企業の「広報部」として、「基本、OVERクオリティ」で映像作品を生み出す
- 福岡
- 株式会社コーホー部 代表取締役 大仁田 英貴 氏
テレビの企画・演出を目指していたのに、なぜか撮影助手に
大仁田さんは、いつ頃から映像に興味をお持ちだったのですか?
私は熊本県の天草出身で、子どもの頃からテレビが大好きでした。ヒーローものやバラエティなどをよく見ていて、将来はテレビ番組を企画・演出するような仕事をしたいと思っていました。高校生のときに雲仙の普賢岳が噴火し、熱血な先生と生徒で現地を取材して、文化祭で上映したこともあります。
その後、映像の学校に進学されたのですね。
はい、福岡の九州デザイナー学院に進学して、映像を学びました。学生時代にテレビ業界でアルバイトをしていると、現場の人たちに「何でこの業界を目指すの?忙しいし、休みないし、給料も安いのに……」とよく言われたものです。そんな中、たまたま出会った映画業界の人が「この業界は大変だけど、すごく面白いからいいと思うよ」と言ってくれて、それで映画がいいなと思うようになりました、単純ですよね(笑)。
なるほど、それで映画業界へ?
卒業後、実は京都の撮影所での仕事が決まっていたのですが、その前に1週間だけ福岡の映画制作会社でアルバイトをしたところ、福岡でもやれることがいっぱいあると感じ、福岡にとどまることにしました。 その会社の代表は、東京で映画の仕事をしていた岩永勝敏(いわなが かつとし)監督で、ありのままの姿をフラットな目線で撮影したドキュメンタリー映画を数多く手がけられていました。私は番組企画や演出がしたかったのに、なぜか撮影助手に。師匠は「これからの時代はカメラも何でもできた方がいい」という考えで、師匠自身も撮影はもちろん、台本書きから編集までできる人でした。いわゆる昭和のパワフルな師匠と一緒に働いたことで、多くのことを学び、ものづくりの奥深さを知りました。とてもかわいがっていただきましたね。
どのくらい働いたのでしょう?
およそ5年です。会社が他県へ移転するのに伴って退職し、テレビやCMの制作プロダクションに転職しました。私には撮影の経験があったものの、使う機材もやり方もスピード感もそれまでとは全く違い、またイチからのスタートという感じでした。また撮影助手という立場で、現場ごとに新しいことを吸収し、仕事の幅を広げていきました。
13年ほどフリーランスで働いたあと、株式会社を設立
独立したいという気持ちがあったのですか?
フリーになって、自由にいろんな方と仕事をしてみたいという思いがあり、2003年に27歳で独立しました。フリーの撮影助手として、福岡はもちろん東京や海外のカメラマンと仕事をする機会も多く、面白かったですね。テレビやCM、VPをはじめ、劇映画、記録映画等の撮影や演出の助手業務をしていました。
フリーになってから、転機となったのは?
フリーになって5年目、2007年に個人事務所「Visual works OHP」を開設しました。それまでは撮影助手がメインだったのですが、「編集も手伝ってもらえないか」「本も書ける?」「演出までしてほしい」と言ってもらえるようになって。小さいCMやテレビのパブリシティ番組を1本任されたり、ディレクションを依頼されたりするようになりました。
私は20歳から12年間ずっと撮影助手で、本当は企画や演出をしたかったのにと悶々とすることもありました。でも、いつの間にかいろんなことをできるようになっていて、これまでの経験が全てムダではなかったのだと実感しました。
そして今年、株式会社コーホー部を設立されたのは、どんな思いからでしょうか?
