性を追求した現代の家作りに背を向け、昔ながらの大工の技術を追求。そのこだわりはオリジナル木製家具製作にも反映され、同社の看板製品である「ヘラチェア」は一脚17万円以上と高額であるにも関わらず注文が殺到し、納品まで8カ月待ちの状態だといいます。なぜ渡辺さんは、頑なに職人としての価値を追いかけ続けているのか。その原点にある思いを聞きました。
木を知り尽くし、自由自在に操る「昔ながらの大工」にあこがれた
渡辺さんが職人を志した経緯を教えてください。
僕は小学校から高校まで、陸上・水泳・バスケットボールとスポーツ漬けの日々を送っていました。高校3年生のときにはスポーツ推薦で進学する話をもらっていたのですが、当時の僕は「早く社会へ出て稼ぎたい」「地元・新潟を出て県外で暮らしてみたい」という思いが強く、学校の先生から紹介された埼玉の建設会社へ就職することにしたんです。
その会社は埼玉県内で三本の指に入る規模を誇り、企業内訓練校も持っていました。僕はそこで大工の基礎を学び、入社1年目から「技能五輪」という職人の大会に出場。全国大会に進んで7位に入賞することができました。
早い段階から結果を出していたのですね。
単に負けず嫌いだっただけです。学生時代にスポーツで高いレベルの人たちと競い合い、負ける悔しさもたくさん経験していた僕は、「良い思いをしたければ人一倍努力しなければならない」という信念を持っていました。当時は同期の中でもいちばん練習に励んでいたと思います。まだまだ素人同然の自分でしたが、大工は努力が実る仕事なのだと実感し、「ものづくりは自分に向いている分野だ」と思うようになっていきました。
その後は、埼玉で働き続けていたのでしょうか。
実を言うと、その建設会社でお世話になったのは2年間だけでした。今にして思えば本当に生意気な若造でしたが、現場で先輩たちの仕事を見ているうちに「ここでは本物の職人を目指せないのではないか」と感じたんです。その会社自体に問題があったわけではありません。強いて言うなら、「今どきの家作り」への違和感ということになるでしょうか。
現代の木造住宅では、効率化や低価格化を追求してきた結果として、大工が現場で木を切ることなく成立する工事が主流となりつつあります。設計図に沿ってあらかじめ工場で木を加工する「プレカット」と呼ばれる手法です。大工の多くは、そうした材料を現場で組み上げていく、いわば「組み立て屋さん」と化してしまっています。
この手法自体を批判しているわけではありません。ただ僕は、木の特性を知り尽くし、現場で自由自在に木を切り出す昔ながらの大工仕事にあこがれていたんです。地方に行けば昔ながらの知識や技術が残っているかもしれない。そう考えて地元に帰ることにしました。
その後は知り合いから紹介してもらった新潟の建設会社に入社。約13年間お世話になり、厳しい先輩たちのもとで職人の技術と気概を叩き込まれました。学校だけでは得られない学びがたくさんあったと思います。あの時期は僕にとって、本当に貴重な下積み期間でした。
業界の先輩から「頑固」「不器用」と評される匠のこだわり
独立を考えるようになった経緯は。
僕は職人として働きながら、「いずれは社長になって、金持ちになって……」という夢をずっと描いていたんです。本格的に独立を考え始めたときには、周りから反対されましたけどね。「不景気なのに大丈夫なのか」「仕事がなくなったらどうするんだ」と。
それでも僕は、自分の「やりたい」という気持ちに従って独立する道を選びました。もし失敗しても、そのときにまた考えればいい。未来のことなんて誰にも分からないし、何もやらなければ成功はないわけですから。
いわゆる「一人親方」になって、仕事を取っていく苦労はありませんでしたか?
もちろん苦労はありましたよ。それでも僕は独立当初から「下請け仕事はしない」と決めていました。家作りへのこだわりを貫くために、間に元請けの会社や営業担当者を挟まず、家を建てる施主さんと直にやり取りをしたいと考えていたからです。下請けで仕事をもらっていたほうが楽であることは間違いないのですが、それでは職人としてのやりがいを満たしきれないと思っていました。
コーポレートサイトでは家作りへの信念として「プレカットではなく大工さん自身が線を引き、加工し、現場で組み立てること」を挙げられていますね。
先ほども触れたように、元来の日本の家作りは、木に精通した大工の技術と知見によって支えられてきたんです。でもプレカットで効率化された家作りが主流になり、日本には大工と呼べる大工がいなくなりつつある。業界では「だいく(大九)」にまで至らないという意味で、「だいろく(大六)」や「だいなな(大七)」などと揶揄されることもあるんですよ。
僕はその流れに抗いたいと思っています。木を知り尽くしたプロフェッショナルとしての大工が家作りに携わるようにしたい。業界の先輩たちからは「頑固だな」「不器用な生き方だな」と言われますが(笑)。
効率化や合理化に背を向けながらも経営を成り立たせている秘訣はどこにあるのでしょうか。
経営は下手くそですよ。ついお客さんに情が入って、びっくりするくらい破格な値段で仕事を請け負ってしまうこともあります。とはいえ、匠として安売りをしたいとは考えていません。職人としての自分たちの価値を知っていただき、適正価格で発注していただけるように心がけてきました。
その積み重ねでしょうか。最近では「家を建てるなら匠にお願いしたい」と指名してくださるお客さんが増えてきました。本物の技術力を持ち、優れたデザインを提案できるというブランディングが地域に浸透しつつあります。だから、いわゆる「ローコスト住宅」の大手と競合することはほとんどありません。
