日本の伝統を日常に。“使いづらい”をリデザインで払拭、作り手重視の“正しいものづくり”を追求するワケ
京都のテキスタイルブランド「SOU・SOU(ソウソウ)」は、日本の伝統的な素材や技法を使って、現代のライフスタイルに馴染むデザインの和装や小物を販売しています。SOU・SOUを代表するポップな数字のモノグラムは、京都好きなら一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?和を感じるテキスタイルから作られたファッション小物やインテリア用品はおみやげとしても大人気。京都の中心地に構えた11の直営店には海外旅行客も数多く訪れています。
しかし、その可愛らしいデザインの裏側には、「MADE IN JAPAN」を貫く強いポリシーがありました。SOU・SOUのプロデューサーで若林株式会社の代表である若林 剛之(わかばやし たけし)さんに、ブランド立ち上げの経緯とその想いを聞きます。
東京でファッションを学び、仕事にして感じたこと。「日本文化をテーマに、自分なりの何かを生み出したい」
SOU・SOU立ち上げまでの若林さんのご経歴について、お聞かせください。
出身地は京都。学生の頃からファッションが大好きで、将来はデザイナーやアパレルブランドで仕事をしようと決めていました。高校卒業後は東京のオーダーメイドスーツ作りの専門学校に進学。とはいってもスーツに興味があったわけではなく、学校に寮があって安く住めたからです。ファッションの中心地である東京に出られるなら、どこでもよかったんです。
その専門学校はもう廃校になってしまいましたけど、寮は2段ベッドがぎっちり並んだ6人部屋で、1畳分くらいしか動けるスペースがなくてね。みんなベランダでバーッと水をかぶって拭いて、風呂代わりにしていました。冬場は寒かったなあ。
それでも、東京でファッションを学ぶ日々は刺激的だったのでしょうね。
安直な理由で選んだとはいえ、スーツを手縫いで仕立てるような高度な縫製技術を学べたことはすごくよかったです。専門学校卒業後はアパレルブランドでしばらく働き、26歳の時に独立しました。ロンドンやニューヨーク、パリなどのファッションが好きだったので、海外で買い付けをして日本で販売するセレクトショップをやろうと思って。京都にはあまりそういった店がなかったので、地元に戻って店を構えることにしました。
海外を周って好きな商品を買い付けてくる日々は楽しかったです。10年ほど続けましたが、最後の数年間は「流行を後ろから追いかけているだけだな」と感じることが増えて。クリエイティブさとはほど遠く、海外の誰かが生み出した流行を頼りに商売している。端的に言えば「ダサいな」と思ってしまったんですよね。そこから、日本の素晴らしい文化をテーマに、自分なりの何かを生み出せないか、と考えるようになりました。
伝統文化を再解釈し、日々の生活に馴染ませる。最強タッグでブランド設立
SOU・SOUのコンセプトである「新しい日本文化の創造」。そのルーツが見えてきました。親しみやすくポップな今のイメージにはどうつながっていくのでしょうか?
当時思っていたのは、日本の伝統的な技術で作られた“本物”の品は、確かに素晴らしいものであるけれど、現代の生活には馴染まないな、ということ。たとえば、重厚感ある漆塗りのお椀は日々の食卓では使いづらかったり、良い着物ほど気軽に着られず着付けのルールもわからないから怖い、と感じたりしてしまう。
しかし、今の着付けのルールは明治時代にできたもので、江戸時代はもっと自由に着ていたんですよ。だったらルールはいったん置いておいて、自由に楽しく使えるものを作ればいい。使い道フリーのお茶碗とか、普段着のカジュアルな着物とかね。伝統を生かしつつも、時代に合った自由に楽しく使えるものに作り替える。これこそが、自分ができることなのかもしれない、と考えていました。
そんな時に出会ったのが、建築家の辻村 久信(つじむら ひさのぶ)さんと、テキスタイルデザイナーの脇阪 克二(わきさか かつじ)さん。初めて脇阪さんのテキスタイル作品を見た時、すごく普遍的なものを感じたんです。30年前に作ったデザインと今のデザインを並べても、年月の隔たりを少しも感じない。脇阪さんのテキスタイルを使えば、何年たっても輝きを失わないアイテムが作れる、と確信しました。そこで、脇阪さんと、インテリアデザインにも精通している辻村さんに「一緒にブランドを立ち上げませんか」と声を掛けました。
それがSOU・SOUの始まりとなったのですね。
コラボレーションが始まったのは2003年。3人が共同でやるのではなく、自分が代表者になって出資し、すべての責任を取る、という形式でスタートしました。
最初に作ったアイテムは、脇阪さんのテキスタイルを使った足袋や扇子、テキスタイルの柄から取った「数字」の形の和三盆などです。足袋は「紐足袋」という昔ながらの形を採用し、全国で紐足袋を唯一作ることができた東京の老舗に依頼して制作しました。
当初は「teems design + moonbalance」というブランド名でしたが、東京での出店依頼があり、わかりやすくシンプルな名前にしようと「SOU・SOU」に変えたんです。ルーツは日本語の「そう、そう」という言葉。相手を認める肯定の意味があり、同じ言葉が二つ続く響きもかわいいな、と思って。
東京進出するも苦戦。窮地を救ってくれたアイテムとは
立ち上げ後間もなく東京出店。順風満帆な滑り出しでは?
