テレビ業界は嫌いだった――。ミュージシャンからテレビマンに転身した“異色”の経営者が「メディアの総合商社」を作った理由
映像制作、PRサポート、イベント企画のほか、タレントのキャスティングやマネジメントまでトータルに手がけるのが株式会社SOMEです。同社の代表取締役である染谷 智(そめや さとる)社長は、19歳のときに夢を叶え、イギリスでミュージシャンとしてデビュー。しかし23歳でテレビマンへ転身し、その後、会社を立ち上げたという異色の経歴の持ち主です。『クリエイティブとは「0から1」を作ること』という哲学を持つ染谷社長に、過去のキャリアや会社設立の経緯、今後の展望などを伺いました。
イギリスでミュージシャンとして大成。その後、嫌いだったテレビ業界へ
元々、染谷社長は海外でミュージシャンとして活躍されていたそうですね。
小学校時代からミュージシャンに憧れていたんですよ。勉強もできたし親からも期待されていたので、猛反発を受けながらも、高校卒業後にイギリスへ渡りました。しかし日本人として海外で生活する上では苦労もあり、ホームレス生活で食べるためにゴミ箱を漁ったこともありました。
でも、純粋に音楽が好きで、ミュージシャンとして成功したい夢を捨てきれなかったんです。元々、音楽のルーツは小学校時代に聴いた洋楽で、幼い頃から楽器を演奏して作詞作曲もしていたため「作品を世に出してあげないとかわいそうだ」という思いが人一倍強くありました。19歳で運よくデビューのチャンスをつかみ、現地では多くのお客さんを前にステージへ立ったこともありました。
華々しいミュージシャンの世界から、テレビマンに転身した経緯は?
22歳で帰国して、テレビ業界へ入ったのは23歳でした。何をしようか考えて、ふと「好きではない世界へ飛び込もう」と思ったんですよ。実は昔から、テレビというメディアが嫌いだったんです。
テレビ業界の人間は、同じ業界の人間とばかりつるんでいるんですよね。それなのに、視聴者のためにと言いながら、会議室の中で番組の企画を考えている。その構造に矛盾を感じていたんですが、純粋に好きだった音楽で売れたから、次は「好きではない世界で活躍できるか」試してみたいと思ったんです。
制作会社では、どのような番組を担当されたんですか?
ジャンルを問わず、様々な番組に関わってきました。好きではなかったからこそ、広がっていったんですよ。バラエティー番組やドラマ、クイズ、グルメ、ドキュメンタリーやニュースと、本当に何でも。笑いの絶えないバラエティー番組のバックヤードで指示を出しながら収録を見守りつつ、かたわらで、その日の夜に放送される真面目なニュース原稿を書いていた日もありました(笑)。業界へ入ってかれこれ30年以上ですが、好きではなかったぶん、かえって自分には合っていたんだろうと思います。
頼ってくれる人のためにと会社設立。「染ちゃんやってよ」と言われて事業が拡大
独立して、現在の会社を設立しようと考えたのはなぜですか?
40歳近くになった頃、業界の構造に疑問を感じたんですよ。自分より年上の先輩たちが現役バリバリで活躍し続けている環境で、そうした人たちを説得するために企画を考えて、提案して、というのをいつまで繰り返せばいいんだろうと。このままでは後輩を育てることもできませんし、ならば、自分でゼロから立ち上げた方が早いのではないかと思ったんです。
また、じつは会社の立ち上げを考えていた頃、自分自身がスランプに陥っていたんですよね。自殺しようかと思うほど追いつめられていたんですが、当時、それでも自分を頼ってくれる人たちへのありがたさを感じたんです。そうした人たちの気持ちを受け入れられる場所を作るために、会社を立ち上げました。
どのように事業を拡大したのでしょうか?
1年目は前職の制作会社に籍を置きながらでしたので、実質、SOMEとして本格的に動き始めたのは2年目からでした。ワンルームマンションで1人で切り盛りしながら、徐々に人を増やしていって。初めは、かつての人脈もあったのでテレビ番組の制作事業を核としていましたが、「染ちゃんやってよ」と言ったお願いを聞いていくうちに、イベント事業、企業や団体向けのPRサポート、タレントのキャスティングやマネジメントと、業務が広がっていきました。
戦略的に広げていったのではなく、自然と事業の種類が広がっていったんですよ。誰かが自分へ望むものに応えていたら、今の形になったといいますか。事業の種類に関わらず、自分たちは「究極のサービス業」であると自負しているのです。サービス業というのは、何かを望む人たちに理想的なものを提供していく仕事ですよね。弊社の場合はメディアとエンターテインメントが核にありますが、その思いは社名にも込めています。
社名に込めた思いとは?
