情熱から生まれた取引で、ステップアップ コスパに優れた”ビストロ”のような企業でありたい
- 名古屋
- 株式会社 月と六ペンス 代表取締役 谷口 学 氏
クリエイティブな仕事がしたいと 独立の道を
ホームページ制作を中心に事業展開されていますが、現在に至る経緯を教えてください。
1992年4月に個人事業として始めました。それまではリクルートにおりまして、独立し、当初はフリーのコピーライターとしてスター ト。生意気だったと思いますが、そもそも入社した時から、いずれ独立したいと考えていました。
独立してコピーライターでやっていこうと思われたのはなぜですか?
私は普通のサラリーマンになれなかったんですよ。自分勝手なので、いつも他人の言うことを黙ってきけなくて。それで一人で好きなことを仕事にしたい、できればクリエイティブな仕事がしたいと思っていました。学生時代、運動は苦手で、文章を書くことが好きでした。その上、小中学生の時から、読書感想文の学校代表に選ばれたり、答辞をお願いされたりしていたので、文章は得意であると勘違いしたわけです。ちょうど、糸井重里やトリスの広告の仲畑貴志が流行っていた時代で、コピーライターブームだったんです。「1行で何十万も儲かる。しかも、モテるらしい!」と聞き、楽して儲かるなら怠け者の自分にぴったりじゃないかと思いました(笑)。
どのような個人事業時代でしたか?
独立して一人でやっていくとなった時、所属していた会社や取引先をお客様にせず、それ以外のルートを開拓しました。独立前に働いていたところから仕事をもらうのは、なんとなくしたくなくて。広告代理店や出版社をまわりました。半年はほとんどお金にならず厳しかったですね。実績も無かったんですが、マスコミ系のとある企業の担当者さんになぜか、気に入っていただいて、そこから実績を積み上げて段々と増えていったかな。5年ほど、ライターの仕事をしていたと思います。
なんでもやってしまう自分をおさえ、あえて人に任せることを大切に
個人事業から、人を雇う会社へと移行された経緯を教えてください。
ライターで売上を増やすには、書く原稿を増やさなければならない。そうすると、労働時間が長くなり体力的な限界がある。デザインもやれば、同時に複数の仕事がすすめられるなと思いました。そこでMacを一式購入し、DTPを始めました。
世の中にWebの仕事がほとんど存在しなかった時代ですよね。
最初は紙媒体でしたね。ある時、ある企業から「入社案内の原稿をホームページに載せたい」というオーダーをいただきました。ホームページといっても、当時は画像もなく文字があるだけのようなもの。その後すぐに、同じようなお話をある大企業からもいただき、それが転機となりました。そこから、デザイナーを1名雇いました。とても才能のある子で、おかげでずいぶんと仕事が増えました。
人を雇う立場となって、個人事業時代と比べてよくなった面、大変な面は?
いい面は、いろんな個性や才能が集まり、チームプレイの楽しさが生まれたことです。僕が命じたわけではないのですが、勉強会や報告会も自主的に開催され、出席したことはありませんが、盛り上がっているようです。大変な面は、自分のためだけではなく、社員のためにも働くようになったことで、一人の気楽さはなくなりました。
いい人材を集めるに当たり、重視されるポイントは?
今よりも大きな仕事をしたい、もっと任されたいという人は、当社に向いていると思います。みんなが知っているようなメジャーな仕事ができますよ。
風通しが良さそうですが、社長ご自身が工夫されていることはありますか?
でしゃばらないことですね(笑)。ともすると、なんでも自分でやってしまっていました。以前は、デザイン・プログラム・ネットワークなど、いろんなジャンルの知識を、仕事に普通に使えるレベルで持っていましたので。 でも最近は技術の進歩に置いてきぼりをくっていて(笑)。マネージメントと営業以外は社員に任せるしかない。それが良かったですね。社員がやっていることが、例え自分の考えと違っても、そこはあえて余計な口は出さずに話を進ませておきます。
仕事に対する情熱から生まれた、大手企業との取引
現在のように、大手企業のサイトを手掛けるようになったきっかけを教えてください?
