沖縄の伝統を現代風にリデザイン、関わる皆を幸せに。MIT卒代表が臨むスモールビジネスの発展
プロダクト開発ためのショールームと店舗の機能を兼ね備えた事務所を構える、沖縄のデザイン会社see em why k (シーエムワイケー)。東京生まれ、東京育ちの代表の松丸 三枝子(まつまる みえこ)さんは19歳という若さで起業して以来、東京、アメリカで数々のビジネスを起こし、さらにアメリカでは世界最高峰の学府でデザインを学んできたパワフルな才媛です。「生き急いでいる」と周囲から言われるほど常にアクティブな松丸さんが、なぜ沖縄という縁もゆかりもない土地に会社を立ち上げたのか?波乱に満ちた経歴とともに語っていただきました。
小学生でデザイナーになることを決意し、19歳で起業。タワレコで確信した「これはビジネスになる」
19歳という若さでデザイン会社を立ち上げられたと伺いました。いつからデザインの世界に入られたのでしょうか。
小学生の頃にはすでに「将来デザイナーになる」と決めていて、中古のMacを早い段階で両親に買ってもらい、デザインに明け暮れていました。学生時代にアメリカへ留学し、帰国後は友人の音楽イベントのフライヤーやロゴなどをデザインしているうちに、個人事業主としてある程度稼げるようになっていました。
そんななか、渋谷のタワーレコードへ行ったときに棚に並ぶフライヤーをふと眺めてみると、私がデザインしたものが半分ほど占めていたんです。「これはビジネスになる」とピンときました。複数のフライヤーをまとめた情報誌を制作し、配布まで行えば、広告も掲載できると思い付き、グラフィックデザインの会社を設立してそのビジネスを始めました。
何人かスタッフを雇ってみたものの、全員私より年上。まったく言うことを聞いてくれません。悩んで知人のWeb開発会社の社長に相談したところ、その会社にはデザイン部門がなかったことから会社ごと買収してもらえることに。その会社の副社長兼シニアデザイナーに就任し、しばらく勤めたのち同じ職場のプログラマーとともに株式会社グラフネットワークを設立しました。
グラフネットワークでの業務もグラフィックデザインがメインだったのでしょうか?
グラフィックからWebまで幅広く請け負っていて、特にWebについてはプログラミングからデザインまで一気通貫できる体制を敷いていました。当時はそのような会社がまだ少なく、さらに初めてホームページを持つクライアントも多く、順調に業績を伸ばせました。
また、私のように女性でWebデザインができる人材も少なかったので「ユーザーの行動や心理がわかる」と、大手の化粧品会社やアパレル企業の案件を多く担当できました。
日本の安定した地位を放し、アメリカでレストランオーナーからMITの大学院生に
順調だったなか、アメリカへ移住された理由を教えてください。
10年ほど勤務して大手クライアントも増え事業が安定した頃合いで、元々興味を持っていたアメリカでのビジネスに挑戦してみたいと思ったからです。アメリカでもデザインを続ける予定でしたが、投資家ビザが取得しにくいと知りました。弁護士に相談したところ、「アメリカ人と結婚するかレストランでも経営するしかないね」と冗談半分で言われ、すぐにハリウッドでレストランを購入することにしました。
職業がらレストランのブランディングやマーケティングは成功し、オープン初日から大盛況だったものの、レストラン運営は当然素人で内部のオペレーションはまったく上手くいかず、あっという間に経営は悪化。やむなく店を売却したのですが、なんと購入した5倍の価格になりました。
すごいですね!なぜそこまで高値で売却できたのですか?
当時のアメリカでは日本といえば「芸者」とか「忍者」という世界観で、日本食店もその雰囲気を踏襲したところばかりだったなかに、モダンでおしゃれな居酒屋を作ったんです。そのデザインをバイヤーが気に入ってくれたようです。この経験からアメリカでのビジネスが俄然おもしろくなり、その後3軒の飲食店をプロデュースしすべて売却しました。
飲食業で培ったネットワークのおかげでデザイン業の依頼をいただけるようになったものの、文化の違いから困難に見舞われることもしばしば。より効率的にアメリカでビジネスをするには、しっかり知識を身に付けようと、UC Berkeley(カリフォルニア大学バークレー校)に進学し、負けず嫌いな性格も手伝い、主席で卒業できました。
さらにMIT(マサチューセッツ工科大学)の大学院に進みました。デザインとエンジニアリングとビジネスが融合したIntegrated Design and Managementという、私が今までやっていたことを理論的に学べる修士課程で、さらにデザインの世界を深堀りできたと思います。
大学や大学院に通いながらお仕事も続けていたのでしょうか?
続けていました。UC Berkeleyの頃は新しいWebサービスの立ち上げと出産が重なっていたので、抱っこ紐を付けながら勉強したり、仕事したり(笑)。
MITはボストンにあるので家族で引っ越し、日本の伝統工芸品などを扱うショップ「Crane&Turtle(鶴と亀)」を立ち上げました。
学生生活と同時進行で日本の伝統工芸品ショップを始めた理由とは?
