いざという時「あってよかった」と 言ってもらえる存在へ 小さなラジオ局だからできること

名古屋
FMいちのみや 株式会社 代表取締役 鳩山佳江 氏
6,434人※1。3,323人※2。1995年に近畿地方を襲った阪神淡路大震災、そして記憶に新しい2011年、東北地方を襲った東日本大震災で、それぞれ奪われた命の数です。私たちは地震大国に住んでいます。しかし平穏な日常の中では、自分の身や住む町に災害が襲い掛かることを想像し、常に災害に備えることは難しいのが現実です。 愛知県西部にある一宮市では、市民一人ひとりの防災意識の高まりから3年前にラジオ局が発足しました。現社長の鳩山佳江(はとやま よしえ)さんは、初めは一ボランティアとして活動に参加していましたが、ひょんなことからラジオ番組のアシスタントをすることになり、その2週間後にはパーソナリティーを任され、ついには、社長に大抜擢された行動力とポジティブシンキングの人。強いやりがいに燃え、いざという時に「この町にはFMいちのみやがあるじゃないか」と思い出してもらえる存在を目指して、日々地道な活動を続けていいます。放送開始からわずか3年強の「FMいちのみや」について、町への愛情について伺いました。

※1 復興庁発表。(2015年3月31日現在。) ※2 神戸市。総務省消防庁発表。(2005年12月22日現在。)

防災意識の芽生えから、市民が立ち上げたラジオ局

「FMいちのみや」が設立された経緯を教えてください。

「FMいちのみや」は、大企業のスポンサーではなく、「一宮にラジオを作ろう」という市民が集まってスタートしました。 愛知県、一宮市は、ちょうど10年前の2007年に周辺の一宮市・尾西市・木曽川町が合併して出来た38万人の人口を抱える愛知県で3番目に大きな都市です。平地で内陸ですが、防災無線がなく、いざというときに市民に情報を知らせる術がないという問題意識が市民の中で芽生えたのが発端です。

市民の間に問題意識が生まれたのには、何かきっかけがあったのですか?

最初は阪神淡路大震災ですね。さらに5年前、東日本大震災が発生しラジオ局の発足の流れが一気に加速しました。 「どこの避難所に誰がいる」といった津々浦々の行方不明者情報は、大きなラジオ局では掌握しきれません。小さなエリアごとの情報の必要性を痛感しました。

町の絆が強固で、まさに住民自ら「自治」を執るという感じですね。

始めの頃、設立委員会の集会には100人ほどの市民が市内にある真清田(ますみだ)神社に集まって話し合いを行っていました。最終的には、20~30人の主要メンバーが中心になり、設立までに3年かかりました。

鳩山さんも一市民として活動に参加されていたのですか?

はい。私は、話がかなり煮詰まって放送が始まる7、8か月前に、知人に誘われて一ボランティアとして参加しました。すでに、具体的な局の立ち上げの話が進んでいたので、「楽しそうだな」というわくわくした気持ちで参加しました。

立ち上げから継続へ ひょんなことからパーソナリティーに抜擢

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そして2012年9月、ついに「FMいちのみや」が設立されました。

最初は「ラジオ局を作る」という一つの目標に向かってみなが一丸となってやってきました。会社を作って放送局に電波を下ろしてもらい、放送を始めるところまでは、みなが同じ一点に向っていましたね。 しかし立ち上がってしまうと、当然ですが、今度は継続していかなければならない。そこで、いろいろな方向性や意見の違いが出てきました。そんな混乱の時期もありましたが、私には「市民の声が集まって作られたラジオ局であれば、私のような一市民にも当然何かできることがあるだろう」というシンプルな考えがありました。

鳩山さん自ら番組のパーソナリティーをされていらっしゃいますが、これまでにラジオのパーソナリティーのご経験はあったのですか?