社名の「SOME」は、私の名字「染谷」の1文字目も由来となっており、弊社のポリシー「Something Of Media & Entertainment」の頭文字も取っています。和訳では「メディアとエンターテインメントの何か」となりますが、関連するものはすべて事業に結び付いています。
予定調和は捨てて本音で人と向き合う。いずれは各事業を子会社化したい
1人で始めた会社も、今や、85人の大所帯に。成長の理由は?
私自身のスタンスも成長のきっかけになったのだろうと思います。昔から、本音を包み隠さず人と向き合ってきたんですよ。日本人は「ここだけの話」が好きですが、予定調和を保ってばかりではダメ。仕事かプライベートかを問わず、相手が誰であろうと自分の意見を主張してきたのが、会社への信頼にも繋がっていったのだと思います。
現状、今後に向けた会社としての課題はありますか?
コロナ禍となって以降、キャンセルの相次いだイベント事業をもう一度立て直すことです。2019年頃に、会社として一つの転機があったんですよ。それまでは、テレビ業界を中心とした過去の人脈から事業が広がっていたのですが、2019年頃から、繋がりのなかったクライアントからのイベントの依頼が舞い込んでくるようになったんです。
弊社としてもより強化していこうと考えていた矢先に、コロナ禍でチャンスを失ってしまったんですよね。エンターテインメント業界も復活の兆しが見えていますし、再び、新たな柱として事業拡大を図っていければと考えています。
会社全体の将来像はいかがでしょう?
設立当初から分社化を考えていて、現在掲げている「メディアの総合商社」として成長させていきたいです。将来的には、私自身は会長として全体を見守り、頼れる人材に子会社化した各事業を任せたいと思っています。
クリエイティブとは「0から1」を作ること。自分の意見を持つ人を求める
染谷社長にとっての「クリエイティブ」の定義はありますか?
仕事を通してクリエイティブを感じる瞬間は「0から1」を作り上げたときですね。ただ、本物のクリエイターは、数十万人に1人ほどしかいないと思っているんです。例えば、小学校時代に突拍子もない遊びを提案する友だちがいたと思いますけど、そうした子たちこそが本物のクリエイターですよね。
共に働きたい人材の理想像は?
私を驚かせてくれる人。私にないものを補ってくれる人も求めていますが、やはり、自分と違う意見をどんどん提案してくれる人を望みますね。最近の悩みでもありますが、50代以上ともなると、私に意見してくれる人が少なくなってくるんです。一方で、新入社員として弊社へ入ってきた20代そこそこの子が、私の立場や業績に関わらず、近所のおじさんと話すみたいに自分の意見を言ってくれるときが、うれしいですね。ボケてツッコんでみたいに、フランクなコミュニケーションを図れる若い子も好きなんですけど、忖度もせず、気さくに意見を言い合える関係性を作れる人と出会いたいです。
これからの活躍を夢見るクリエイターに向けて、アドバイスをお願いします。
他の人がやっているから、ルールとして決まっているからとは考えず、固定観念を捨てて物事を見てほしいと思います。常識という言葉がありますが、ただ受け入れるのではなく、常識が「なぜできたのか」を考えることが真に大切なことだと考えているんです。自分なりに納得できるなら従えばいいし、疑問を抱いたのであれば、そこから新たな道筋を考える。それこそが逆転の発想にも繋がりますし、メディアを生きる人間にとっても必要な考え方だと思います。
取材日:2022年7月14日 ライター:カネコ シュウヘイ
株式会社SOME
- 代表者名:染谷 智
- 設立年月:2013年8月
- 資本金:2,050万円
- 事業内容:テレビ番組など映像コンテンツの企画および制作、TVPRやネットプロモーション、メディアコンサルティング等の 広告業および広告代理業、特定労働派遣事業(現場スタッフの派遣)、イベント・講演会などの企画運営、タレント・モデルのマネジメントおよびキャスティング(配役)業、音楽・舞台など、その他エンターテインメント制作
- 所在地:〒107-0052 東京都港区赤坂2-20-13 赤坂ヒルサイド302
- URL:https://www.some-pr.com/l
- お問い合わせ先:上記サイト「お問い合わせ」フォームより