コンサル×中小企業診断士で課題を解決。独立後に引きこもりも経験、救ったのは“ネット掲示板”
名古屋を拠点とするICTコンサルファーム・株式会社アルタ。代表の加藤 千雄(かとう かずお)さんは、中小企業診断士の知識を生かしながら、Web制作をベースにコンサルティング事業を展開し、クライアントの経営課題を解決に導いています。どん底の経験を乗り越えてアルタを起業するまでのストーリーや、手がけている事業、会社の強み、展望などを話していただきました。
運動神経も良く勉強もできる“お山の大将”だった
加藤さんはどんな子どもだったのですか?
好奇心旺盛な“お山の大将”で、近所の子どもたちを引き連れて探検するようなタイプでした。小学5年生で学びに目覚め、勉強もしましたね。運動神経も良く、運動会では必ずリレーを任されるような目立つ存在だったと思います。
大学で数学の世界を探究し、バンカーに
大学や就職はいかがでしたか?
地元・愛知の高校から明治大学の理工学部に進み、数学を学びました。当時は「24時間戦えますか?」というキャッチフレーズのCMが大流行し、そこで描かれていた世界を股にかけて活躍する商社マンに憧れました。実際に商社の内定もいただいたのですが、銀行でも世界を相手に大きな仕事ができると知って三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)に入行しました。採用担当者の「ロジックに基づいて動く性格は銀行に向いている」という言葉が決め手になりました。
銀行時代に経験された業務を教えてください。
はじめの2年間は融資を担当し、そこで頭取賞を獲得しました。その後は、株式や債券、為替などの金融派生商品を扱うデリバティブ部門に行き、5億円ほどの運用を任されました。
機関投資家として投資を担当されていたんですね。
デリバティブ部門は花形でやりがいも大きかったのですが、マーケットは24時間で寝る暇もないんです。同僚も東大・京大出身の体育会系部長のような強者で、地頭の良さも体力も化けもののよう(笑)。負けじと踏ん張っていたのですが、仕事中に倒れて救急車で運ばれました。
銀行を退職し、オーストラリアへ
お身体は大丈夫だったのでしょうか?
幸いリハビリが必要になるような深刻な事態にはなりませんでしたが、それがきっかけとなってリタイアしました。その後はオーストラリアに渡って1年ほどコンピューターを学び、帰国して地元で独立しました。
地元で独立を果たすも、苦難の連続に
独立後に手がけたビジネスはどんなものだったのでしょうか?
銀行員時代に融資を通じ中小企業を応援することにロマンを感じていたことを思い出し、独立当初は経営者を相手に、銀行から融資を引き出すための事業計画書などを作成するコンサルティング業務を行っていました。
しかし、当時20代の私に対して、相手は40代〜50代で海千山千の経営者たちです。「お金は払うから」と言うだけでぜんぜん払っていただけず、途方にくれました。契約書を交わさずに動いてしまったのもいけなかったのですが…。
それは大変でしたね。
その後はパソコンのカスタマイズやパソコン教室の運営などに事業をシフトしていき、通信インフラを構築するための一次代理店になって全国にフランチャイズ展開をするビジネスに挑戦しました。
けっこう大きなチャレンジだったのではないでしょうか?
事業をスタートするための加盟金や運転資金が2000万円ほど必要で、その半分ほどを母に借りました。父は大反対だったのですが、母が老後の資金を内緒で貸してくれたんです。
大きな挫折を体験。心身のバランスを崩してひきこもりに
そのビジネスがアルタ設立のきっかけに?
それが…ここでも元会社に騙されるような形になって…お金を払ってもらえないので私が下部代理店の支払いを立て替えるなどしていたのですが、板挟みで首がまわらなくなって、とうとう下から訴えられてしまったんです。
それは大ピンチですね。無事に切り抜けられたのでしょうか?
けっきょく無理でしたね。母からも「お金はいつになったら返してもらえそう?」と頻繁に聞かれていたので、それも嫌になって逃げ回って…そうこうしているうちに母が脳梗塞で倒れ、そのまま他界してしまいました。罪悪感を覚えた私は心身に変調をきたし、引きこもりのようになってしまったんです。
そのような状態から、どのように再起されたのですか?