少人数でやっているので、お声がけいただいてもすぐに着工できないことがあります。その意味では逃してしまっているお客さんも多いのかもしれない。それでも、一つひとつの家、そして何より、その家に住むお客さんとしっかり向き合いたいので、闇雲に人を増やすことはしません。
納得できるまで世に出さない。「8カ月待ち」の人気家具ができるまで
現在ではデザイン性に優れた木製家具製作が話題となり、女性家具職人・長内優依さんの存在も注目されています。家具を手がけることになった経緯や、長内さんとの出会いについてお聞かせください。
家を建てれば次に必要となるのは家具です。自分たちの感性やデザイン性を生かし、本物の木を使った無垢家具を製作したいと考えていました。
そんな折に、かんなでいかに木を薄く削り出せるかを競い合う「全国削ろう会」で長内と知り合ったんです。長内はSNSを通じて以前から僕を知ってくれていたらしく、世間話で盛り上がりました。僕がふと「腕のいい家具職人を採用したいんだよね」と話したところ、長内は「私、働きたいです!」と。
最初は社交辞令だと思っていたんですよ。当時の長内は埼玉で暮らしていたし、小さい子どももいる。新潟へ引っ越してまで働くわけがないと思うじゃないですか。でも長内は、その後も「本気で匠で働きたい」と連絡をくれて、入社してもらうことになりました。
それから約4年間。現在の主力製品である「ヘラチェア」に行き着くまでには、僕から厳しい要望を出し続けてきました。「納得できるレベルのものが完成するまでは世に出さないよ」と。試行錯誤を繰り返してきた長内は大変だったと思います。
そのヘラチェアはテレビ番組『所JAPAN』(フジテレビ系列/関西テレビ制作)でも紹介されました。百貨店で展示会を開いたところ、短期間に40件もの注文が殺到したと。匠の家具が注目され、多くの人に愛される理由はどこにあるのでしょうか。
ヘラチェアは一脚17万円以上。決して安くはない品物なのに、これだけの注文をいただけるのは本当にありがたいことだと思っています。
匠の家具は、職人が削ったり研いだりといった細かな工程をすべて手作業で進めて完成させます。百貨店の展示会では、ただ商品を並べて販売するだけではなく、その場で削りを実演させてもらいました。職人の実演を生で見て、品物ができあがるまでのストーリーにも共感してもらえたからこそ、これだけの注文をいただけたのだと考えています。
現在はオンラインショップ「You.i. From匠」を開設し、ダイレクト販売も手がけていますね。今後はどのように販路を広げていくのでしょうか。
いずれは長内を中心として、匠の傘下で家具ブランドとして独立していく構想を描いています。オンラインショップに加えて実店舗も構え、ダイレクト販売の場を広げていきたいとも考えています。
ただ、職人がすべて手がける一点ものということもあって、現在は注文から納品まで8カ月待ちの状態になってしまっているんですよね。待ってくださっているお客さんがたくさんいるので、新たに家具職人を採用・育成して、体制を強化すべく動いています。並行して新商品開発も進めているところです。
大工という仕事の本当の魅力を発信していきたい
地元への思いもお聞かせください。貴社のFacebookページを拝見すると、糸魚川DIY教室や職業体験などを地元の子どもたちへの「木育活動」として紹介されていますね。
今後の社会の担い手は子どもたちです。僕たちは木を知っているから、木に興味がある子どもには、教えられることをどんどん教えたいと思っています。
ただ、格好つけて「木育」という言葉を使っているものの、僕の感覚としては木を通じて子どもたちと遊んでいるだけなんですよね(笑)。職場体験では地元の中学生を受け入れています。学校からは「仕事の厳しさを伝えてほしい」とオーダーされるんですが、それは大人になれば嫌でも分かるじゃないですか。それよりも、木に触れる喜びを実感して、楽しい思い出にしてほしいと思っています。
ものづくりを体験してもらう中で、子どもたちの集中力に驚かされることもありますよ。大工道具を使って木を加工することに興味を持ち、柔軟な発想で取り組んでくれています。ここから将来の大工、それも本物の木の魅力を知る大工が生まれたらうれしいですね。
今後に向けては、どのような展望を描いていますか。
以前は会社を大きくするつもりはなかったのですが、最近は考え方が変わりつつあります。職人の意識を変え、大工の世界を変えるには、自分が地元で小さくやっているだけではダメかもしれないと思うようになったんです。おこがましいかもしれませんが、「匠はこだわりを貫き続けられているよ」と伝えて、できるだけ多くの人に知ってもらいたいんですよね。
最近はいろいろな人から、隣の市への進出を求められています。大手ハウスメーカーが大きなシェアを持っている地域なので、生活のために下請け仕事をしている職人さんも多いでしょう。僕たちは大手と真っ向勝負をしながら、そんな職人さんにも本物の技術を見せていきたいと考えています。
僕たちの仕事ぶりに共感してくれる職人仲間が増えれば、少しずつ大工の世界は変わっていくはず。そして、これからの建築を担う若い人たちにも、大工という仕事の本当の魅力を発信していけるはずです。
取材日:2022年5月27日 ライター:多田慎介
有限会社 匠
- 代表者名:渡辺 智紀
- 設立年月:2013年1月
- 資本金:300万円
- 事業内容:木造注文住宅の新築・リフォーム、オーダーメイド木製家具製作
- 所在地:〒941-0066 新潟県糸魚川市寺島2-9-5
- URL:https://www.takumi-123.com/
- お問い合わせ先:上記コーポレートサイト内「Contact」より