自由にやれてこそ クリエイターのパフォーマンスは最大化する
- 東京
- 株式会社CORNFLAKES 代表取締役 堀江慶(ほりえけい)氏
卒業制作に600万円の出資 ドイツ、イタリアの映画祭に出品、配給、監督デビュー
会社名「コーンフレークス」の由来は?
ありがとうございます(笑)。この名前が生まれたのはかなり昔のことで、学生時代に遡ります。当時、私は日本大学芸術学部の映画学科、監督コースの学生でした。その頃作った自主映画作品のタイトルが、『コーンフレークス』。それが、学生時代に立ち上げた自主映画制作サークルの名前となり、卒業してからはフリーで活動するときの屋号となり、会社を作る時に、改めてこの名を名乗ることにした愛着のある名前です。
映画監督になろうと思ったきっかけは?
高校時代から俳優として活動しておりまして、この業界に興味を持ちました。
俳優として、活動されていたのですか?
はい。戦隊モノ『百獣戦隊ガオレンジャー』にも出演し、「イエロー」を演じていました。 その頃からすでに制作の方に強い関心があり、大学は、監督コースへ進学しました。 あれこれ学んでいくなかで大きな転機となったのは、自主映画を撮るという卒業制作です。当時、ミュージックビデオなどの撮影に携わるアルバイトをいくつかしていたのですが、その先々で、卒業制作の話をしていたのが良かったのか、ある日、アルバイト先で知り合った方が、私の卒業制作に、なんと600万円も出資してくださるというのです。600万円は、学生にとって、ものすごい金額です。もちろん不安もありましたが、絶対良いものを撮ってやるという気持ちになりましたね。
学生の卒業制作に600万円の出資はすごいですよね。
そうですよね……。税金対策だったのかな(笑)。 出資してくださった方からは「作品をちゃんと世に出して、世の中に還元するように」というお言葉をいただきました。その方のお気持ちに応えるためにも、約2年間、必死になって制作したのが『グローウィン グローウィン※1』という90分作品で、プロ仕様の35mmフィルムで撮りました。この作品はドイツやイタリアなどの映画祭に出品して、いくつかの賞もいただきました。その上、配給にも至り、おかげさまで業界でもある程度高い評価をいただくことができました。 ※1 日大芸術学部の卒業制作として制作。堀江氏の初監督作品。
卒業制作が、世の中で評価されるとは素晴らしいご活躍ですね。
この作品のおかげで、卒業後すぐに、小さな映画ではありますが、監督の仕事をいただけるようになりました。ありがたいことではありますが、私には、助監督の経験がないのです。
はじめての挫折と演技へのコンプレックス
監督として、これ以上ない順風満帆な滑り出しですね。
そうですね。その頃、小さい映画の監督や脚本などの仕事をしながら、少しだけ俳優業も続けていました。そして26歳の時に、『ベロニカは死ぬことにした※2』というベストセラー小説の映画化のお話をいただき、金額的にも大きな規模作品を手掛けることができました。 でも、この作品では、いろいろな意味での挫折も味わいました。 カット割やコンテは、学生時代から多く経験してきたので自信がありましたが、俳優さんに対する演技指導については自信がありませんでした。大御所と言われる俳優さんが戦隊モノの俳優であった私なんかの演技指導を受けても説得力がないというか……。そんな葛藤がありました。 ※2 2005年公開。堀江慶監督、真木よう子主演。
その挫折はどう乗り越えたのですか?
いろいろ悩んだ結果、この自信のなさは、自分に演技のベースがないことが原因だと言うことに気が付き、劇団を作って、真正面から演技に向き合うことにしました。有名な映画監督の方でも、芝居に関して経験のある方は少なく、今のうちに勉強して、今後は、それこそ自分の強みにしていこうと考え、脚本を書いて、演出力を高める努力をしてきました。
人生で2度目のスポンサー現る!?
劇団を作られてから、会社設立までの経緯は?