ライター時代のお付き合いから、頭痛薬や妊娠検索薬のアラクス様のサイトを手掛けました。その後、競合が大手企業ばかりの鳥 羽水族館様の企画コンペに声をかけていただきました。その時のプレゼンでは、仕事に取り組む姿勢をアピールしました。
具体的に、どのような内容だったのでしょうか?
水族館の飼育員になるのは、とても難しい。獣医学部を出て、難関を勝ち抜いたエリートたちがやっている仕事なんです。そんな飼育員さんたちのお話を聞くと、生き物が好きで、子供たちの理科離れをどうにかしたいという、とても純粋な気持ちを持っていることがわかりました。そこに感動しまして、そういう飼育員さんたちと一緒に仕事をしたいという気持ちを伝えました。当時の役員の方々に気に入っていただき、当社を採用していただきました。以来、鳥羽水族館様は、当社の看板的なお客様です。
実績が信頼となっていくわけですね。
名古屋の地域性として、安心材料が欲しいというお客様が多いです。当社の仕事は、企画コンペで受注が決まることが多いのですが、まずは、提案内容に予算内で出来る100%のことを企画し分かりやすく伝えます。 そのうえで、実績があれば「月と六ペンス」と聞いて「何それ?」と思われた方も、「この企業と取引があるなら、じゃあ、うちも」となるわけです。名古屋という地域は、中身も名もいる地域です。
こだわっていることはありますか?
ビストロでありたいと思っています。普通に存在するホームページを作るのではなく、よりいい効果やいいデザインが欲しいというお客様をターゲットにしています。ファミレスではなく、超高級レストランでもなく、ビストロ。普通のレストランより高くても、中身はそれ以上にいい、つまりは「コスパがいい」というホームページ制作を目指しています。
家族の存在を糧に、⾃社サービスの確⽴を狙う
ラジオ番組もやられていますね。
ラジオは元々やりたかったジャーナリスティックな仕事のひとつです。会社社長などをゲストにお招きして、お話を伺っています。何より、自分がインスパイアされ、勉強になります。くすぶっているサラリーマンの背中を押して応援したいという企画です。 自社ブランディングの意味もあります。ラジオをやっているホームページ制作会社なんだという。過去の放送をホームページに残すことで、ネット上で、お客様に私たちの存在を訴求することもできます。事実、ラジオを始めてから、「月と六ペンス」で検索されるお客様が増えました。
ラジオのほか、今後、予定されていることを教えてください。
ホームページを作ることを基本に、自社サービスを展開していきたいと思っています。具体的には、いま、営業日報的なシステムを作っております。自社サービスがあると、定期的な利用料が発生するのでその分の売上も安定して見込めます。
では最後に。社名に「月と六ペンス」とありますように、谷口社長にとって“月"となる存在はなんでしょうか?
家族って言っとこうかな(笑)。嫁さんはいま、鍼灸師の国家資格を取るために勉強しています。資格を取って、開業したいとか、海外でも活躍したいという彼女の夢があるんです。彼女は国際ボランティアなどで外国暮らしも長く、目標に向かってコツコツ努力している、尊敬できる人です。自分はこれまで好きなことをやり続けてきたので、人生の後半は彼女の応援をしていきたいです。
取材日:2015年9月9日
株式会社 月と六ペンス
- 代表者名:谷口 学(たにぐち まなぶ)
- 設立年月:2005年10月
- 資 本 金:800万円
- 事業内容:WEBシステム開発/PC用・スマートフォン用ホームページの企画制作&メンテナンス スマートフォン及びタブレット用App開発/サーバー構築・運用管理
- 所 在 地:名古屋市中区大須1-9-34 京屋ビル 2F
- URL:https://www.6web.ne.jp/
- お問い合わせ先: 052-218-8180