グラフィック2022.08.10

色を見ればCMYK値がわかる。「絶対“色”感」を活かした美麗印刷と企画力で着物業界から厚い信頼

京都
有限会社オフィス京都 代表取締役 
Hiroshi Osaki
大﨑 浩司

「『その他大勢』に埋もれたくないんです。この髪型なら、一度見たら忘れないでしょ?」と茶目っ気たっぷりに話す、有限会社オフィス京都 代表取締役の大﨑浩司(おおさき ひろし)さん。印刷業界で30年以上の経験を持つ、この道のベテランです。オフィス京都が得意としているのは、振袖や留袖といった着物関係の印刷物。デザインだけではなく、企画の提案やモデル撮影の手配、ウェブサイト制作と、プロモーションを丸ごと引き受けてくれる安心感から、全国の呉服会社の引き合いが絶えません。「わからないことは、とにかく聞く」をモットーに現場で学び続けてきた大﨑さんに、これまでの印刷人生を振り返っていただきました。

「かっこいい」求人票との出会いから
4色のインクが織りなす印刷の世界へ

印刷の仕事に関わるようになったきっかけは何ですか?

大学時代は教師になろうと思っていたんです。苦労して教員免許を取りましたが、採用枠がひとつもなくて。公立学校はもちろん、私立学校も10年以上待たないと空きが出ないと言われ、途中から一般企業への就職活動に切り替えました。とはいえ、就職活動のピークはすでに過ぎていました。さてどうしようかと大学の就職課に行ってみたら、ある求人の貼り紙が目についたんです。「横文字で書かれていてかっこいい」という理由で応募したのが、印刷の製版会社でした。

印刷業界との出会いは偶然だったのですね。

そうです。仕事は、毎日が驚きの連続でした。私は営業職でしたが、印刷の現場によく通っていました。そこには、何気なく目にしていた雑誌の写真がレタッチされていたり、4色のインクだけであらゆる色が刷られていたりと、これまでに知らなかった世界が広がっていたんです。

「悔しい」-その想いをバネに
何でも聞いて覚えた印刷の知識

大﨑さんが入社された頃は、まだDTP(DeskTop Publishing)印刷が登場していなかった時代ですね。

はい、今でこそDTP印刷が主流になり、パソコンですべてのデータを作るようになりましたが、私の時代は「版下」の作成や製版、印刷など、ひとつひとつの工程を専門家が手分けして行っていました。版下は印刷の「版」を作るための設計図。製版会社は、版下をもとにC(シアン)、M(マゼンダ)、Y(イエロー)、K(ブラック)の4色の版を作ります。それを印刷会社が受け取り、それぞれの色を順に重ねて刷ることで色を表現していました。

製版会社と印刷会社が分業していたのですね。

すべてが手作業で、しかも工程によって担当者が違うため、色を表現するのは簡単ではありません。私の役割は製版会社の営業として、お客さまと印刷会社をつなぎ、希望の色味が印刷できるようにすること。お客さまから「想像していた色と違う」と言われて現場に伝えたら、ベテランの方に「こっちは指定通りに印刷しているぞ!」と叱られることも。最初は何も分からず、全然相手にしてもらえませんでした。悔しさがバネになり、現場では何でも聞いて勉強するようになりました。印刷会社やデザイン会社へ行った時には、何かひとつ学ぶまでは絶対に帰りませんでした。
現場に貼りついて印刷を学ぶうちに、色のCYMKの値がそれぞれ何パーセントか、見ただけでわかるようになりました。音楽でいう絶対音感のようなものです。今でも「この色にするには、シアンをあと10パーセント足して」とデザイナーに言うと「何でわかるんですか?!」とびっくりされます。

現場で見て、聞いて、学んで、スキルを身につけてこられたのですね。

どのようなことに対しても、その裏側にある原理原則が知りたい、と思ってしまう性格は、小さい頃から変わっていないようです。「なんで?」「なんで?」と常に聞いてくる子どもだったらしいので(笑)。「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」。何でも人に聞いて学ぶのが一番です。

体を壊し、キャリアを一時中断するものの
第2の印刷人生がスタート。そして独立へ

営業と現場で学ぶ生活は忙しかったのではないですか?

印刷の仕事は楽しかったものの、体には相当無理をさせていました。毎日朝8時半に出社して、帰ってくるのは深夜。遊びに行ったりもできなかったので、友人ともすっかり疎遠になってしまいました。そのような生活を続けて3年目、とうとう体を壊してしまい、退職せざるを得なくなってしまったんです。

そこで一度、印刷の世界からは離れたのですね。

退職後、4か月ほどフォーミュラー(F3,F3000)に関わる仕事をしましたが、地元の京都に戻って将来を考えることに。以前親しかった得意先にあいさつに行ったところ、社長に「良かったらうちで働かないか」と言われたんです。その会社は印刷物の企画会社で、着物のカタログやパネル、チラシなどを多く手掛けていました。そこで再び、営業職として印刷の世界に戻ることに。13年間働いて取締役にもなり、会社を引き継ぐ話も出ていました。しかし事情があり、会社を離れることを決断。別の道を選択することになりましたが、ここでの経験が、現在のオフィス京都の事業につながっていきます。長年コンビを組んでいたOさんという女性のプランナーとともに、「独立して自分たちの会社を立ち上げよう」と決意しました。

信頼できる仲間と2人で独立
最初の事務所はワンボックスカー

「いつかは自分で会社を立ち上げたい」と思っていたのでしょうか?