パーソナリティーの経験はなく、自分がパーソナリティになるなんでことは、夢にも思っていませんでした。ただ、番組の準備をしているうちに、自分でもやってみたくなったんです。番組の担当がどんどん決まっていき、自分に出る幕などないと思っていたところ、「どのパーソナリティーも初めてで不安だろうから、誰かのアシスタントで番組入ってしまえば?」と言われて、水曜の番組のアシスタントに入ることになり、その後、次々にアシスタントを頼まれ、気づけば月・水・金でスタジオに入ることになっていました。

アシスタントデビューから、パーソナリティーへはどんな経緯で?

放送開始から2週間が経った頃、あるパーソナリティーが体調不良を理由に番組を下りたいと言い出し、ほかの番組担当も自分の番組で精一杯で、引き受ける人がいない状態で、開始から2週間の間、一番多く番組に出て場数を踏んでいるからという理由で、私が抜擢されました。 今まで相槌を打つくらいで進行も任せっきりの立場から、自分で番組を進行していく立場となり、責任感にスイッチが入ってしまったんですね(笑)

スイッチが入って、どんな風にモチベーションが変わりましたか?

ラジオでは、(何も考えずに)ただしゃべってはいけないと思いました。何かを伝えなければいけない。じゃあ、何を伝えるの?と考えたとき、「FMいちのみや」は市民のために作った市民によるラジオ局なのだから、市民が知りたい情報や、オーバーかもしれませんが、一宮市民が聞いて市民であることを誇りに思えるようなことを伝えられたらいいなと思いました。

ただ住んできただけで、町のことを知らない自分に気づき 徹底した現場主義を貫く

「市民のための情報」。シンプルでいて、とても難しいですよね。

そこで、気づいてしまったのです。私は一宮で生まれ育ち、数十年暮らしながら、ただ住んでいただけで、一宮のことを何も知らないということに。しっかり自分の町を見たことがなかったのです。だからもう一度自分の住んでいる町を見直そうと思い、町のあらゆるところに取材に出かけました。いろんな場所へ行き、いろんな話を聞き、取材をするうちに、知らないことが山ほど出てきました。自分も勉強になることであれば、他の市民にとっても勉強になるのではないかと考えて、のめり込んでいきました。

本当にポジティブなんですね。町の取材をされてみていかがでしたか?

これはとてもびっくりしたことなんですが、取材に行くと、行った先々でとにかくみなさんにとても喜ばれるんです。一宮名所旧跡を巡る『一宮 百景・百選』という番組を引き受けてから週4日は取材に出かけ、歴史上の人物や何百年続く祭りなどについて取材し、美術館や博物館の学芸員や保存会の方々、神社の宮司さんなどに会って、たくさんのことを教えていただきました。こちらは、お時間をいただいて取材をさせていただいているののですが、逆に喜んでいただける。そこでまたやりがいを感じて、とても幸せな気持ちになります。 一宮をとことん調べて伝え、喜んでもらううちに、一宮が自分自身になっていき、さらにどんどん前のめりになっていきました。

町の方だけでなく、公務で働く学芸員の方ともお付き合いがあるのですか。

一宮には4つの美術館と博物館があり、いろいろ研究や調査を行う学芸員の方々がおられます。とても親しくさせていただいて「次はいつ取材に来るの?」と聞いていただけるほどです。自分が熱心に調査し研究している研究対象の歴史や美術が愛すべき存在になっていき、多くの人に知ってもらいたいという学芸員の思いは、私の仕事と共通する部分が多いと感じています。ラジオの向こう側には、何百人、何千人の人々がいます。「FMいちのみや」を1つのツールとして使っていただき、多くの人々に知っていただく発表の場にしていただけたらうれしいです。

出演者は、一宮市民 地元の人に面白いと思ってもらえることこそが一番大切

「FM いちのみや」の代表的な番組を紹介してください。

市内の連区※3の住民に出演してもらう「連区23」や、一宮の出身、在住で、様々な分野で活動をされている方々を取り上げる「あなたにアイタイム」などの番組があります。一宮に関わりのある方は、一宮に関心を持ちやすいということで、一宮市民を中心に出演していただいています。 出演してくださった方自身が「いい局だな、いい番組だな」と思ってくださることで、その評判が家族や親せき、友人に伝わり、1人また1人とリスナーが増えてくという地道な活動をしています。

※3 町内会が1つまたは複数集まり、より広域的に住みよいまちづくりを目指す団体が連区です。

地元の中高生を対象とした講座を開講されていると伺ったのですが?

