プロダクト2022.08.17

「アメカジ子ども服」を日本にもたらした先駆者がクリエイターに勧める好きなことを貫き通す生き方

大阪
株式会社マーキーズ 代表取締役
Masayuki Hirohata
廣畑 正行

「MARKEY’S」と看板が掲げられた店内に、カラフルな子ども服やバッグがズラリと並ぶ。イオンモールやららぽーとなどのショッピングモールを始め、全国に直営店を展開する株式会社マーキーズ。アメリカン・カジュアルをコンセプトにした、大人顔負けのお洒落なデザインが特徴の子ども服店です。始まりは、1991年、代表の廣畑 正行(ひろはた まさゆき)さんが奥様と2人で立ち上げた大阪の小さな子ども服のお店でした。小学生の頃からファッションが大好きだったという廣畑さん。好きなことをひたすらに追いかけ、たった2人で始めたお店を数百名規模の会社に成長させてきた20年間の道のりを伺いました。

アメリカンブランドに憧れ アパレルの仕事を志す

御社の事業についてお聞かせください。

私たちは、服や靴、バッグなど、子ども向けの服飾用品の販売を手掛けています。北は札幌、南は沖縄まで、ショッピングモールを中心に全国50店舗を構えています。また、仕入れ販売に加えて自社ブランドも立ち上げており、ブランドごとのコンセプトを活かしたオリジナル商品を提供しています。
物価が上がり家計が厳しくなっている今の時代でも、子どもは成長しますから、子ども服は常に買い替えが必要です。できるだけ予算を抑え、なおかつ、着るのが嬉しくなるような可愛らしい子ども服を提供する。それが、私たちの使命だと思っています。

アパレル業界には昔から興味があったのでしょうか?

私がファッションに初めて興味を持ったのは、小学6年生の頃でした。一緒に遊んでいた中学生のファッションに目を引かれたんです。当時流行していたアイビールック、いわゆるアメリカン・カジュアルというジャンルのファッションです。「かっこいいなあ!」と夢中になりました。学生時代は週末にアルバイトで貯めたお金を握りしめ、新しい服を買うのが楽しみで。洋服に関わる仕事がしたい、という気持ちは小学生の頃から変わらずに持っていました。

最初はどのようなお仕事に就かれたのですか?

大学卒業後は、ジーンズの代表ブランドとして知られる「Wrangler(ラングラー)」の日本支社に営業職として就職しました。ジーンズショップを中心に、全国の個人経営の服飾店を周るのが私の仕事でした。毎日多くの経営者の方とお話して、販売手法を伺っていると、売れている店とそうでない店の違いが次第にわかってくるんです。立地、仕入れ方、品揃えなど…服の販売について、とことん勉強できました。
就職して6年ほどが経った時、取引先の店長さんから「新しく出す店舗を手伝ってくれないか」と誘いがありました。「やってみたい」と興味をひかれたものの、私は結婚して子どもが2人おり、妻には大反対されました。

人生の岐路に立たれたのですね。

迷いはしたものの、6年間の営業経験で見る目を磨いてきた自信はありました。自分ならきっとできるだろう、と信じて転職を決意。毎日店頭に立ってお客さまと接し、任された店の売り上げを少しずつ伸ばしていきました。
2年ほど経つと経営も安定し、新たにもう1店舗を任されるまでになりました。そのまま店長として続けても良かったのですが、「自分の店を持ってみたい」という想いが湧き出てきました。

「かわいい子ども服を販売したい」 アメリカに渡り、1か月間の仕入れの旅へ

独立に対しての憧れは強かったのですね。

とにかく「自分の思い描いた店を作りたい」という気持ちがありました。一国一城の主になってみたかったのでしょう。これまた妻には大反対されましたが、単なるアパレルショップではなく、“子ども服専門”の店にするのを条件に何とか受け入れてもらいました。「かわいい子ども服を提供する」というコンセプトで、私たちらしい店を作っていこうと。
1号店を構えたのは、大阪の浜寺公園近くの道路沿いでした。決して良い立地ではありません。公園の近くなら親子連れがよく通りかかるかも、という意図はありましたが、家賃が安いところでないと借りられなかった、というのが本音です。

売り上げは順調でしたか?

かなり苦労しました。1号店がオープンした1991年には、子ども服を扱っているブランドが少なかったんです。私が店頭に並べたかったのはアメリカン・カジュアル風のかわいいデザインの洋服で、そのような服が日本にはほとんどなくて。想像していたような商品が揃わず、売り上げもまったく伸びませんでした。一時は家計が苦しくて、寿司屋のアルバイトと掛け持ちして店頭に立っていたこともありました。

当時はかなりの苦労をされたのですね。

このままではダメだと思い、「売りたいデザインの服が日本にないなら、自分がアメリカまで仕入れに行こう」と考えました。関西空港からアトランタまで飛行機で向かい、1か月間ひたすらアメリカ国内を車で走りました。5000キロ近い距離を移動し、現地の個人店や、教会が主催するバザーを周りました。たったひとりの旅でしたから、頼りになるのは自分の審美眼だけです。ブランドの有名無名にかかわらず、「いい!」と思ったものを次々に買い求めました。当時、日本にはなかったNIKEのキッズスニーカーやジーンズなど、ワクワクするアイテムをたくさん仕入れることができました。