いえ、そのつもりはまるでありませんでした。また、ちょうど同じ時期に、大手広告代理店から転職のオファーをもらっていたんです。私は結婚して子どももいましたから、家族を養うためにはそちらの道を選んだ方がいい。でも、それでも「一緒に会社を作ろう」と約束したOさんと進む道を選びました。

一緒に会社を立ち上げたOさんとは、強い絆があったのですね。

本当にいいコンビでした。彼女はプランナー兼デザイナーとして、私が取ってきた仕事をどんどん形にしてくれました。
そして、ありがたいことに、お付き合いのあった着物関係の会社さんから、リーフレットやカタログ、チラシなどの仕事を次々に発注いただきました。とはいえ、最初は資金がなく、事務所が借りられなくて…あったのは、ワンボックスカーただ1台。ここが、私たちの最初の事務所になりました。
お客さまから携帯電話で連絡を受け、取引先に直行。お世話になっていた撮影スタジオの駐車場に車を止め、車内でお弁当を食べて仕事する日々が2か月ほど続きました。

苦しかった時代を支えてくれたのはお客さまだった

立ち上げ当初は苦労されたのですね。

不安な気持ちでいっぱいだった私を支えてくれたのは、お仕事をくださっていたお客さまでした。とある京都の染物会社の社長さんは、私が会社員の時から、いつも昼すぎに電話をかけてきて「お前昼飯まだだろ、こっちに来て食べろ」と言ってくれて。その後、その方のご家族が、手持ちのビルを事務所として無料で貸してくださいました。
「ありがたいなあ」と思っていたら今度は鹿児島の社長から電話がかかってきて、「お前、ちゃんとやっているのか」って。「個人商店じゃなくて、会社を作りなさい」と、いきなり400万円を口座に振り込んでくださったんです。これにはびっくりしました。

たくさんの方が支えてくださったのですね。

本当に、感謝しかないです。印刷紙の会社も掛け売り(注:後から代金を支払うこと)で引き受けてくれるなど、取引先の方々にも良くしていただきました。そこから少しずつ売り上げを立て、自分たちの力でやっていけるようになったんです。

着物業界に関わってきた経験を強みに
アイデアを積極的に提案

御社の事業内容について教えてください。

現在は着物関係と学校関係を中心に、幅広い制作物のご依頼を受けています。お客さまは長いお付き合いの会社が多く、こちらから新しい企画をご提案させていただくこともあります。
たとえば、着物店にある、モデルの等身大パネルやタペストリー。今でこそよく見られるようになりましたが、京都で広めたのは私たちです。昔は店の奥にカタログが置いてあるだけで、初めての人には敷居が高くて呉服店には入りにくかったんです。「店頭に、遠くからでも見える華やかなパネルやタペストリーを置きましょう」と大手着物会社に提案し、採用してもらったのが始まりでした。

「こんなものがあったらいいな」というアイデアが受注の決め手ですね。

私たちならではの発想で、お客さまのお役に立ちたいと思っています。社内にいる3名のデザイナーのほか、50社以上の協力会社と提携。デザインや印刷はもちろん、コンセプト立案から撮影の手配、コピーライティングまで、一貫して引き受けられる体制づくりをしています。

「スタッフは家族」
哀しい別れを乗り越え深まる思い

働いているスタッフの方について教えてください。

現在のスタッフは皆とてもしっかりしています。デザインだけではなく、編集やコピーライティングなど、幅広い仕事を進んで引き受けてくれています。
実は2022年2月に、30年間支え合ってきたOさんが他界しました。突然の出来事で、本当にショックでしたが、「Oさんの代わりに私たちがやります」と、全員がいつも以上に働いて、仕事に影響が出ないようにしてくれたんです。社外のカメラマンさんやスタイリストさんも応援してくれ、皆が協力して、この会社を守ってくれました。

スタッフとの気持ちを通わせる大きな転機となった出来事でしたね。

とてもつらい出来事でしたが、これをきっかけに、会社として一歩先に進めた気がしています。スタッフが「雇われている」という感覚ではなく、「自分たちでやる」という気持ちを自然に持ってくれました。
私は、スタッフには会社のため、社長のため、ではなく、自分自身のために力をつけていってほしいと思っています。何があってもひとりで生きぬく力をつけてほしい。スタッフは私にとって家族のようなものです。

時代に応じて形が変わってもいい
次の世代が会社を作る

今後、会社をどのようにしていきたいとお考えですか。

振り返ってみると、30年間、私は印刷の仕事一筋でやってきました。でも、これからは若いスタッフたちに、この会社を時代に合った姿へと変えていってほしいと思っています。たとえ、業種が変わったとしても構いません。その時代に生きている人たちが精一杯やってくれているなら、それでいいんです。
ただ、設立の時にOさんと2人でつけた「オフィス京都」という社名だけは残ってくれたらいいなと思っています。次の世代の人たちには、新しい「オフィス京都」を創っていってもらいたい。そう願っています。

取材日:2022年6月16日 ライター:土谷 真咲

有限会社 オフィス京都

  • 代表者名:大﨑 浩司
  • 設立年月:2005年1月
  • 資本金:500万円
  • 事業内容:印刷物、ウェブサイト、広告物等の企画制作(立案、ディレクション、撮影、デザイン、編集、印刷、加工)
  • 所在地:〒600-8862 京都市下京区七条御所ノ内中町24-4
  • URL:http://officekyoto.com/

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP