「前例がない」はチャンス。制作期間7年半、手描き作画4万超の自主映画が大ヒット
東京の株式会社ロックンロール・マウンテンを率いるアニメーション映画監督の岩井澤 健治(いわいさわ けんじ)さんが2020年に発表したアニメ映画『音楽』は、全編に実写映像をトレースするロトスコープ技法を用いる類を見ないアプローチで大きな話題を呼びました。“40歳の自分が後悔しないように”と時間と労力を費やして完成させた同作。「アニメ業界に多様性をもたらしたい」と語る岩井澤さんに、『音楽』の制作秘話やビジョンをうかがいました。
部活の引退でできた余暇で実写映画の魅力に目覚める
岩井澤さんは、当初実写映像制作の道に進まれたとうかがいました。
高校3年生の夏、中学1年生から6年間続けてきた野球部を引退したことで久しぶりに“予定が何もない夏休み”ができ、父がたくさん録画していた映画コレクションをなんとなく見て映画の魅力に引き込まれたのが、実写映画制作の道に進んだきっかけです。
高校卒業後に入学した美術系専門学校でボランティアスタッフを募集していたのがきっかけで、『網走番外地』シリーズなどヒット作を多数手がけた石井輝男監督に師事できました。
高校3年の夏に映画制作の道を志し、1年後にはもう映画の撮影現場に携われていたわけですね。
同年代の若いスタッフからさまざまな学びを得ながら自主制作映画を撮り始めましたが、撮りたいという気持ちだけが先走り、形になったものは一つもありませんでした。
一方で、彼らが手がける自主制作作品は同年代とは思えないほどクオリティが高くて……。そこで、映画の現場からはいったん遠ざかってしまいました。
“アニメだから”ではなく“アニメしか手段がなかった”
とんとん拍子のように飛び込めた映画制作の現場では、挫折も待っていたと。
はい。親のツテを頼り、映画とは関わりのないデザイン会社に就職もしました。しかし「自分の映像作品を作りたい」という気持ちはまだ残っていましたので、日中に働きながら作れる映画はどのようなものだろうと考え、アニメ映画ならできるのではないかと思いつきました。
日中は働いているとなると、キャストやスケジュールを確保できても夜のシーンしか撮れなくなってしまいますね。
その点、アニメであれば帰宅後の時間を使って1人でコツコツと作れます。特定の作品に衝撃を受けたから……というようなドラマチックな理由は一切なく「かぎられた時間で自分の映画を作るには、アニメという形態しか残っていなかった」というのが自主制作アニメに着手した理由なんです(笑)。
初の短編アニメ映画が複数のコンテストでグランプリに
「アニメという手法しか残っていなかっただけで、撮りたいものは実写映画だった」からこそ、ロトスコープ技法にたどりついたわけですね。現在もYouTubeで公開されている初の短編アニメ映画『福来町、トンネル路地の男 -Man in the Tunnel Alley-』を完成させた時の手応えはいかがでしたか。
僕が作ったものは間違いなくアニメですが「自分が完成させられる形態の映像作品がたまたまアニメという手法だった」だけで、僕自身はこの作品で実写畑の監督たちと勝負する心づもりでいました。
そのような思いと、作ったからには上映したいという思いが合わさり、実写映像作品とアニメ作品の両方を募集しているインディーズのコンテストに片っ端から応募しました。
三鷹市の第6回インディーズアニメフェスタと第4回吉祥寺アニメーション映画祭の両方でグランプリを受賞するなど、華々しい結果が待っていました。
応募するまでは作品を完成させることしか考えていませんでしたが、作品を認めていただけたことが大きな自信になりました。授賞式などを通じて同年代の映像作家や監督ともつながりができるうえ、賞金をいただけたりもするので、これはいいことしかないぞと(笑)。
