企業の業務効率化で新潟をクリエイティブに。コーヒー店代表、失敗重ねて得た気づき
「新潟の街がもっとクリエイティブになってほしい」。新潟の株式会社SUPER FUTURE(以下、スーパーフューチャー)の代表を務める佐藤 俊輔(さとう しゅんすけ)さんは、人にしかできない、より創造的な仕事に専念できるようにと、事務系の定型作業を自動化するデジタル事業を進めています。アメリカや家業での挫折を味わい、コーヒー問屋の3代目としても働く中で、「仲間や地域という視点を手に入れた」という佐藤さん。そのような考えを手に入れた経緯、スーパーフューチャー誕生の背景など、多岐にわたって教えていただきました。
大手コーヒーメーカーで全国トップのセールスマンに。父の一言で帰郷
佐藤さんは、スーパーフューチャーをはじめ、さまざまな会社の代表を務めていらっしゃいますね?
はい。全部で5社の代表を務めています。中でも私の軸となっているのは、家業でもある、鈴木コーヒーという1979年創業のコーヒー問屋での経験です。
新潟市内の高校を卒業後、大学在学中にトラックメーカーに就職したいと憧れのアメリカへ留学したのですが、そこで人種の壁に直撃して、ある種の挫折を味わいました。継ぐつもりのなかった家業を意識し始めたのはその頃です。帰国して、大学卒業と同時に大手コーヒーメーカーに勤めました。天性の負けず嫌いとビジネスの面白さを知ったことで、全国トップのセールスを記録するまでになりました。
その実績から、3年目にして、誰もが知っている有名アミューズメントパークの担当になったのですが、ここが転機でした。あまりにも大きな企業さまだったので、すべてがシステマティック。私の仕事は、ただの在庫管理になってしまっていて、ちっともクリエイティブじゃないんです。そんな折、父親から実家に戻ってこないかと言われ、2008年に株式会社鈴木コーヒーに入社しました。
そのときにスーパーフューチャーも立ち上げたのですか?
いえいえ。それはずっと先の話で、スーパーフューチャーを立ち上げたのは2020年4月です。鈴木コーヒーの業務改善を考える中で、誕生するに至ります。
部署全員から総スカン。マネジメント能力の無さを痛感
まずは鈴木コーヒーでの仕事を軌道に乗せて、業務を拡大させていく中でスーパーフューチャーが生まれたのですか?
それは少し違います。というのも、入社当時の私は企画開発部長という任を受けていて、東京帰りを鼻にかけ、天狗になっていました。売り切るまで帰ってくるなと、平気で夜中の12時まで営業に行かせるような、本当に悪い見本でした。そんな私に愛想を尽かした部署の全員が辞表を出し、そこで初めて自分のマネジメント能力のなさを痛感しました。全員に謝り、戻ってきていただき、自分はヒラの営業職として出直しました。
徐々に信頼を得る中で、雪国独自の保存方法を活用した「雪室珈琲」を一人で立ち上げることになります。これが徐々に知名度を得て、売れ行きが良くなると同時に、社員の信頼がより強まっていきました。「地域ブランドを一緒に育てよう」と言ってくださる社外の仲間との出会いも大きかったですね。これを機に「地域」という視点が私の中で生まれたんです。
仲間意識が芽生えて分かった、本当に大事なもの
社内外の仲間を得て、佐藤さんの中で変わったものはありますか?
