目指すは「宇宙一」の制作会社。ネット公開した音楽への世界からの「いいね」で気づいた世界との繋がり
「愛媛から宇宙一を目指す」という企業理念を掲げ、HP制作からシステム開発、ソフトウェア・アプリの企画・制作などを幅広く手がける株式会社ナナサン。今までやってきたことに固執せず、いろいろなことにトライすることで、「ナナサンの仕事が、宇宙のように広がる」ように事業の幅を広げています。「仕事のありがたみ」を日々噛みしめ、お客さまの満足度を追求し続ける株式会社ナナサンの代表取締役社長 仙波 秀喜(せんば ひでき)さんに、「宇宙一」を目指したきっかけやこれまでの歩み、将来への展望をお伺いしました。
「自然と結果はついてくる」。信念を持って起業し感じた「仕事のありがたみ」
ナナサンを設立されるまでのキャリアをお聞かせください。
前職は、未経験ながらもWeb制作会社に採用され、7年半ほど勤めました。そのうちに「もっと自由に事業をやってみたい」と思い立ち、34歳の時に個人事業として独立しました。その後2011年に株式会社として法人化しました。
独立に対し、周りから否定の声も多くありましたが、前職で提案・制作・納品までを一貫して経験し、全体の流れは把握できていましたので、ひとり立ちに不安や心配はほとんどありませんでした。「よい仕事を積み重ねていけば、自然と結果はついてくる」と思っていましたし、今でもそう思っています。
私は愛媛出身で生活の基盤もあり、ネット環境があれば全国どこでも仕事ができるので、地元の愛媛で起業しました。
設立でご苦労なさった点や、乗り越えてきた壁などございましたらお聞かせください。
独立当初は結婚していて子どももいましたが、安定した仕事はなく、多少の焦りはありました。目の前の仕事を日々必死でこなしていた感じですね。
しばらくして、運よく大口の仕事を受注でき、そこからよい方向へ進みました。今でも妻と、その仕事については話すことがあります。「個人企業でも、民間の大口の仕事が受けられるんだ。仕事があるって、いいな」と、仕事に対するモチベーションが上がったことを思い出します。その時に得た「仕事のありがたみ」の感覚は、開業から15年ほど経った今でも変わりません。
音楽のネット公開がきっかけ!?「宇宙一」を目指す会社へ
会社名「ナナサン」の由来と、この業界を選ばれた理由を教えてください。
自分が1973年生まれということで、下二桁をとって「ナナサン」と名付けました。洋楽の全盛期である80〜90年代に青春時代を送ったので、洋楽と楽器はずっと好きで、バンドもやっていました。
インターネットが普及して自分でもホームページを制作し始めた頃、自作の音楽をネット上に公開すると、海外の方が「いいね!」とコメントをくれたのを見て「本当に世界とつながっているんだ」と感動しましたね。
インターネットは目で見て得られる情報が多く、たとえ言語が通じなくても、視覚的かつ感覚的に解り合える。また、四肢の障がい・聴覚の障がい・視覚障がいなどがあっても、誰もがリアルタイムで同じ情報を共有できる点も、インターネットは素晴らしいと思います。 世界中と一瞬で繋がれる「インターネット」に、メディアとしての可能性を感じて、この業界に進みました。
経営理念とそれに込められた想いを教えてください。
ナナサンの経営理念は「愛媛県から宇宙一の会社を目指す」です。
「日本一」はよく聞くし、「世界を相手に」もよく聞くフレーズだし……。せっかくなので、さらに視野を広げて「宇宙一」をコンセプトにしようと思ったのです。
インパクトのある言葉ですから、話のネタにもなりやすいですし、お客さまにも「ナナサンは『宇宙一』ですもんね!」とおもしろがってもらえています。
宇宙は神秘的で、どんどん広がり続けているところにロマンを感じます。ナナサンの仕事の幅も、宇宙のようにどんどん広がってほしいと思っています。
やや難しそうなことでも「断らない」ことで、広がる仕事の幅
ナナサンの事業内容について教えてください。
主な事業は、HP制作です。HPというものは「作って終わり」ではなく、作るのがむしろ始まり。 制作と同じくらい、その後の保守・管理にも力を入れています。
「お客さまの先に居るお客さまを満足させるために作っている」を強く意識して、プロの視点から見たユーザー目線でわかりやすく使いやすいものを提供することを第一に考え、制作・保守管理を行います。