そのようなお店を始めた経緯を教えてください。
長生きの象徴である鶴と亀になぞらえて、長く使える日本の伝統工芸品を紹介したいと考えたからです。というのも、「大量消費」というアメリカのライフスタイルと、それを後押しするデザインの役割に疑問を感じ始めてしまって。デザインの力はパワフルなので、例えば不健康な商品を健康に見せて売ることもできます。「大量消費」とは真逆の長く愛される伝統工芸品を扱うことで、新しい学びを得られると思いました。
また、ずっとBtoBの仕事をしてきたので、実店舗を通してBtoCを経験することで、ユーザーの思いをデザインに落とし込む「デザインシンキング」という概念を体得できるとも思いました。このお店のおかげで、大学院で学んだことをリアルに生かせましたし、スモールビジネスだからこそ、助け合えるコミュニティの温かさを身にしみて感じられました。
「仕事三昧の生活を改善したい」と沖縄へ移住するも、再びハードワーカーに
やりがいを感じられていたようですが、ボストンから、東京ではなく沖縄に移住した理由を教えてください。
MITという世界最高峰の教育機関でデザインを十分に学べた達成感があったからです。今までがむしゃらに働いてきた分、家族との時間を大切にしながら、地に足付けて生活したいと思い、移住先を沖縄にしました。しかし性分なのか、2022年9月に沖縄に来て10月にはシーエムワイケーを立ち上げて、相変わらず忙しく暮らしています(笑)。今は東京にあるグラフネットワーク、ウィーブクリエイティブの代表も兼任しており、他に社外取締役も務めているので、「沖縄でゆっくり」とは程遠いですね(笑)。
沖縄の高品質なものが世に出回りづらかったワケ。「ジレンマ」原動力に編み出した策とは?
沖縄では、ボストンのように実店舗も構えられています。引き続き伝統工芸品を多く扱っているのでしょうか?
はい。注力しているのは、伝統工芸品に限らず、沖縄で作られている良いものを、デザインの力で現代のユーザーに広く使われる形に変えることです。
この方法はボストンで行っていた伝統工芸品のローカライズと同じで、とても重要視していました。日本の伝統工芸品はおとなしいものが多く、アメリカ人にはわかりづらいものも多いんです。アメリカ人のライフスタイルに合わせたネーミングやデザインを施すことで、一気に買いやすくなり、職人さんにも還元されます。
沖縄の場合、高品質のものを作る小規模事業者はとても多いのですが、デザインやブランディングにコストをかけられないので、商品が世に出回りづらい。その代わり、ブランディングが上手な日本の大手企業が「沖縄ナイズ」したものが売れ、沖縄には還元されません。そのジレンマを解消すべく始めたことが、まず小さな事業者さんが作る商品の中身を弊社で購入し、私がデザインを施して付加価値を付け、新たな商品として店舗で販売する事業です。この際デザイン料は一切いただきません。
事業者さんはデザイン料の負担なく、新しくデザインされた商品が販売できるうえ、デザインや販路拡大の心配をせずものづくりに専念できる、という仕組みです。
小規模事業者を救うビジネスモデルがグッドデザイン賞を受賞。ある悲嘆から考えた「本物のデザイナー」とは
その仕組みの手ごたえはいかがですか?
多くの事業者さんとお付き合いでき、店舗で扱う商品の半分以上を占めるまでになりました。また店舗はショールームとしての役割もあるので、デパートや空港のお土産店のバイヤーさんからお声がけいただき、販路を拡大できています。事業者さんからもポジティブな反応ばかりで、「長年ものづくりをしてきたけど、空港で販売できたのは初めてだ」とうれしい声をいただきました。また、このビジネスモデル自体が評価され、23年にグッドデザイン賞を受賞できました。
沖縄で仕事をして感じたのが、東京と比べてビジネスのスピードは決して遅くないということです。実は東京の組織の方が、決裁までに時間がかかったり打ち合わせが多かったりしますが、小規模事業者が多い沖縄だと経営者との距離が近く新しいものを作りやすいほか、ユーザーの声も聞こえやすい。ミニマムな流れですが効率的ですし、そこで生まれる温かなコミュニケーションもうれしくて、やりがいを感じます。
昔ある職人さんが「デザイン料を払って新しい商品を作ったのに在庫が余っている。デザイナーという人種は信用できない」と仰っていたのを耳にしました。なるほど、デザイナーたるもの、自分でデザインしたものを自分で売るくらいでないと、と思いショップを作りました。クライアントに真摯に向き合って「何をしたいか」を引き出し、適切なソリューションを提供することが、私の使命だと思っています。
新しいアイデアで沖縄のスモールビジネスのさらなる発展に寄与。「アートとテクノロジー」の活用を東京で追求
今後の夢や、展開していきたい事業についてお聞かせください。
沖縄のスモールビジネスをもっと発展させるサービスを広げていきたいですね。その一つとして、個人店専門のモールのような商業施設を作ろうと構想中です。
小規模事業者が多い沖縄ならではの施設になりそうですね。
そうだと思います。最近、弊社が主催して近隣の小さな店舗と一緒にイベントを開いており、毎回大盛況です。
もう一つ、デジタルアートミュージアムのようなものも作ってみたい。シーエムワイケーとは別軸でアーティストとしての活動もしていて、イマーシブアートやデジタルアートを提供する会社を東京に立ち上げたばかりです。アートとテクノロジーの新しい活用の仕方を追求していきたいですね。
最後に、これから一緒に仕事をしていきたいスタッフに求める資質を教えてください。
創作意欲のある方です。私自身ものづくりをしていないと不安な性質なので、そのような方であれば弊社できっと力を発揮できるはずです。何か作りたくてしかたない!という方にぜひ参画していただきたいですね。
取材日:2024年3月18日 ライター:仲濱 淳
株式会社シーエムワイケー
- 代表者名:松丸 三枝子
- 設立年月:2022年
- 資本金:300万円
- 事業内容:デザイン、ショップ、ワークショップ
- 所在地:〒902-0065 沖縄県那覇市壺屋1-6-2 1F
- URL:https://design.seeemwhyk.com/