「DJになるまでは死ねない!」広告代理業とCM制作の両輪を回す社長の波乱人生

札幌
株式会社シンセン 代表取締役
Kazunobu Matsuda
松田 一伸

広告代理業と制作プロダクションを中心に事業展開している札幌の株式会社シンセン。予備校時代にディスコに目覚め、DJを目指してアメリカに留学するなど、常に自分の情熱に忠実に生きてきた代表の松田 一伸(まつだ かずのぶ)さん。そんな松田さんの多彩な経歴や、現在の事業展開について深掘りし、ビジョンにも迫ります。

初めての都会暮らしでディスコに感動。予備校を辞め、DJ目指してアメリカ留学を決意

シンセンを立ち上げるまでのキャリアを教えてください。

地元は道内の歌志内市です。高校を卒業後、大学受験に失敗して予備校に通うために札幌に出ました。人生初の都会が楽しくて、当時1970年代に大流行していたディスコにハマったんです。ほぼ毎日通いました。そこで、カッコよくレコードを回すDJを見ていて、魅力的に感じました。「自分はDJになりたいんだ!」と思ったんです。そこでただのDJではなく、英語が喋れるDJになろうと、アメリカ留学を決意しました。
選んだ大学は、独自のFM局を持つユタ州のディクシー大学です。親は賛成してくれましたが、「資金は出せない」と言われました。そこで、予備校を辞めて、歌志内の実家に戻り、アルバイトで留学資金を貯める生活を始めました。滝川市のディスコでボーイをしたり、スナックの雇われ店長をしたりの毎日。なんとか250万円貯めて留学に漕ぎ着けました。

留学先から帰国後、DJの仕事に就けたのですか?

それが、放送局の就職試験を受けようと思ったのですが、海外の大学は大卒扱いにしてもらえず、応募条件を満たせないという理由で受けられなかったんです。仕方なくまた歌志内に戻って、英語の家庭教師や塾講師で生活していました。
その後、札幌の小さなプロダクションに就職しました。留学先で学んだ放送局の機器の使い方や番組の作り方、ラジオCMの制作などの技術や知識を生かして、VP制作の仕事を任されました。
ある日社長に連れられていったスナックで、株式会社博報堂(現在の株式会社北海道博報堂)の部長に偶然お会いしたんです。そこでこれまでの経験など話しているうちに、「うちに来い」と言われ博報堂に2年間契約社員としてお世話になりました。
その後は株式会社パブリックセンター(現在の株式会社ニトリパブリック)に転職し10年間在籍。最終的には次長に就きました。プロダクションから始まり、広告代理店勤務までの12年間には、コピーライター、プランナー、プロデューサー、ディレクター、営業となんでもこなしました。

「自分の人生は70歳まで」と判断し、独立を決意。DJの夢を追いかけラジオ番組を制作

シンセンを設立したきっかけを教えてください。

34歳の時、当時最先端だったシャープの携帯情報端末「ザウルス」を持っていたんです。ザウルスのカレンダーは1901〜2099年の200年間を指していて、自分の誕生日を入れると2099年まで140年ある計算になりました。 140年生きるのは無理だから、半分の70歳まで生きられればいいなと思ったその時、昔の夢をまだ叶えていないことに気づき、「DJになるまでは死ねない!」と1995年に独立を決めました。
フリーランスでスタートし2、3年後に法人化したのですが、フリーランスの時から大手広告代理店からの仕事も結構あり順調でした。ですが、ある広告代理店が倒産して、パチンコ店のCM制作のギャラ1500万円が飛んだことがあったんです。海外ロケの大掛かりな制作だったので、あちこちに支払わなければならない経費があり、窮地に追い込まれました。借金はなんとか完済しましたが、その出来事をきっかけにフリーで大きな案件を請け負うのはリスクが大きいと感じ、法人化を決めました。

事務所には自社スタジオがありますが、念願のDJとしてのご活躍は?