HPを作っていると「こんなことできる?」「あんなことできる?」と、ご相談いただくことがあります。「頑張ったらできそうなものはやってみる。断らない。」というマイルールのもと、自分が今できることだけではなく、少し難しそうなことも積極的にやっていたら、いつの間にかスキルアップでき、いろいろな分野に事業が広がっていきました。
ナナサンの強みやこだわりについて教えてください。
制作から納品までのすべてを一貫して行えることが強みの一つです。そして、お客さまからの要望をそのまま実行するのではなく、違った視点から提案することがこだわりです。
例えば、お客さまからの「このボタン、こっちに移動させてくれる?」という細かな変更ご依頼も、即対応する前に一旦、情報を整理します。
移動させたら、どうなるのか?むしろ、あちらの位置の方が良いのではないか?などと様々な可能性を考えた上で、お客さまにメリットのあるご提案をさせていただいています。このようにお客さまと対話を重ねていくことで、信頼していただけるようになっているのかなと思います。
何ごとにも面白さを見出せる、勤勉なクリエイターとともに、時代にあった事業を展開する
今後どのような企業にしたいか、展望をお聞かせください。
人を増やして、どんどん大きくしていく会社を「すごいな」と思うものの、今後もナナサンは少数精鋭でやっていくつもりです。
会社が大きくなって、管理が行き届かなくなってしまっては、本末転倒です。きちんと目の届く範囲で、お客さまに対して丁寧な仕事を心掛けています。「さすが、ナナサンに頼んだから、きちんとした仕事をしている」と言われるように、ご提供する技術やサービスで、お客さまから信用される会社であり続けたいですね。
そのために、社内の体制や行動指針、働く環境の整備などを見直し、改善していかなければいけません。
この仕事は、5年、10年後どうなっているかわかりません。柔軟に、その時代に対応できるような会社にしていきたいです。
どのようなクリエイターと働きたいですか?
クリエイターに求めるのは「勤勉さ」です。
とくに、このWeb業界というのは、知識や技術が刻々と変化・進化していきます。何にでも興味を持って、面白がれる人、チャレンジできる、好奇心の強い人と働きたいですね。あとはコミュニケーション能力も重視します。自分の頭で考えて自分の意見をはっきりと伝えられる人かどうかは重要です。
また、この業界は「モノづくりが好き」であることも重要です。仕事の多くは、事務所での地味な作業が多く、誰かに褒められるというわけでもないので、モノづくりが好きでないと続かないと思います。「自由に働くことができそうだし、楽そう」という印象を持っている人も多いですが、中途半端な気持ちでトライしてしまうとギャップに苦しむ可能性があるかもしれませんよ。
地方で働きたいクリエイターに向けて、メッセージをお願いします。
インターネットが普及し、都会で働く・地方で働くといった違いはなくなってきていると思います。
私は出身地の愛媛で起業していますが、地元志向が強いという訳ではありません。ただ間違いなく、都会は苦手で、満員電車も苦手。「人の多い都会では、暮らせないな」と感じています。個人的には、いつか沖縄などのゆっくりできる場所で仕事をしてみたいとは思っています。我々の仕事は、インターネット環境さえあれば、どこに居ても世界中の仕事ができますから。
重要なのは、どこで働くかよりも、本人のやる気次第ではないでしょうか。 夢を持って、好きな場所で好きな仕事にチャレンジしていくのがいいと思います。
取材日:2023年6月21日 ライター:山口夏織
株式会社ナナサン
- 代表者名:仙波 秀喜
- 設立年月:2011年8月
- 資本金:200万円
- 事業内容:インターネットホームページの企画・制作・管理、コンピューターシステムの開発、コンピューターソフトウェアの企画、制作、通信販売事業及び通信販売に掛かるコンサルタント業務デザイン・ロゴの企画、制作並びに販売、音楽制作、音楽・音楽CDの販売
- 所在地:〒791-0243 愛媛県松山市平井町101-2
- URL:https://nanasaninc.com/
- お問い合わせ先:089-961-4166