2009年あたりから、徐々にパッケージでお仕事をいただくようになりました。監督業込みで制作をまるっと全部でいくらという感じのオーダーです。 スタッフの手配とか給与の支払いとか、その他雑務が増えてきたところで、そろそろ会社にしたほうがいいかなと考えていた矢先に、2人目のスポンサーが現れました。
人生で2度目のスポンサーですか?
そうなんです。実は、業界はもちろん、それ以外の様々な集まりにも顔を出して、次に作りたい映画の構想をプレゼンテーションしていました。そうしたところ、スポンサーとして会社設立の資金を出資してくださるという方が現れて、2010年2月、株式会社CORNFLAKESを設立しました。
人生で2度も、スポンサーが現れたのには、理由があったのですね。 では、事業内容についてお伺いします。監督や脚本業がメインですか。
設立当初は、監督や脚本業がメインでした。が、映画やドラマの仕事を請けた際、一緒にタイトルバックのCGなどを請け負うことが多かったので、CG部門を会社で持てないかと考えるようになり、バンタンデザイン研究所の映画・映像学部で講師をしていたときの教え子の山本(取締役の山本徳氏)と、デジハリの講師仲間であった宮崎(取締役の宮崎弘喜氏)の2人に声をかけ、取締役に就任してもらいました。おかげで今では、CMなどのモーショングラフィックスから、アニメ、ゲーム、広告など様々なCGの仕事が会社を支えてくれています。
成果物が作品として世に出る仕事 全員で喜びを共有する仕事を増やしていきたい
会社として大切にしていることなどはありますか?
否定しないことですね。社員は少ないですが、特に役員の2人からの提案には「いいよ」と前向きに応えるようにしています。 当社はクリエイターの集団。クリエイターにとっては、本来自分がやりたいことをやることこそが最大のパフォーマンスにつながると思うんです。私もそうですが、逆に嫌なことを続けるのはストレスになります。ただし、自分の食い扶持は自分で稼ぐ。それぞれに自由と責任を与えているつもりです。厳しいようですが、それぐらいの方がクリエイターとしては面白いと思うんです。
今、どのような人材を求めていらっしゃいますか? 一緒に働きたいのはどんな人ですか?
今はフリーの方が多いので、特に技術的なスキルが大事です。ただ、ある程度長い間働いてくれる方には「柔軟性」が欲しいですね。「これしかできません」と言われると困るんです。できないにしても、個人で代案を用意したり、多少勉強してこなしたりできるオールラウンダー的な視点が欲しいですね。得意不得意があるなかでも、ある程度その仕事をこなしてくれるような人が理想です。
今後の展望をおしえてください。
少し前から事業もある程度軌道に乗り、そろそろ全員で関われるプロジェクトをやってみたいと感じていました。特にCG制作については、全体の中の一部の歯車的な仕事をしている印象が強いです。もちろん、そうした仕事は必要なのですが、今後はもう少し作品に関与でき、完成の喜びをみんなで共有できるような仕事を増やしていきたいと考えています。 2014、15と続けてきた『ダンガンロンパ』は、そういった作品の一つです。これは2.5次元の舞台で、人と一緒にキャラクターが動く作品になっています。脚本は私が書き、キャラクターのCGなどを会社として担当します。CMの一部などに使われるCGではなく、1つの大きな作品の中で自分の仕事を見ることができるので、社員みんなが嬉しがってくれて。今後、少しずつこうした仕事ができるようにしていきたいと思っています。
取材日:2016年2月4日 ライター:佐藤卓
株式会社CORNFLAKES(コーンフレークス)
- 代表者名: 代表取締役 堀江慶(ほりえけい)
- 設立年月: 2010年2月
- 事業内容: 映画、ドラマ、CM、PVなどの企画・制作、「劇団CORNFLAKES」による公演
- 所在地:【渋谷オフィス】東京都渋谷区円山町25-4 加藤ビル3階 【宮前平CGオフィス】神奈川県川崎市宮前区宮前平3-11-1 テラスワン404号室
- URL: http://www.cornflakes.jp/
- お問い合わせ先: 上記HPの「お問い合わせ」より