“40歳の自分が後悔しないように”長編の自主制作を決断
どのように『福来町、トンネル路地の男』から『音楽』へとつながっていくのでしょうか。
『福来町、トンネル路地の男』が受賞してからほどなくして、僕は30歳になりました。18歳の頃に思い描いていた30歳の自分は「すでに映画監督デビューしており、何本か撮ってキャリアを積んでいる」イメージでしたが、実際のところは実写長編映画なんて1本も撮れていない。
「このままでは、きっと40歳になった時も同じ後悔をしてしまう」と感じました。とはいえ、短編アニメ映画から長編実写映画へのステップアップは一朝一夕にできるわけではありません。そこで、長編アニメ映画を自主制作で作ろうと思い立ちました。
当時のアニメ映画を調べてみると、長編の自主制作はほとんどありませんでしたので、チャンスだと思いました。クオリティがしっかりしていれば、完成さえすればもうアニメ映画監督としてデビューできるという確信がありました。
“自分1人なら人件費はゼロ”の精神で挑んだ個人制作
原作となる大橋裕之さんの『音楽と漫画』は、どのようにして知ったのでしょうか。
『福来町、トンネル路地の男』の受賞で人とのつながりが強固になっていく過程で、サブカルチャー界隈で精力的に活動している大橋さんとご縁ができており、その作風にも強く惹かれてアニメ映画化させてほしいとお願いしました。
当時は長編アニメ制作のノウハウどころかお金もありませんでしたので、コスト節約の観点から完全に僕1人で作り始めました。僕だけで作る分には、人件費が発生しないからです。
岩井澤さんがプロデューサーであり監督でもある以上、確かにそうとも言えそうです。
制作を始めた頃は5年あればできるかなと考えていましたが、実際に5年経ってみると完成どころか、やっと半分は過ぎたかなというくらいで。しかも制作ペースは徐々に落ちていたので、今後もお金をかけない作り方を続けたらあと10年はかかりそうでした。
そんな時、大橋さんや応援してくれていた方々が僕をバックアップしてくれて、クラウドファンディングを行えることになりました。
プロジェクトが無事に成功したことで得た資金をギャランティに充てることでスタッフを増やし、あと10年かかりそうだった残り半分を2年半で作り終え、完成させることができました。「制作期間7年半」と聞くとみなさんその長さに驚かれますが、僕にとっては「想定より2倍速いペース」だったんです(笑)。
『音楽』はカナダで開催された第43回オタワ国際アニメーションフェスティバルで、日本の作品としては二度目の受賞を果たす大きな成功を収めました。
海外の方たちにどう評価されるか読めませんでしたので、「こんなに評価してもらえるとは」と驚きとうれしさでいっぱいになりました。
「ヒットしたから」ではなく「ヒットするから」会社を設立
ロックンロール・マウンテンは、『音楽』の大ヒットを機に設立されたのでしょうか。
よくそう言われますが、実は違います。『音楽』はミニシアター上映ではありますが、映像の権利はすべて僕1人にありますので得られる利益が大きいことは上映前から分かっていました。
その利益の受け皿となるべく設立したのがこの会社です。「ヒットしたから」ではなく、「これからヒットするから」設立したのです。『音楽』の公開日は20年1月11日ですが、会社の設立はそれより早い1月6日なんですよ。
確信に裏付けされた、ヒットに先んじての設立だったのですね。岩井澤さんは『音楽』の公式サイトで「“前例がない”という言葉が嫌い」とおっしゃっていますが、ご自身でもチャレンジ精神は強いと感じておられますか?