廣畑さんの「いいものを売りたい」という熱意を感じます。

アメリカでは道中、車が故障するなどのハプニングもありましたが、苦労して買い付けてきた商品が日本で大人気になって。クチコミで評判が広がり、アメカジ好きのお客さまが全国からお店に訪れるようになりました。売り上げが急速に伸びたのはこの時期からです。
そして、さらなる成長のきっかけとなったのが、ショッピングモールへの出店です。路面店で2店舗まで増やしたところで、3店舗目で初めて岸和田のショッピングモールに出店しました。親子連れが多く立ち寄るためか、路面店とは比べものにならないくらい売り上げが伸び、「ショッピングモールはいける」と確信したんです。そこからはショッピングモールに焦点を絞り、全国で出店するようになりました。

「マーキーズの服を好きでいてくれる人たちのために作る」 揺るがないアイデンティティが差別化ポイント

御社ではオリジナル商品の製造販売も手がけていらっしゃいますね。

自社ブランドの立ち上げに踏み切ったのは、店舗が7店まで増え、安定した売り上げが確保できた頃でした。自社ブランドの良いところは、他にはないデザインが作れる点、そして高品質かつ手頃な価格でお客さまに提供できるという点です。仕入れの時にずっと思っていた「こんな服があったらいいのになあ」というものを形にできる嬉しさがありました。

デザインはどなたが手がけているのですか?

ブランド立ち上げ当初のデザインは、私が手がけていました。デザインの勉強なんて全然したことはなかったんですけどね。アメリカで目にした服のデザインや、昔の洋書などからヒントを得て、見よう見まねでやってみようと。当時は夢中でしたから「できるか?」という不安より、「やるしかない」という感じでした。初期に生まれたパンダのイラストデザインは、今でもマーキーズの定番商品です。
その後、少しずつ社内のデザイナーを増やし、異なるコンセプトを持つブランドのラインを増やしていきました。今ではMD(マーチャンダイザー)というポジションのスタッフも加わり、全員でミーティングしながらデザインの方針を決めています。MDの役割は、市場の動向や売れ行き、原価計算など、データの面から商品の方向性を考えることです。同じデザイナーがデザインをしていると、似たようなものばかりになってしまいがちなので、MDを加えて、常に新しい目線で戦略的なモノづくりをするようにしています。素材の生産地や製造元と交渉して良いものを安く仕入れるのも、MDの大切な役割です。

自社ブランド商品は全体のどれくらいの割合を占めているのでしょう?

現在販売している商品のうち、仕入が3割、残りの7割が自社ブランドによるオリジナル商品です。ブランド数も8つにまで増えました。お求めになりやすい価格設定の「LIFE SUPPORT PRODUCTS (ライフサポートプロダクツ)」や、日本製にこだわった「JIPPON(ジポン)」など、各ブランドに個性を持たせ、お客さまのニーズや着用シーンに合わせてお選びいただけるようにしています。

最近では子ども服を取り扱う大手企業も増えましたが、どのように差別化していますか?

低価格で子ども服を展開しているアパレルメーカーさんはたくさんありますが、幅広い層の人たちに向けて作った商品は、デザインがシンプルで画一的になってしまいます。私たちがターゲットにしているのは、マーキーズのデザインが好きで、私たちの商品を選んでくれているお客さまだけです。多くの人に受け入れられようとはまったく考えていません。自分たちのアイデンティティを貫き、それを支持してくれる方々に向けたものづくりをすれば、一定数のお客さまは私たちの商品を買い続けてくれます。今後は、私たちの商品を求めてくれる方々のため、オリジナルブランドのECサイトなどの販路をもっと広げていくこと。それが成長のカギだと思っています。

夢は本場・アメリカへの出店 日本製の商品で勝負したい

今後考えている事業や取り組みはありますか?

私には大きな夢がふたつあります。1つめは、首都圏に大きな基幹店を構えること。現在はショッピングモールへの出店に絞っていますが、将来的にはシンボルとなる路面店を1つ持ちたいと思っています。服や雑貨の販売だけでなく、子どもに関連するあらゆることが体験できる遊び場のようなお店を作ってみたい。販売のためというよりも、訪れて楽しい気持ちになってもらえる、お客さまのためのお店です。
そして2つめは、アメリカへの進出です。私はアメリカンブランドに憧れてアパレルの仕事を始め、自分たちで服作りまでするようになりました。日本で生まれ、日本の品質で作られた私たちの商品が現地でどのように受け入れられるのか、試してみたいという想いがあります。資金調達やデザインの権利問題などがあるのでまだまだ壁は高いですが、仕事をリタイアするまでに必ず叶えたい夢です。

後に続くクリエイターの方々に向けて、メッセージをお願いします。

デザインやイラスト、映像、ファッション、建築など、どのジャンルのクリエイターにも共通して伝えたいのは「好きなことを貫き通してほしい」ということです。私は、小さい頃に目にしたアメリカンブランドの服に憧れ、ただそれだけを追い仕事をしてきました。店を構えたときにはお金がなくて、苦しい時期もありました。しかし、好きなことに関わるのを諦めませんでした。
仕事って、毎日毎日が似たようなことの繰り返しですよね。嫌になる時もあります。でも、1日の“小さな努力”を365日積み重ねたら、それは大きな進歩になる。「今日、ほんの少しでも前に進もう」という気持ちとともに、好きなことを貫き通してほしいなと思います。

取材日:2022年7月7日 ライター:土谷 真咲

株式会社マーキーズ

  • 代表者名:廣畑 正行
  • 設立年月:2002年8月
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:衣料品小売り販売、オリジナルアパレルブランドの製造・販売
  • 所在地:〒590-0833 大阪府堺市堺区出島海岸通2丁3番13号
  • URL:https://www.markeys.co.jp/

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