それが、東京の店舗は売り上げがぜんぜん伸びなくて。もう撤退するしかない、という瀬戸際で、新商品の「地下足袋(じかたび)」が大ヒットしたんです。
地下足袋とは、屋外で履く足袋のこと。白や黒しかなかった地下足袋にカラフルな布を使い、日常的に履けるオシャレなデザインに生まれ変わらせました。店舗では色とりどりの地下足袋を壁一面にディスプレイしたのが目を引いたようで、お客さまが次々に入ってきてくれるようになりました。
地下足袋が会社の窮地を救ってくれたのですね。
はい。勢いに乗って地下足袋を大量に生産し、会社の経営を軌道に乗せることができました。商品のバリエーションも増やし、バスタオルやクッション、風呂敷、食器、文房具など、生活のなかで使ってもらえるようなアイテムを作ってきました。現在はインターネットショップでも購入できますし、京都市内に11店舗、東京に2店舗、サンフランシスコに1店舗の直営店を構えています。
職人さんに利益が還元される“正しいものづくり”にこだわりたい。国内産を安価に提供できるワケ
国内で作ることにもこだわっているそうですね。
今、この国のアパレル製品の98%は海外製で、日本製は2%しかありません。日本のファッションが世界で注目されている一方で、国内の生地屋や染屋、縫製業はどんどん衰退している。これはおかしな話だと思いませんか。
SOU・SOUは「JAPAN DESIGN JAPAN MADE」をコンセプトに、日本の伝統的な技術を使って、現代のライフスタイルに合った商品を作る。それが私たちの考える『新しい日本文化の創造』であり、創業当初から一貫して続けてきたスタイルです。日本には質の良い素材があり、染めや縫製などの本物の技術がある。日本文化を反映したものづくりをするなら、SOU・SOUの商品が売れたときに、国内の工場や職人さんに利益が還元できるのが正しい姿だし、そうなるようなスキームを採用しなくてはいけないと思っています。
国内製造にこだわると高価格になってしまうイメージがあります。しかし、SOU・SOUの商品は手が伸ばしやすい価格に収まっていますね。
呉服業界では、卸売り業者を通すと価格に手数料が上乗せされるんです。1万円で作ったものが、いくつもの業者を経由するうちに10万円になってしまったりする。だから私たちは卸売りを通さず、商品を自社の直営店で販売しています。間に業者を介さないことで、リーズナブルな価格で販売できるようにしているんです。
大衆に支持されてこそ意義がある。企業コラボ多数、次はゴキブリ駆除グッズをリデザイン?
これまで数多くの企業とコラボレーションされていますね。店舗に足を運んだことがなくても、SOU・SOUの名前やテキスタイルは知っている、という人も多いように思います。
企業とのコラボレーションはすべてSOU・SOUブランドの広告宣伝活動でもあると考えています。お菓子のパッケージやペットボトル飲料のオマケ、ノベルティグッズなど、これまでさまざまなご提案をいただきましたが、ほぼすべてお受けしています。コラボレーション商品は完全日本製というわけにはいきませんが、せっかくなら気に入って長く使ってもらえるものを、と思って企画しています。
今後、企業コラボレーションで作ってみたい製品はありますか?
実は、一番やってみたいのはゴキブリ駆除のハウスなんですよね。
ゴキブリですか?!意外な回答です!
たとえば、箱ティッシュは生活感が出るからと、ティッシュカバーをかぶせられちゃったりする。だったら、そのまま置いても違和感がないような美しいデザインの箱を作ったらいいんです。ゴキブリハウスだって、ゴキブリの絵よりもオシャレな花柄のほうが部屋に置きたくなるでしょう?
人の暮らしをレベルアップさせるものがデザインだとしたら、今足りていないところにどんどん使っていきたい。ほかのブランドが決してやらないようなものまで、私たちの手でやってみたいです。
伝統と格式はセットになっているイメージがありますが、そこを崩していきたいと。
「伝統」と呼ばれているものだって、最初は誰かがどこかで始めただけなんです。当時はそれも「新商品」だったはずで。それが多くの人に支持されて100年、200年と続いていくうちに、歴史あるものになっていくわけですよね。
今でこそ日本を代表する文化になった漫画やアニメも、もともとは子どもたちを楽しませるために生まれたものでしょう。大衆が支持したものは、文化になる。文化は、芸術になっていくんです。だから私は、大衆に支持されているものがカッコいいと思っています。
日本文化の“気軽な入り口”になりたい。「高校生が地下足袋を履いている光景」を夢見て
若林さんがSOU・SOUを通して成し遂げたいことがわかった気がします。
日本の伝統産業は高齢化でどんどん衰退しています。おこがましいかもしれないけれど、私たちのものづくりを通して、それを少しでも止められたらと思っています。SOU・SOUの足袋を「かわいいな」と思って買った人が、着物にも興味を持ってくれるかもしれませんし、SOU・SOUの服を着ている日は、「和菓子を買ってみよう」とか「お茶を習ってみようかな」という気分になるかもしれません。私たちの位置づけは、日本文化のカジュアルな入り口でいいんです。その先に“本物”がたくさん待っているから。
商品の幅を広げたりコラボレーションしたりすることで、たくさんの入り口を作りたい。それがきっと、日本の伝統文化や技術を支えることにつながるはずです。
この先の叶えたい夢は何でしょう?
自分が80歳とか90歳になって、街で高校生が地下足袋を履いている光景が見られたらいいですね。街中の靴屋に売っている、みたいな。いつか「今日は地下足袋履こうか」っていう日が当たり前になったら、日本の伝統産業もきっと元気を取り戻しているんじゃないかな。
取材日:2023年12月20日 ライター:土谷 真咲
SOU・SOU(若林株式会社)
- 代表者名:若林 剛之
- 設立年月:1996年12月
- 資本金:1,000万円
- 事業内容:「新しい日本文化の創造」をコンセプトに国産地下足袋 和服 家具 雑貨の製造 販売
- 所在地:〒604-8042 京都市中京区新京極通四条上ル二筋目東入ル二軒目P-91ビル3F
- URL:https://www.sousou.co.jp/
- お問い合わせ先:075-212-8244