そう思います。ポジティブな気持ちを抱き続けていれば、きっとどうにかなるという気持ちはありました。
「制作期間7年半、総作画枚数4万枚超」というキャッチフレーズからも、執念とすら言えそうな粘り強さも感じられます。
粘り強さも、人に引けを取らない僕の強みだと思っています。おそらく中学・高校の6年間で野球部の活動に打ち込んだ経験にあるのかなと。プロ選手を目指していたわけではありませんが、「入部したからには引退まできっちりやり抜こう」とずっと思っていましたから。
さまざまな役職を体験できる柔軟性がスタジオの魅力
現在の事業内容を教えてください。
映画作品の企画・制作です。まだ詳細はお話しできませんが、今はスタッフ一同で2作品目のアニメ映画制作に取り組んでいます。
将来的には実写映画作品を手がけたいとも思っていますが、今の僕が期待され、評価されているものがアニメ映画であると理解していますので、今後もしばらくアニメ映画の制作に取り組みます。
御社の強みはどういうところにありますか?
一つ目は「ロトスコープを採用したアニメ映画を制作できること」です。アニメをロトスコープで制作できるスタジオはほかにもありますが、ロックンロール・マウンテンほどロトスコープを前提とし、順応したスタジオはなかなかありません。
二つ目は「一つの役職だけではなく、さまざまな役職に挑戦できること」です。企画全体や各実動スタッフのスケジュール管理を行う制作進行、動画、原画などの役職はありますが、興味があるなら制作進行でも演出に携わることもできます。
あくまでスタッフ本人が望むことが前提ですが、さまざまなセクションを体験して糧とし、短編映像作品なら1人で作れるようにスタッフを導けたらよいなと考えています。
業界全体を見据え、人材流動性の高いスタジオを目指す
現在はどのくらいのスタッフが在籍しているのでしょうか。
今は12人ですね。作品を1本作るのにも少し足りない人数ですので、補強すべきセクションを見極めて、随時スタッフを増やしていくつもりです。
スタジオのビジョンを教えてください。
スタッフの成長はスタジオの成長でもありますので、各人のステップアップを全力でサポートします。しっかりしたスキルが身についたら、次のステージを求めて外に出ていきやすい体制にしたいとも考えています。
経営者としては、ずっと在籍してもらえた方がよいのではありませんか?
一度所属してくれればつながりは残ると思いますので、こだわりはしません。それに、業界全体のことを考えればスタッフの流動性は高い方がよいだろうとも思います。いつの日か“スーパーアニメーター”と呼ばれるにふさわしい人が誕生した時に「キャリアのスタートはロックンロール・マウンテンでした」と言ってもらえたらうれしいですね。
今後も挑戦的な作品で業界に多様性をもたらしたい
最後に、ご自身のビジョンを教えてください。
僕の作品は国内より海外の方が評価されやすいと思っていますので、国内の主流アニメビジネスとは違うところを狙い、挑戦的な映画の制作を続けていきます。
今の日本のアニメ業界は、市場のニーズを見据えて需要に応える作品を届ける力に秀でています。それはビジネスとして非常に正しいですが、前例がない試みはリスクばかりを高く見積もることにもなるので、アニメというジャンル全体としての多様性はなくなります。
だからこそ「誰も踏み込まない空白地帯」ができ、そこに躊躇せず踏み込める僕のような人間が身を立てるきっかけとなりました。
“前例がないからリスクが高い”ではなく“前例がないからチャンスがある”なのですね。
それでも、もし僕が1人で自主制作を続けていたら「なにかヘンな作品があるぞ」という反応だけで終わってしまうでしょう。しかし、スタジオとしてコンスタントに作品を発表し続けて結果も出せれば、追従するスタジオが出るかもしれません。
“ニーズに応えた作品”と“ニーズに応えるより挑戦的であることを選んだ作品”が共存できるのが多様性ある業界の姿だと考えていますので、これからも挑戦的な作品を作り続ける旗手でありたいと思います。
取材日:2024年4月2日 ライター:蚩尤
株式会社ロックンロール・マウンテン
- 代表者名:岩井澤 健治
- 設立年月:2020年1月
- 事業内容:映像およびアニメーションの企画・制作
- 所在地:〒184-0004 東京都小金井市本町2−6−7 ペガサスマンション第2武蔵小金井702
- URL:http://rockandrollmountain.com/
- お問い合わせ先:上記HPの「CONTACT」より