DJになるための独立でしたから、事務所にスタジオを作ることは決めていました。ラジオ番組枠を買い取って独自に番組を配信しています。DJネームは、本名の一伸の読みを変えたイッシンです。現在はHBC(北海道放送)ラジオで「シンセンラジオステーション」、STV(札幌テレビ放送)ラジオとAir-Gで「ロイズFMコレクション」を配信し、スポンサー集めも、CM制作も自分たちで行っています。

広告代理業・CM制作・ラジオメディアの三本柱。さらに「忍者麺」でフードロス対策事業も

現在の事業内容について教えてください。

広告代理店と制作プロダクションの両軸を展開する、希少な企業だと自負しています。さらに、ラジオ番組という自社メディアも活用し、三本柱で成長しています。
映像・グラフィック・CGなどの制作も社内で完結します。迅速かつコストパフォーマンスに優れ、品質の高さが誇りです。

電子レンジで温めるだけで本格ラーメンが楽しめる「忍者麺」の販売もされていますよね?

はい。これは国岡製麺株式会社の社長をラジオのゲストに呼んだことがきっかけとなった事業です。思わず「自分が売ってやる!」と番組内で言ってしまったんですよね。意外にもすすきののスナックなどに実験的に配ったら、飲んだ後に〆のラーメンを食べたがるのお客さんに大好評でした。お店の人にとっても、鍋もお湯もいらず、どんぶりと水だけ用意すればいいところが気に入ってもらい大量購入につながりました。今はセイコーマートでも販売されており、100万食以上売れています。
また、美唄産のサツマイモ「紅はるか」を雪でじっくり熟成し、低温乾燥させた干し芋の販売も手がけており、フードロスやSDGsの対策となる事業にも注力しています。

1人5役こなす少数精鋭のクリエイティブ集団。5000本以上のCM制作実績とイベント運営も

御社の強みを教えてください。

スタッフ4人全員がそれぞれが5役以上こなせていることです。企画・映像編集・撮影・グラフィック制作・音響編集などをこなす少数精鋭のクリエイティブ集団です。ナレーターや演者になることもあります。また、全員が営業も兼ね備えた能力を持っています。

これまでの事例を具体的に教えてください。

パチンコ店のCMは、30年以上前からほぼ私が作ってきました。ほかには専門学校の札幌ベルエポックや、ジンギスカンのタレで有名なソラチなど、誰もが知っているメーカーや、番宣・イベント告知CMなど多数あります。会社員時代から数えれば制作本数は5000本以上になります。
また、JRタワーホテルのオープニングの内覧会も仕切った実績もあるなど、イベントの企画・運営も対応しています。

最先端技術にアンテナを張り、グローバル視点で成長を目指す。良質なモノづくりを追求

展望、ビジョンなどをお教えください。

これからの制作事業にはAIの活用とか、新しいものを真っ先に取り入れて使いこなすことによって、一歩進んだひらめきや提案ができる会社として成長を続けていきたいです。マーケットを海外にも視野に入れていれば、日本でうまくいかなくても、海外での成功の可能性が広がると考えています。常に幅広い視点を持ち続けたいです。社員は今4人ですが、倍の人数にしてさまざまな案件を受けられる体制を作り、本当に良質なものを世の中に届け続けたいです。
ちなみに忍者麺は今後、アメリカやヨーロッパを中心に販路拡大を目指すつもりです。当初は70歳を人生のゴールとして事業を考えてきましたが、もう63歳。まだまだ元気ですね。

一緒に働くクリエイターに対して、会社としてどのようなことを求めますか?

常にマーケティングを考えたアイデアを求めます。どうしたら相手が喜ぶのか、どうしたら買いたいと思ってもらえるか。考え出したらキリがないけれど、そこをやるやらないでは大きな差が出ます。良いものを作り、世の中の人たちがびっくりしたり喜んだりしてもらう。そういうモノづくりマインドを持ってほしいですね。
また、スタッフにはグローバルな視点を持ってもらいたいので、海外での仕事もどんどん増やしていこうと考えています。

取材日:2025年1月28日 ライター 宮本 和加子

株式会社シンセン

  • 代表者名:松田 一伸
  • 設立年月:1997年4月
  • 資本金:2,000万円
  • 事業内容:広告物全般 企画・制作/テレビ・ラジオCM、テレビ・ラジオ番組/WEB映像・VP・YouTube広告運用/ナレーション・MA・音楽/グラフィック(印刷物全般)/オンデマンド印刷/サイン・販促物/プレスリリース作成代行/放送用HDCAMテープへのダビング/DVD・Blu-ray Disc作成/ホームページ・ランディングページ制作
  • 所在地:〒065-0019 札幌市東区北19条東12丁目1-28
  • URL:https://www.shinsen.co.jp/
  • お問い合わせ先:011-313-0181

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP