WEB・モバイル2024.08.14

「喜んでもらいたい」との思いから拓けたデザインの道。得意の“深掘り”で企画し、新潟を底上げ

新潟
株式会社新潟管財企画 執行役員
Yusuke Kurihara
栗原 悠祐

企業や行政のさまざまな依頼を企画に落とし込み、Web・広告・イベントと多様な形の表現で具現化するプロ集団・株式会社新潟管財企画。所属する4人それぞれが自立し、個人で仕事をこなす一方で、ときには組織として一丸となり、プロジェクトに臨むこともできる。そんな新潟管財企画がどのようにして生まれたのか。展望などを執行役員の栗原 悠祐(くりはら ゆうすけ)さんに伺いました。

「喜んでもらいたい」で始めた副業が企画屋への第一歩。ビルメンテナンス会社から分社

会社立ち上げまでの経緯を教えてください。

東京理科大学で生物工学を専攻し、遺伝子組み換えなどを学んでいました。大学卒業後は、バイオマスに興味があったことから産業廃棄物の会社に入社しました。
クライアントは建築系の会社が中心で、パソコンが苦手な方が多くおり、「喜んでもらいたい」という思いから、チラシ作りやホームページ制作を手伝っていました。それがいつしか会社公認の副業となり、最終的には本業の給料を超えてしまうほどの売上になったので、1年後にU-Designという会社を立ち上げました。

新潟管財企画は、公共施設の管理などを行っているNKSコーポレーションさまから分社したとのことですが、NKSコーポレーションさまとのつながりはどのようにして生まれたのですか?

NKSコーポレーションはもともとお客さまでした。制作のご依頼をいただくなかで、現在の当社の代表取締役社長・吉田琢哉と出会いました。
当時常務だった吉田は、新潟支店長という立場でもあったのですが、僕の話を聞いてくれただけではなく、もう少し予算を積んだらもっと面白くできるという僕の提案にも快く応じてくれました。これをきっかけにNKSコーポレーションの吉田との距離が縮まっていきました。

NKSコーポレーションとの提携が実現したのはどうしてですか?

NKSコーポレーションは劇場などの指定管理を多く手掛けており、文化事業の広報などのサポートをしています。しかし、社内に文化に明るい人間があまりいないというのが実情でした。そんななか、企画書も作れるし、趣味で楽器をやっていて、副業ではピアノ演奏によるコンサートも開催している僕との交流が増えるに従って、吉田が僕自身のそんなところを知り、「文化事業を手伝ってくれない」と声をかけてくれました。
そんな折、僕がチャレンジしてみたかったARゲームの企画募集があったのですが、これが中小企業以上の事業規模でしか応募できない案件でした。そこで、NKSコーポレーションと組んで申請することにしたんです。これを機に、NKSコーポレーションに吸収され、企画制作部長に就任するにいたりました。

「やったことない」にチャレンジすることで広がった仕事の幅

分社したのはいつのことですか?

22年5月です。NKSコーポレーションは従業員数が1000人を超える組織のため、意志決定をするのに非常に多くの時間を要します。しかし、僕たちのやっている仕事は瞬発力が重要で、即時決定が何よりも大切です。部署としての売上はよかったということもありましたし、何よりも別会社とすることで生まれるメリットの方が大きいという結論にいたり、分社しました。

分社するにあたり、クリエイティブ制作が得意な株式会社ソルメディエージの施設内にオフィスを構えた、その理由を教えてください。

僕たちがWeb制作などをする際に、ソルメディエージさんに映像制作の依頼をし、お仕事を一緒にする機会が以前からありました。分社化の話が出始めた同じタイミングで、ソルメディエージさんでも事務所移転話が持ち上がっていたようで、「常にコミュニケーションが取れるとお互い楽だよね」「広いから取れるよ」とトントン拍子に話が進み、結果ソルメディエージさんのシェアスペースをお借りすることになりました。それぞれに得意分野が違うので、あらゆる仕事の相談もでき、非常に効率が上がったと思います。

積極的に県内のクリエイターと仕事をするワケ。仕事の幅を広げてくれたイベント事業

御社では企画提案を軸に、広告・Web制作を行っていらっしゃいますが少々分野が異なるイベント事業も手掛けている経緯を教えてください。

NKSコーポレーションの指定管理施設の担当者からイベントの企画を考えてほしいと依頼があったのが最初で、市南区にある凧の資料館「しろね大凧と歴史の館」の館内にさまざまな施設関連のクイズを設置し、その答えを探しに館内を巡るという企画でした。これを機に、イベントの依頼も舞い込むようになりました。
知らないことばかりなので企画する際には十分なリサーチを行うのですが、この学びのおかげで、僕自身の仕事の幅も大きく広がりました。

外部のフリーランスや会社と一緒に仕事をする機会はありますか?

