「インディーズがメジャーを倒す」、世界が認める映像制作会社目指し。失恋がきっかけで映画の世界へ

新潟
合同会社レンズ 代表社員
Hitoshi Chiba
千葉 仁

大学時代の失恋を機に、映画や映像制作の道へ進むことになったという新潟の合同会社レンズの代表社員・千葉 仁(ちば ひとし)さん。周囲が就職活動に励むなか、自ら映画監督にアプローチし、実践的にものの捉え方を学んだといいます。新潟というインディーズな土地から世界が認める映画会社になることを目標に、現在はクライアント依頼の映像制作に取り組む同社の誕生から未来についてお伺いしました。

心が揺れ動いていたタイミングで知った映像の魅力。のめり込んだ映画、一日8本観る日も

映像制作に興味を持ったきっかけを教えてください。

宮城県で生まれた私は、大学進学のために新潟県にやってきました。周囲から、将来潰しがきくから、という勧めもあって法学部に進んだのですが、入学初日に「自分は潰しを求めているタイプではない」ということに気が付いてしまいました。特に何があったわけではないのですが、強いていえば、周囲との気合いの差を感じたから。
そう感じた要因は、私の高校時代の経験に起因します。私は高校時代に応援団に所属していました。この応援団は戦前から続く歴史ある応援団で、登校時には下駄を履く。髪型は、3年間伸ばし続けるかスキンヘッド。平成後期であるにもかかわらず、ガチガチの体育会系でした。そこで私は、77代目の副団長として、誰よりも忙しく活動していたのですが、その経験があまりにも刺激的過ぎて、自分では気が付かないうちに、普通の生活では物足りないような感覚になってしまっていたんですね。
そんな感覚を持ちつつ、当時流行っていたニコニコ動画の影響から、動画の編集に興味を持つようになりました。そこで、大学内にあった映画クラブというサークルに入ったのが、そもそものきっかけになります。

もともと映画に興味を持っていたのですか?

いえ、映画が好きで入ったわけではありませんし、それまで映画をほとんど見たこともありませんでした。映画にどっぷりとハマったきっかけは大学時代に経験した失恋からでした。サークルに入ってから半年ほど経ったある日、当時付き合っていた彼女と別れることになりました。毎朝、枕が濡れているほどに辛い日々、何を食べてもゴムの味。失意のどん底にいた私は、映画に逃げようと考えました。
そこで最初に見たのが「アヒルと鴨のコインロッカー」という伊坂幸太郎さんの小説を映画化した作品。心が揺れ動いていたタイミングだったから余計に、ヒューマンドラマの魅力に惹きつけられ、そこから映画にのめり込むようになりました。多いときで一日8本、大学の図書館でずっと映画を見る生活が始まりました。

映画監督に自らアプローチ。師匠が教えてくれたこと

千葉さんは、大学生時代に手塚治虫さんの長男で映画監督の手塚眞さんと出会われていると伺いました。そのきっかけを聞かせてください。

大学3年生になった春のことでした。自分が新潟に来てからの2年間、何もできていないこと、そして就職に対する焦り、自分のなかのモラトリアムが残っていないことをあらためて考え、「この半年で自分のやりたいことをやりきろう」と考えたのが、そもそものきっかけでした。
そこでちょうど新潟を舞台に映画を撮っていた手塚監督に想いだけでアプローチ。「映画づくりの現場に3泊4日で参加させてほしい」とメールをしたら、翌日事務所の方から返信が来て、とんとん拍子に話が進み、実現するにいたりました。
手塚監督からはいろいろと学ばせていただきましたが、私のなかで最も大きかったのは、どうやったら楽しく映像作品を作れるかという視点の持ち方。技術的なことよりも、根本的なことを実践的に教えていただいたのが印象的でしたね。

起業を考えるようになったのはいつごろからですか?

手塚監督に師事してから約半年後、自分に一番正しいのは、就職することではなくて、こっちの世界でやっていくことだと思い、起業することにしました。ただし、当初は会社組織を立ち上げるのではなくて、フリーランスという形態をとり、大学時代からの友人である吉田麻希さんとともに映像の制作を始めました。
主に私が営業的に外回りをして、彼女が制作。そんな形で3年が経った28歳のとき、2022年6月に合同会社を立ち上げました。

メジャーに勝てるインディーズを新潟から。柔軟な対応でスムーズなコミュニケーションを

新潟で起業しようと考えた理由は?