「一宮地域文化広場」を運営する企業と「iユースラジオ放送部」という中高生を対象とした講座を開講しています。 先日、講座の生徒たちがあるイベントで、世界チャンピオンになったボクサー田中恒成(たなか こうせい)選手にインタビューする機会をいただきました。インタビューでは、チャンピオンのスタッフが温かく見守りながらも、生徒らの不慣れな部分をしっかりフォローしてくださって、本当に一宮の人の温かさをつくづく感じました。 講座の卒業生はアナウンサーや声優を目指す生徒も多く、今後番組を担当してもらうことが決まっている子もいるんですよ。

地元の人の評判は?

地元の人にとって馴染みのある身近な地名や話題が出てくるから面白いと言われます。地元の人に面白いと思ってもらえることこそが一番大切だと思います。

ラジオの存在意義とは?

災害時、電気が止まればテレビも映りませんが、ラジオは電波さえ飛べば聞こえるいわば生命線です。災害のためだけであれば、普段放送する必要もありませんが、存在を知らなければいざという時に使ってももらえません。日頃から市民に愛される存在になっていれば、困ったときにラジオがあると思ってもらえる。そのためにも、日々いろいろなところとのつながりづくりに励んでいます。

「暴走族」と言われても、とにかく行動あるのみ

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御社の社風について伺えますか?

とにかく自由で、型にはまらず常にクリエイティブであることをモットーとしています。マニュアルを作りすぎると、つまらない人間を作ってしまうと思うので、やってみたいことは何でもアイデアとして出して、できることはやってみようというスタンスを重視しています。結果をみてから失敗については考えればいいんです。でも、そんな風だから「暴走族」と言われます(笑)。 やってみれば、人はうまくやろうと努力するので、意外とうまくいきますし、私たちは発展途上だから、やっていくしかない。やっていく中に答えがあると思っています。

今後の展望をお聞かせください?

まずは、人目につく場所に、バリアフリーのサテライトスタジオを作りたいと思っています。(現在のオフィスは2階にあるため、)障がいのある方にも来てもらえる、もっと市民と身近なスタジオを作りをすることで、広告の費用対効果をあげてスポンサーを増やすことが当面の目標です。

立ち上げた以上は、永久に続けなくてはなりません。永久に続けるためにまずは、市民がこの局を愛すべき場所と思ってくれる必要があります、そうすれば、なくならないと思います。今後は、立ち上げる人、継続する人からバトンタッチをして、永久に継続してくれる人たちを育てることも私たちの任務です。そのためにまず、次の世代の人たちに興味を持ってもらえるよう努めています。今はまだ基礎作りの段階ですが、人も雇えて会社として運営していけるような経営基盤になっていくこと、後継者を育てることが今後の目標です。

取材日:2016年2月22日 ライター : 望月佑香

企業名 FMいちのみや株式会社(愛称:i-wave 76.5FM)

  • 代表者名(よみがな): 代表取締役 鳩山佳江(はとやま よしえ)
  • 設立年:2012年9月
  • 事業内容: 一宮市におけるコミュニティFMラジオ放送、イベントの企画・制作・運営
  • 所在地: 〒491-0859 愛知県一宮市本町三丁目6-1
  • TEL: 0586-64-7155
  • FAX: 0586-23-0765
  • URL: http://iwave765.com/index.html
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