「新潟でアニメーターになりたい」に応えるため東京から分社。名作残した代表、若者に寄り添う訳
アニメ制作スタジオが数多く集まる東京。創業46年の歴史を持つ株式会社マジックバスも東京にあるスタジオの一つですが、2019年には新潟に分社化し、マジックバス新潟合同会社が設立されました。代表社員の神戸 恵蔵(かんべ けいぞう)さんらはなぜ、新潟の地を選んだのか?そして、地方の若手アニメーターはどのように育成されているのか?お話をうかがいました。
アニメーター志望の若者が上京せずに夢をかなえられる環境を作りたい
マジックバス新潟合同会社が設立された経緯を教えてください。
新潟には日本アニメ・マンガ専門学校(JAM/Japan Animation & Manga college)がありまして、私は2000年の設立当初から約20年間、月に2回の講師を務めました。
アニメーター志望の学生たちと接していると、卒業後は上京して働きたいという子がいる一方で、できるならこのまま新潟で働きたいという声も多く聞かれました。彼らを受け入れる場所を少しでもよい環境にするべく、分社化を決断しました。
新潟合同会社の代表社員は私ですが、会社の経営、経理などは三上(マジックバス取締役の三上鉄男さん)に任せており、私は現場での若手育成に力を入れています。
マジックバス新潟合同会社の業務について教えてください。
アニメーション制作に関わる動画、原画をデジタル環境で手がけています。 PCやペンタブレットで最初からデジタル環境で作業するか、紙に描いた絵をスキャンして途中からデジタル環境に移行するかはケースバイケースで対応しています。
会社設立当初はアナログ環境でも業務していましたが、仕上がりを東京のスタジオへ配送する時間を省くため、今はデジタル作画がメインです。データであれば、東京のみならず海外のスタジオとの仕事でも仕上がりをすぐに送信できるのが強みですね。
外の世界を知るため、いったんアニメ業界を離れる。復帰後は監督やキャラデザインなど幅広く活動
会社立ち上げまでのキャリアを教えてください。
高校を出て日本大学芸術学部に進学したものの、アニメスタジオで動画のアルバイトを始めたので2年で中退してしまいました。経験を積んでTVアニメ「ど根性ガエル」(1972年)や「エースをねらえ!」(1973年)などで原画を務めましたが、「外の世界も知っておきたい」という気持ちが芽生え、一時期はアニメ業界から離れていました。
その時は、どのような仕事をされていたのでしょう。
約2年間、イラストや似顔絵描きの仕事をしていました。そして、友人の出崎(マジックバス代表取締役の出崎哲さん)に誘われたことで再びアニメ業界に身を置き、作画スタジオだったマジックバスに入社しました。
入社後に一番深く関わった作品は「銀河英雄伝説」(1988年~2000年にかけてTVアニメ、劇場アニメ、オリジナルビデオアニメが展開)です。キャラクターデザイン、絵コンテ、作画監督、レイアウト監修、監督と、多くの役職を手がけました。
「魔入りました!入間くん」(2019年)や「くまクマ熊ベアー」(2020年)など、近年のTVアニメにもアニメーターとして参加されておられます。
さすがに以前ほどの作業速度は出せませんが、できる範囲でやらせてもらっています。
乗り越えたチャレンジの数が財産に。かつての自分と同じ若者に寄り添う
若手スタッフにはどのような指導をされていますか。
動画を描く前に、自分でキャラクターと同じ芝居をして体の動かし方を掴むようにと教えています。
自分の体を動かすだけでは分からないことがあった時は、資料を当たるなどして外に出て調べるようにとも教えています。インターネットにある知識や情報だけでは不十分なことが多いので、ネット検索だけで簡単に済ませるようにはなってほしくないなと。
また、アニメーターは精神的なことで突然絵が描けなくなる時もありますので、スランプを脱するためのちょっとしたメンタルケアも担っています。
スランプになってしまう事例には、どのようなものがあるでしょうか。
私自身が若手だった頃を例に挙げますと、「少ない枚数の動画が自然に動いて見えるのが不思議で、長時間考え込んでしまった」「念願だったジャンルを手がけたことで、燃え尽き症候群になった」など、さまざまな理由がありました。
かつての私と同じように手が止まってしまった若手にも「話を聞くよ」と寄り添うようにしています。
御社のアニメーターには最低保障制度が用意されています。新人アニメーターの収入の不安定さはしばしば耳にしますので、最低保障の存在もメンタルの安定につながっていそうです。
完全出来高制も悪いことばかりではなく、やる気のある若手や実力のある若手がそれに見合った報酬を得て加速度的に成長していくメリットがあります。
しかし、今はもうそういう時代ではありません。若手を野放しと言える状態にしておくよりは、環境を整えて指導した方が効率よく育成できますね。
ご自身の経験からくる教えはほかにもありますか?