先述した大学時代の挫折、新潟で何も成し遂げられていないという経験が根底になります。
また、東京に行かずとも映画が撮れるという証明が、私自身の存在の証明にもつながると考えたからですね。私の思考回路のなかには、メジャーとインディーズという考え方があります。東京がメジャーだとすれば、新潟という地方、インディーズがいかにそれを倒すかができたら面白いって。だから、新潟で起業しようと考えました。

現在の事業内容を教えてください。

映像制作と広告代理店業が主となります。会社組織にした際に、営業担当として五十嵐が、企画担当として松本が加わり、これまでよりも立体的な組織となりました。孫請けをするのではなく、一気通貫でクライアントの要望と向き合えるのが、弊社の強みだと思っています。
また、コミュニケーション能力の高さも弊社の強みですね。私はもともと表に出るのが好きなタイプ。クリエイターですが、クライアントさまとの打ち合わせも積極的に行い、常にいいものを、と提案をしていくタイプです。ただクライアントさまのなかには、私のようなタイプが苦手という方もいらっしゃいます。そういったときには、対話が得意な五十嵐、デザインなどビジュアルで意思疎通を図る松本と、私とは異なるコミュニケーションの取り方をできる人間がいます。そして、それぞれが伝え聞いたことを社内で素早く共有できる、そういったスムーズな意識統一が可能です。

クライアントを巻き込みながらの映像制作。重要なのは「いかに偶然を作れるか」

映像をつくるうえで、最も重要視していることは?

演技です。動画のカメラマンは、撮ることに興味があっても、人の仕草や動きなどの演技には興味がないことが多々あります。一方、私は動画制作を行うクリエイターであると同時に、動画撮影のカメラマンでもあります。こういった動きをしてほしい、こういった表情がほしい、目線はこう、と指示を出し、作品の統一感を演技からつくることができるのは強みだと思い、重要視しています。
そのために、大切にしているのは、いかに偶然を作れるかということ。キャスティングした時点で、運は始まっていて、その運、偶然を生かせるか。リアルな演技をしてもらうために、演者の素を引き出せるようコミュニケーションを取るようにしています。

これまで制作した作品のなかで、特に印象に残っているものを教えてください。

どれも思い出に残っているので、特定のこれというものは挙げられないですね。しかし、共通していえるのは、制作中でも常に提案し続けているということ。
本来であれば、一度提案したものを撮影・制作して終わりでいいのでしょうが、私の性分上それができない。追加の予算をいただくわけでもないのに「もっとこういうのも撮りましょう!」と追加していっちゃうんですよね。そしてクライアントさまもその提案を受け入れてくれ、さらにはクライアントさまの方から私たちに「こんなのはどう?」と逆提案されるような関係性になっていることもあります。そんなときにお互いがお互いを高め合いながら、いいものを作り出そうとする、弊社ならではのスタイルが支持されていると感じますね。高校の応援団時代に身につけた、人を巻き込みながら物事を成し遂げるスタイル、いろいろな人々と一緒に物事を作り上げるスタイルで作品づくりに臨んでいます。

目指すは世界が認める映画会社を新潟から。行動力がある人とともに

今後の御社の目指すところは?

クライアントさまからご依頼いただいた映像をしっかりと作ることはもちろんですが、一方で自分たちの作品で収益を得るということも大事にしていきたいですね。私たちの最終的な目標は、日本にはこれまでなかったような映画会社に育てていくことです。それを新潟という場所で達成するためには日本ではなく、海外を意識していくことが必要だと考えています。例えば、海外の映画祭で評価されるような作品づくりを行える事業を立ち上げることが近い将来の目標です。

その目標に近づくため、どのようなクリエイターたちと一緒に仕事をしたいと考えていますか?

自分から積極的にアプローチしてきてくれる人には、ジャンルを問わず、好感を持てますね。具体的なジャンルに関していえば、動画撮影のカメラマンでしょうか。やはり重要視するのは、ものの捉え方や感性といったところ。感覚的に近そうなカメラマンとより一緒に仕事をしてみたいと思っています。

取材日:2023年11月22日 ライター:コジマタケヒロ

合同会社レンズ

  • 代表者名:千葉 仁
  • 設立年月:2022年6月
  • 資本金:250万円
  • 事業内容:映像ディレション、映像制作
  • 所在地:〒951-8061 新潟県新潟市中央区西堀通5番町857−2 野村ビル1階
  • URL:https://www.lens-llc.co.jp/
  • お問い合わせ先:

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