「織れるものなら何でも織る」。変化を恐れない京都の織元が目指す、”日常に織物がある”世界
さまざまな伝統産業が、令和の時代もイキイキと輝いている京都。歴史を積み重ねてきたその街に、伝統を守りつつも変化を恐れない会社がありました。株式会社立野矢(たちのや)は、西陣織の技術をいかしながら、現代のニーズに沿った製品を生み出している京都の織元(おりもと)。「伝統を守る」「変化を加える」、どちらも切り捨てずに会社としての成長を実現しています。今回は、代表の吉岡 晶子(よしおか あきこ)さんに、立野矢が歩いてきた道のり、京都の織元として目指したい未来について、詳しく伺いました。
“織れる物なら何でも織る”。西陣織界に新風を吹き起こした父の姿勢を受け継ぐ
立野矢は1981年に設立。事業を開始したのは、それ以前の1973年なんですよね。まずは、事業を開始した経緯から教えていただけますか?
立野矢の一代目は、私の父です。父は京都府の京丹後市で生まれ育ち、親元を離れてからは京都市内の織物業の会社に勤めました。そこで織物のノウハウを学び、独立。西陣織で有名な京都西陣で、立野矢を立ち上げたんです。初期は立野織物という名前でスタートしました。
西陣は、京都市北西部に位置する地域の名称ですね。織物産業が活発な地域ですが、具体的にどのような事業から始めたんでしょうか?
最初は、生地を折るための織機(しょっき)を導入して、着物の帯にする帯地(おびじ)の製造販売から始めました。
そのあとは、草履やハンドバッグ生地などの製造にも取り組み、現在は「織れる物なら何でも織る」をコンセプトに、お客さまからのご要望にできる限りお応えしています。
「織れる物なら何でも織る」というマインドは、お父さまの時代から培われてきたものですか?それとも、二代目である吉岡さんから生まれた発想でしょうか?
伝統を守りつつ、自由な発想も忘れないというスタイルは、父譲りかも?創業当時の織機は幅35cmほどの帯地を織る小幅と呼ばれるタイプの織機がスタンダードでした。そんななかで、父は幅100cmの織機を導入したんです。
広い幅で織ることで、どんな違いがあるんでしょうか?
通常の織機だと、取れる帯地は帯1本分。100cm幅織機なら、完成後は帯が3本取れるんです。父は、その織り方を西陣界隈で初めてした人らしくて。今となっては珍しくありませんが、当時の父は、界隈で異端児扱いされていたみたいです。
過去に縛られずに自由に発想して、それを実現できるお父さまだったんですね。
そうですね。幼少期から、父が「なんでも織るで!」とお客さまと話している姿を見てきました。もちろん、伝統を守り続けることも大切ですが、なによりお客さまのご要望に寄り添う父の姿勢を守り続けています。
父はすでに他界してしまいましたが、お客さまがフランクに相談してくれる立野矢でいられるよう、二代目として努めていこうと思っています。
新しい織物スタイルを確立した“京織”。織物を日常に
立野矢では、2015年に「京織(きょうおり)」を立ち上げました。新しい織物のスタイルとのことですが、具体的な特徴を教えていただけますか?
京織では、西陣織の技術も残しながら、お客さまのニーズに応えるための自由さを取り入れました。ペイズリー柄やパイソン柄、チェック柄など、現代のライフスタイルに合わせやすい柄・素材を豊富に取り揃えています。
生地のご納品先は、ネクタイやバッグ、雑貨など、幅広い製品にご利用いただいています。
織物でペイズリーやチェックの柄があるのは、正直驚きです!実は、織元という場所は、着物を着る方のみが足を踏み入れる場所というイメージがあって……。
そうですよね、わかります。織元に対して「高級そうで入りにくい」という印象をお持ちの方は、まだまだ多いと思います。立野矢は、そのイメージを払拭していきたいんです。
京織のコンセプトは「日常に織物を」。「こんな柄がほしい!」と思ったときに、気軽に織元に相談できる時代を作れたら……と思っています。
「京織」という製品名は、どなたが考えたんですか?