1970年代末~80年代頃のマジックバスは、少女漫画やスポ根など、多岐にわたるジャンルの作画の仕事を取ってくる会社でした。不慣れなジャンルでもきちんと向き合い、悩みながら仕事をしてきたからこそ、今までアニメーターを続けてこられたのだと思います。
若手スタッフにも、得意な絵柄とは異なる仕事でも積極的にチャレンジした方がよいと教えています。チャレンジを乗り越えた経験を財産として積み重ねて、さまざまな作品に対応できる力を身につけてほしいです。
そして、動画や原画を手がける際は、そのカットのレイアウトに込められた演出意図も読み取れるようになろうと教えています。カメラワークや構図には必ず意図があります。
画面の見せ方を学ぶ教材となりそうな作品はあるでしょうか。
アニメーターを目指す人であればアニメの名作は自発的に見ていると思いますので、私からは黒澤明監督の作品も見るように教えています。アニメのレイアウトや演出は、元をたどれば黒澤監督の作品がルーツだと言ってもよいほどです。
何気ないカットに意図を込められるのが一人前のアニメーター。積極的に経験を重ねて
若手アニメーターを育成していくうえでの課題や展望はありますか?
なるべく一つの作品にじっくり取り組める環境や仕事を確保したいと考えています。キャラクターや物語への理解が深まるほどよい絵が描けるようになり、各カットに込められた演出意図が読み取りやすくなるからです。
それでは、若手アニメーターに求めるものは?
ただ待っているだけでは、仕事も人も寄ってきません。「担当したいカットがある」でも「修正指示をもらったカットはどこが悪かったのか」でもいいので、前向きに取り組んで積極的に経験を積んでほしいですね。アニメスタジオに所属しただけでは、まだアニメーターとは言えません。
最後に、若手のアニメーターやアニメーター志望者に向けて神戸さんが考えるアニメーターの定義を教えてください。
「家族を養えるほどに稼げるようになること」「自分が担当したカットにどのような意図を込めたかきちんと言えること」。これができて初めて一人前のアニメーターと言えます。
今はSNSで自分が担当したカットを視聴者に向けて発信できるのでよい時代になったと思いますが、視聴者の目を引くものだけがよいカットではありません。
座っている状態から立ち上がる所作を描くだけのカットにも、キャラクターが持つ感情や性別を込めることができます。視聴者には何気なく感じられるカットに、さまざまな情報を込められるのも優れたアニメーターの条件ですね。
取材日:2019年4月25日 ライター:佐藤 由紀子
マジックバス新潟合同会社
- 代表者名:神戸 恵蔵
- 設立年月:2019年9月
- 事業内容:TV・劇場アニメ制作に関わるデジタル動画・原画制作
- 所在地:〒950-0916 新潟県新潟市中央区米山6-11-22
- URL:https://www.mbniigata.com/
- お問い合わせ先:上記HPの「お問い合わせ」より