主語が変わりました。それまでは主語が「自分」で、自分の評価をどう上げるかが根底にありました。しかし、人々と共感しあい、仕事を進めると、思いもよらない好転が訪れる、そんな経験を重ねたことにより、「自分ではない誰か」「地域」と頑張るべき対象が変わりましたね。夢から志に変わった瞬間だと思っています。
スーパーフューチャーの理念にもあるように、地域を良くするためには何が必要でどういうことをしなければならないのか、といった視点で物事を考えるようになりました。
それが分かる、最も代表的な出来事を教えてください。
創業者の祖父が考案した経営理念を、鈴木コーヒー専務就任時に変更しました。元々あった「コーヒーを通じて食文化に貢献し、活力あふれる豊かな社会を目指す」を基軸である志としました。そして、そこに「全従業員の個性と創造性を最大限に発揮して、私たちとお客さまが物心両面において幸福を体感できる社会の実現を永続的に追求する」という使命。さらに「時代の変化に挑戦し、常に新しい価値の創造者であるように行動する」という価値観をプラスしました。先ほど話した、悪い自分への戒めでもあり、同時に社員全員に対する私のメッセージでもありました。
2016年に鈴木コーヒーの社長に就任されます。
コーヒーはポジティブな場面でしか出てこない飲み物だからこそ、販売している私たちや飲んでいただく方々が幸せでなければならない。この考え方のもと、社員全員でより同じ方向を向きながら仕事ができる環境をさらに整えるようになりました。よりいっそう社員の話を聞くようになり、みんなの働き方を見直そうとした際に「RPA」に出会いました。
機械でできることと、人にしかできないこと。業務効率化で新潟が面白くなる?
RPAとは何ですか?
「RPA」とは、Robotic Process Automationの頭文字を合わせたもの。事務系の定型作業を自動化・代行するツールのことです。これまで手作業で行っていたルーチンワークを自動化できるので、業務効率の向上と人為的ミスの予防に役立ち、生産性の向上が見込めます。
うちのスタッフが2019年の11月に展示会でソフトを見てきて、「業務が劇的に変わるから導入しましょう!」って話をしにきたんです。じゃあ、テスト的に、と導入したのが12月であまりの便利さに事務職だったスタッフがひとり営業部に移動しました。定型作業は機械に任せて、人間はクリエイティブなことに専念できる。これを経験してしまったんです。
そうなると、みんなにも広く使ってもらって、新潟の街がもっとクリエイティブになってほしいと考えるようになりました。そうして、導入したRPA「ニイガタアシロボ」の代理店業務を行う会社として、スーパーフューチャーを立ち上げることになりました。2020年4月のことです。
ホームページのトップに掲げる「CREATIVEに溢れる、愉快な世の中を」とはそのような思いからですか?
まさしくその通りですね。現在は新潟県下の約30社で導入していただいています。請求書の自動発行からSNSの自動チェックまで、使い方は実にさまざま。それぞれの会社さまのニーズに合わせて、使いやすいようにプログラムの設計を行うなど、弊社のシステム担当が弊社内でカスタマイズすることも可能です。
「ニイガタアシロボ」という商品名になった経緯を教えてください。
もともとが「アシロボ」という商品名なんです。そこに新潟をよりよく、クリエイティブにするためのものという想いで「ニイガタ」という言葉をプラスしました。
「失敗体験からしか、成功体験は生まれない」。変化や進化できる人を募集
佐藤さんの携わる事業に関して、今後どのようにしていきたいとお考えですか?
会社問わず言えるのは、とにかくクリエイティブであり続けること。新しいことでもいい、既存のものを組み合わせるのでもいい。とにかく生み出すこと。これは人にしかできないことだと思っています。もちろん、最初からすべてがうまくいくわけではない。だから、いっぱい失敗していい。私がそうだったように、失敗体験からしか、成功体験は生まれないと思っています。
今後どのような人材、クリエイターと一緒に働きたいですか?
人間にしかできない、クリエイティブなこと。言い換えれば、人間的なアナログなことに厚みを出せる人ですね。さらにローカライズできる人。新潟という地域のために、いろいろなものを活用でき、進化させ、適応させる能力と視点のある人がいいですね。私は保守的でありたくないと常に思っています。新しいバランス感覚をもつ人と一緒に仕事をすることで、私も周りもより変化、進化できると思っているので、そういった人を求めています。
取材日:2023年3月2日 ライター:コジマ タケヒロ
株式会社SUPER FUTURE
- 代表者名:佐藤 俊輔
- 設立年月:2020年4月
- 資本金:500万円
- 事業内容:ICT技術を用いた、“ヒト”問題を解決する、革新的なサービスの開発・販売
- 所在地:〒950-0072 新潟県新潟市中央区竜が島1-4-4((株)鈴木コーヒー内)
- URL:https://superfuture.co.jp/
- お問い合わせ先:https://superfuture.co.jp/contact/index.php