もちろん、あります。エンジニア、デザイナー、コピーライターなどさまざまな方々とご一緒させていただいています。新潟の方にお願いすることが多いですね。というのもスピード感を持って仕事ができるし、直接的なコミュニケーションをはかることでイメージの共有がしやすいなどのメリットが多いからです。県内のクリエイターさんたちは非常に高いスキルを持っている方が多いので、わざわざ県外に探しに行く必要もありません。

あらゆる仕事ですべきは「とにかく分解して考える」こと。簡単な言葉で企画を説明するためにしていることとは?

御社の強みはどこですか?

「商品をとにかく売りたい」というざっくりとした依頼でも、しっかりとマーケティングを行い、企画に落とし込めるプランニング力。そして、それをWebであれ、紙であれ、具現化できる組織の体制にあると思います。

マーケティングやプランニングをするうえで重要視していることを教えてください。

“これ以上ない・これ以上でない”というところまで徹底的に掘り下げて考えることですね。
例えば、「虹はどうして七色のように見えるのだろう」→「光が屈折するから」→「光はどうして屈折するのか」→「水滴があるから屈折する」→「屈折すると光の色が分かる」→「波長の長さによって屈折率が変わる」→「光の長さによってどうして屈折率が違うのか」→「波長の長さによって乗り越えられる直進性が変わるから」……。といったふうに掘り下げます。

深く掘り下げたものを企画にしていく際に重要視していることは?

分解したものから企画の本質を見つけたあとは、とにかく簡単な言葉で説明できるように変換します。僕には6歳と3歳の子どもがいるのですが、彼らとの会話はいいトレーニングになっています。彼女たちは語彙(ごい)が少なく、難しい内容では理解も追いつきません。しかし、うそを教えることはできないので、「どうしたら彼女たちが新しいことを理解できるのか」と頭をフル回転させながら彼らの疑問に対して答えています。

地産食材の魅力を発信し、県内を統一させる難しさを痛感。心強い仲間とともに、これからも

22年の分社化から現在までの間で最も印象に残っているお仕事はなんですか?

県からの依頼ですね。県農林水産物のブランド化推進にともなって重点品目を出したのですが、そのタイミングで僕がアドバイザーに任命され、県全体の食をPRするためのロゴをディレクションしたり、どういった戦略でプロモーションしていくかを考えたりしました。南北に長い新潟を統一させるブランディングメッセージというのは、なかなか難しかったですね。
最終的には、県民性にポイントをおくことにしました。ガツガツとしていない気性だけど、おいしく食べることにはこだわりを持っている。商売っ気はないけれど、食べ物の品質を高めることには貪欲で手間を惜しまない。県内食材の魅力を発信するためのキャッチコピー「うまいに、まっすぐ。新潟県」という言葉にそういった思いを込めました。

展望を聞かせてください。

今のまま、行けたらなと思っています。ほぼ営業をかけずに口コミで広がり、お仕事をいただいていて、常に新しいことを学び、チャレンジできる現在の環境は非常に刺激的です。一緒に働く僕以外の3人はとても自立していて、自分を律せられる人たち。首都圏のクライアントから指名で依頼が来るほどのスキルも持っています。彼らとともにしっかりとしたクオリティーを保ちながら、これからもさまざまな企画を形にしていきたいですね。

取材日:2024年6月27日 ライター:コジマ タケヒロ

株式会社新潟管財企画

  • 代表者名:栗原 悠祐
  • 設立年月:2022年5月 法人登記は3月
  • 資本金:500万円
  • 事業内容:企画・web・広告・イベント
  • 所在地:〒950-0915 新潟市中央区鐙西1-12-8
  • URL:https://kanzaik.com/
  • お問い合わせ先:TEL / 025-245-2518

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