里山里海のふるさとで、豊かな暮らしが続くようにネットショップから、移住促進サポートへ
- 石川
- 株式会社DFC 代表取締役 濱 敬一氏
モノづくりがしたくて、就職先を辞めてソフトウェア開発へ
ふるさとで起業するまでの経緯を教えてください。
会社設立までには、いろいろな紆余曲折がありました。高校まで地元、珠洲市で暮らし、名古屋の大学へと進学しました。経営情報学科で、プログラミングや情報処理について学びました。大学を卒業し、愛知県内の工具メーカーに就職しますが、セールスエンジニアとして思うような仕事ができない自分が腹立たしく、赴任先の上司ともそりが合わず1年余りで退職してしまいました。
そこから地元へ戻ったのですか
当時、取り引き先のメーカーを回っていて、やはり自分はモノづくりがしたかったんだと思うようになりました。そこで、せっかく学んだプログラミングの技術を生かしたいと考えたんです。退職して、地元へ戻ろうと思ったのですが、当時はまだIT関連企業が地元にはなく、金沢市内にあったソフトウェア開発の企業に入社しました。ITバブルの真っただ中で、プログラマーとして仕事に明け暮れました。さらに幅広い分野のシステム開発を手掛ける企業に移った後、いよいよ自分でモノづくりに挑戦しようと決意、独立したのが2005年9月のことでした。
どのような事業に取り組まれたのですか?
個人事業主となり、友人たちとチームを作り、ウェブ制作に取り組みました。とはいえ、営業力もなく、代理店の下請けとしてせっせとコーディングに打ち込んでいました。ある時、ネットショップ開設のセミナーに参加した時のこと、平日昼間の講座には、様々な業種の企業から経営者や担当者が会場を埋め尽くすほど集まっていました。これはビジネスにつながると考え、ネットショップの開設や運営の支援を展開することを思いついたのです。
ネットショップを立ち上げ、地元の食や工芸を発信
そこにニーズを感じ取ったのですね。ネットショップの開設・運営支援は順調に進みましたか?
「小さな商店がネットショップで売上を大幅に拡大」といった記事が新聞や雑誌で取り上げられていたこともあり、食品や伝統工芸、特産品などいろいろな方面の企業から、ネットショップ立ち上げの支援を要請されました。訪問先の経営者からは、「うちの若手に教えてやってほしい」「パソコンが使える新入社員を担当にしたので、商品がどんどん売れるようにしたい」との依頼がありました。
電子商取引「eコマース」が広がっていく時代ですね
ところが、現場で担当者に入力や画像の処理を教えようとして驚きました。まず、キーボードの使い方や表計算ソフトの入力方法から教えなくてはいけなかったんです。まだまだ地方の中小企業や商店では、ITスキルが未熟だったんです。それならば、自分でネットショップを立ち上げて、各社の商品を販売する方が早いと感じて、立ち上げたのが「美食工芸 職人の店」です。能登を中心に北陸の食品や工芸品などを取り扱っています。
震災を機に、NPO法人設立に奔走
そこからふるさとの観光情報発信や移住促進にも展開していらっしゃいますが。
はい。2007年3月に能登半島地震が発生します。珠洲市は震度5強の揺れに見舞われますが、壊滅的な被害は免れました(※1)。それでも風評被害もあって、観光客が激減しました。このため震災復興策として、観光協会をはじめとする珠洲市の外郭団体の一部を再編し、観光情報の発信や特産品の開発などの窓口を一元化するNPO法人を立ち上げようというプロジェクトが動きだします。そんな時に、ネットショップに関わっていた私に声が掛かりました。
※1 能登半島地震 2007年3月25日午前9時41分に石川県輪島市西南西沖40kmの日本海で発生したマグニチュード6.9の地震。穴水町、輪島市、七尾市で最大震度6強、珠洲市で5強を観測。死者1人、重傷者88人、軽傷者250人の計339人の人的被害があり、建物被害では、全壊686棟、半壊1,740棟、一部損壊26,956棟の合わせて29,382棟、非住家被害を合わせると計33,859棟に及んだ。(石川県能登半島地震災害記録誌より)
NPO法人の設立に尽力されたんですね。
「NPO法人能登すずなり」の立ち上げに走り回り、初代事務局長に就任し、廃線になったのと鉄道の旧珠洲駅駅舎の一部を事務局として活用、観光客へのコース案内、体験観光のプログラムづくりや修学旅行の誘致、移住希望者向けの農業体験プログラム策定などに当たりました。震災から1年後の2008年5月に法人認証された時には、本当にうれしかったです。
そこから現在の会社設立へと移っていかれたんですね。
NPO法人では意欲的に事業を進めていましたが、売上はどうしても大幅に上がりませんでした。雇用できる人員にも限りがあり、事業が軌道に乗ったことから、2010年に事務局を辞めて、再びネットショップに力を入れ始めました。2011年には、法人成りして 株式会社DFCを立ち上げ、現在は楽天とYahoo!でそれぞれネットショップを運営しています。DFCは、Delicious Food Craft 「美味」「食」「工芸」の頭文字と、Direct Farm Coordinater「産地を直に案内する」という意味を掛け合わせて名付けました。
里山里海のめぐみを満喫しながら、豊かな人生を送ることができる仕組みづくりを
今後の事業展開を教えていただけますか
ネットショップ事業の傍ら、昭和初期に祖父が書いていた農業日誌を読み込んでいるんです。戦前に行われていたように、農薬を使わない農業を復活させ、持続可能な里山づくりを進めていきたいと考えています。ふるさとの珠洲市は年々人口が減っています(※2)。少子化と人口減少が止まらず、存続が危ぶまれる「消滅可能性都市」になっていることに危機感を抱いています。ふるさとがいつまでも暮らしやすい地であってほしいと願っています。
※2)珠洲市の2016年5月の人口は14,959人(住民基本台帳による)。2040年には6,625人に減少すると推計される(日本創生会議推計準拠)。特に出生を支える20~39歳のいわゆる「若年女性」の減少率は71.0%に上る。
具体的にはどのような取り組みをされるのでしょうか。
都市部で暮らす人たちに移り住んでもらうための支援を進めていきます。空き家となっている古民家も多く、こうした物件を自分たちの手で改修するための古民家再生ワークショップを開催します。移住を目指す人たちが、まずはお試しで体験するために、週末に農業体験ができるプログラムにも取り組んでいます。さらには、移住した人たちがICT技術を使い、ネットショップや在宅で情報関連の仕事ができるようなサポートも行っています。住む人が里山里海のめぐみを満喫しながら、豊かな人生を送ることができ、地域が活性化する仕組みづくりを目指していきます。
取材日:2017年6月13日 ライター:加茂谷慎治
企業名 株式会社DFC