数年間は家からほとんど出ずにゲームばかりしていました。そんな私がヒーローになれたのがインターネットの掲示板。とにかく暇なのでゲームのレベルはすごいスピードで上がり、手がけてきたビジネスの話を書き込むと尊敬もされました。そんな日々を過ごすうちに「一緒に仕事をしてみたい」という仲間たちがいつしか集まり、アルタを起業することになりました。私が35歳の頃です。
どん底から這い上がり、100人規模の会社を育てる
起業からのお話も聞かせてください。
ホームページ制作からスタートしたのですが、当時は今のようにツールや決済システムがなく、すべてゼロから作り上げる必要があったため当初は苦戦しました。しかし、中小企業の経営者が集まる場所に顔を出してみたところ、同世代の社長もたくさんいて、以前のように都合よく使われるようなことにはなりませんでした。依頼いただいた仕事を着実に手がけ、仕組み化も進めることで100人規模の会社に成長させることができました。
現在手がけられている事業を教えてください。
ホームページ制作を土台に、デジタルマーケティングやSNSマーケティングも行っています。さらに、自社で複数ジャンルのポータルサイトを持つことで、そこから広告収入が発生するビジネスモデルも構築しています。
制作だけでなくポータルサイトを持たれる理由は?
ホームページの制作だけだと当社の“資産”にはならないからです。ポータルサイトでサブスク的に広告収入が入れば、事業も安定しますし技術力もついてきます。コロナ禍を機に現在はストップしていますが、海外でもポータルサイト事業を手がけていました。
的確なコンサルティングで経営課題を解決する
御社の強みはどんなところにありますか?
今は無料のホームページなどもあるので、ホームページ制作だけをうたっても意味がありません。必要なのは経営課題の解決です。コンサルティングを通じて経営者が気づいている課題も、まだ気づいていない課題も整理して見える化し、それに必要なデジタルの施策を提案し実行しています。
そこで、昨年4月に診断実践協会なる中小企業診断士を筆頭に士業を中心とした組織を立ち上げました。
グローバルへの挑戦も進められているとお聞きしました。
オーストラリア時代に台湾人の友人ができたのですが、彼らが日本発の「プレイステーション」や「たまごっち」を持って楽しそうに遊んでいたんです。家に遊びに行っても、日用品が日本製のものばかり。その様子を見て、文化や潮流ってタイムマシーンように移動していくんだというのを実感しました。日本でかつて大流行した招待制のSNSも、元はアメリカで流行っていたものをいち早くキャッチして、日本版としてリリースしたものが大ヒットしています。
少子化が進む日本は、今後はマーケットが縮小していきます。企業が生き残っていくためには、海外に打って出ることが必要な時代がやってきます。そうやって海外進出する日本企業をお手伝いする準備も着々と進めています。
夢は、世界の国々に友達をつくること
加藤さんが描かれているビジョンをお聞かせください。
200ほどある世界すべての国の友達がほしいと本気で思っているんです。経営しているアルタをグローバルに展開していくことで、その夢が実現できたらと思っています。
一緒に働くクリエイターに求めることはありますか?
“仕事に対するお客さまの満足度が対価となって返ってくる”というのを理解したうえで、仕事を楽しんでいただきたいですね。
また、会社組織は変化していくものなので、柔軟に合わせられる人材を望んでいます。今は比較的少人数で事業を回しているので多能工的な要素が強いですが、組織が大きくなるにつれて分業化され、スペシャリストとして業務を追求できる人材に育ってくれるといいなと感じます。
組み合わせのシナジーで面白い企画やサービスが生まれる
最後に、世の中のクリエイターにメッセージをお願いします。
クリエイティブ業界の仕事って、発明のように0から1を生み出すものよりは、できあがっているものの組み合わせが多いと思うんです。組み合わせのシナジーによって面白い企画やサービスが生まれています。デザインの世界でもAIの発展やDXなど新しい挑戦のフィールドが広がっています。世の中で役に立っているものを組み合わせながら、さらなる挑戦を続けていくクリエイターがこれからどんどん増えていったらいいと思うし、クリエイターたちがもっと尊重され重宝される時代が来るといいですね。
取材日:2025年1月15日
株式会社アルタ
- 代表者名:加藤 千雄
- 設立年月:2005年12月
- 資本金:1,500万円
- 事業内容:コンサルティング事業/ICT・Web事業/販売促進・業務効率化/グローバル支援事業
- 所在地:〒460-0005 愛知県名古屋市中区東桜2-22-18 日興ビルヂング8F・9F
- URL:https://www.alta.co.jp
- お問い合わせ先:https://www.alta.co.jp/contact/