京織を製品として確立させる前から、私が個人的にその名称を使っていたんです。
製品名になる前から、吉岡さんにとっては「京織」の言葉は馴染みがあったんですね。
その通りです。製品として京織を立ち上げたのは、お客さまからのアドバイスがきっかけでした。立野矢をご愛顧いただいている方が、私に「立野矢のブランドとして、京織の名称を使ったほうがいいよ!」とおしゃっていただいて。そのあと、無事に京織のロゴで商標登録できました。京織が立野矢の顔の一つになれたのは、お客さまが立野矢のことを親身に考えてくださったおかげなんです。
イラストから生地を製造!顧客の理想を実現
立野矢では、オリジナルの生地も製造できるんですよね。
はい。写真でも、イメージ図でも、頭の中にあるデザインを私たちに共有いただければ大丈夫です。最近だと、自分で描いたイラストを持ち込んでくださいました。
お客さまのイメージをもとに、まずは私たちのほうで紋紙(もんがみ)を作ります。
紋紙は、デザインを形にする際の設計図のようなもの。画用紙のような厚紙に小さな穴が空いていて、その穴からの指示で経糸を上下に動かしその間に横糸が通り、柄を作り出すのです。
今は、USBなどのデータで製造している織元さんも多いですけどね。立野矢では、昔ながらの紋紙が現役で活躍しています。
作成した紋紙を織機にセットして、製織。紋紙があれば、糸の色を変えた別バージョンを作成することも可能です。
打ち合わせをして、紋紙を作成して、試作品を作って……というのは、もちろんある程度の時間がかかります。ただ、私はこの時間が本当に好き! お客さまが望む生地を織元として形にできることが、心からうれしいんです。
ちなみに、立野矢では小ロットでも対応可能と伺いました。小規模の依頼ができるのは、お客さまにとってはうれしいですよね。
実は、私自身も過去にものづくりをしていたんです。ポーチや財布を作るなかで「こんなデザインを作りたい!」と思っても、工場からはある程度のロット数を求められる。やりたいことができないもどかしさを、強く感じていたんです。
立野矢のお客さまには私と同じ苦しみを感じてほしくないので、できる限りご要望の量でお受けできるように努めています。
“オープンファクトリー”で織物を身近に。顧客に救われる日々
先代のお父さまも、二代目である吉岡さんも、変化を恐れずに前に進んでいる印象です。世の中には「変化が怖い」と感じる方もいるなかで、不安などはないんでしょうか?
そこは、お客さまに救われている部分が大きいです。父も、私も、積み重ねてきた西陣織の技術をいかしながらも、自分たちのスタイルも大切にしたいと思っているんです。立野矢のお客さまは、それを理解したうえで「こんなデザインを織りたい」「こういう織物がほしい」と相談してくれる。立野矢の織物を求めてくれるお客さまに、本当にたくさんの勇気をもらっています。
目の前にいるお客さまの声に、丁寧に耳を傾けているように感じます。お話を伺ううちに、京都の織元さんとの距離が近く思えてきました。
ありがとうございます!もちろん、カッチリした威厳のある織元さんも、京都の伝統産業を支えていると思います。
ただ、立野矢は、織元のなかでも日常に溶け込むスタイルで運営していきたいんです。生地が必要なときに、軽い気持ちで「じゃあ立野矢に相談してみようかな」と思ってほしい。
立野矢がこれから目指したい未来について、最後にもう一度お聞かせいただけますか?
立野矢では、織物を製造している工場を「オープンファクトリー」と呼んでいます。名前の通り、個人でも法人でも、どんな人に対してもオープンに織物を届けたい。生地が必要な人のサポートができたら、こんなにうれしいことはないです。
「こういうのを作りたいけど、無理ですかね」などの、ちょっとしたご相談でもいいんです。「じゃあ、こういう風にしたらどうでしょう」「いやいや、こっちもいいですね」と、お客さまのご要望を汲み取る過程も丸ごと楽しめる織元が、立野矢ですから。
取材日:2023年11月14日 ライター:くまの なな
株式会社立野矢
- 代表者名:吉岡 晶子
- 設立年月:1981年1月(創業1973年8月)
- 資本金:1,000万円
- 事業内容:各種織物製造
- 所在地:〒603-8487 京都市北区大北山原谷乾町131-3
- URL:https://tatinoya.com/
- 電話番号:075-462-2975