福岡で長年仕事をしていると、地元の中小企業の方々と知り合う機会がたくさんありました。みなさんそれぞれ魅力的な企業で面白い取り組みをされているのに、広報にまで手が回らず、世間にはあまり知られていない。すごくもったいないと思ったんです。実際に、自社のことをもっとPRしたいという声もよく聞いていました。
そこで、私が御社の広報部として、かわりにPRを担当しましょうという思いを社名に込めて、2017年1月に会社を設立しました。私がこれまで培ってきた映像のスキルや幅広い人脈をもとに、映像はもちろん、ホームページやブランディングなども含めてあらゆる広報物を手がけています。
OVERクオリティで、「あっ!」と言わせる企画を実現
御社の強みを教えてください。
大きく3つあります。ひとつは、企画提案から人材のアレンジまで、一手にお任せいただけること。会社は少数精鋭でやっていますが、素晴らしいプロたちとお付き合いがあるので、いろいろなことに対応できます。
2つ目は、コーポレートミッションにも掲げている「基本、OVERクオリティ」を目指していること。相手の要望や予算に応じて、制限の中でより価値あるものを提供したいと全力で取り組んでいます。作品には自分そのものが表れるし、突き詰めると自分がどこまでこだわって作品と向き合えるかが重要だと、師匠から学びました。また、アーティストなら自分のこだわりを追求すればいいけれど、クライアントのいるこの仕事は、大喜利のようなものだと思います。クライアントが出したお題に対して、いかに面白い提案をし形にしていくかというところにこだわっています。
3つ目は、2つ目ともつながりますが、他にはない突き抜けた提案ができること。通常のプレゼンは、無難なA案と少し外したB案を出すものですが、私は突き抜けたC案を一番出すようにしています。A案なら他に頼んでも同じだけど、私に期待されているのはC案だと思っているからです。
これまで手がけた仕事で印象に残っているのは?
先ほどのC案で実現したテレビCMとして、かぶりものをしたキャラクターが、かぶりものの頭を外したシーンを撮影したことがあります。本当は禁じ手ですが、そこにあえてチャレンジしました(笑)。また、福岡の都心の公園で300人のダンサーを仕込み、フラッシュモブを仕かけたCMも好評でした。
大仁田さんは、この仕事のどんなところにやりがいを感じていますか?
みんなでひとつの作品を作り上げる楽しさと、完成したときの達成感でしょうか。福岡のクリエイターは、東京に負けたくないとか、仕事と割り切らないとか、せっかくなら思い切り楽しいことをしようとかいう人が多い。とてもいい空気感があるんですよ。
みんなで作ることの楽しさとは?
うーん、私はね、いつもみんなに笑っていてほしい。人の笑顔を見ることが幸せなんです。私は仕事を通して自己表現できるし、たくさんの笑顔にも出会える。だから、この仕事を続けているのだと思います。
クリエイターは仕事ではなく、生き方そのもの
今後はどのようなことをしていきたいとお考えですか?
私はあまり先のことを考えないタイプでして……。まずは今やっていることを全力でやっていきたい。常に100%で臨んでいます。100点とはいいません、点数は相手が決めることだからです。ただ、いつも自分の力を出し切って、相手の思う100点に近づきたいと考えています。
まだ漠然とした夢としては、海外、アジアに撮影スキルや映像を広めたいというのがあります。欧米や日本などでは誰もが気軽に映像を楽しめるようになりましたが、アジアではまだ映像技術があまり広まっていない地域があります。映像は、カメラひとつで誰もが自己表現できるツール。世界中の人が映像を使えるようになればいいなと思っています。
最後に、クリエイティブ業界で幅広く活躍されている大仁田さんから、クリエイターに向けてアドバイスをお願いします。
個人的に、私は仕事を仕事と思っていません。この仕事をしている限り、特にオンもオフもなくて、全てはネタになり糧になる。クリエイターは仕事ではなく、生き方そのものなのです。だから、クリエイターとして生きていくという思いで臨んだほうがいいのではないでしょうか。
取材日: 2017年6月22日 ライター:佐々木恵美
株式会社コーホー部
- 代表者名:代表取締役 大仁田英貴(おおにたひでき)
- 設立年月:2017年1月
- 事業内容:各種広報ツール制作、広報・PRアドバイス、プロモーション動画制作、Webデザイン
- 所在地:〒810-0004 福岡県福岡市中央区渡辺通5丁目16−13 柳川ビル2F
- TEL:092-986-9671
- URL:http://kohobu.jp/