未知の世界に可能性を求めて、挑み続けていたら、少しずつ進化していた
- 大阪
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光画印刷株式会社
DS事業部次長 中野薫氏
チーフデザイナー 荒木圭司氏
「DTPって何?」からのスタート
中野さんはDS事業部の大阪制作室長と東京制作室のクリエイティブディレクターを兼務されています。もともとデジタルがご専門だったのですか?
中野さん:いいえ。美術系の短大を出てから学習教材の会社でしばらく働いて光画印刷には27年前に入社しました。光画が百貨店の顧客向け季刊誌の制作を受注したので進行管理ができる企画営業職として採用されたんです。お客さまから注文を受けて印刷して加工するだけの会社からの脱皮を探り始めた時期だったのかも……。当時は写植の時代でしたし、会社の1階にまだ活版印刷機がガッチャンガッチャンと動く町工場という雰囲気でした。
今の若い人は「写植? 活版って何?」って感じでしょうね。そこはもうググってもらうことにして…。御社がデジタル化に舵(かじ)を切ったのは、どのような理由ですか?
中野さん:印刷加工だけでは生き残れないという切実な会社の判断です。今はPCでデータを作成して印刷に回すのは当たり前ですけど、そのときは会社全体が「DTPって何?」っていう状態。営業社員が、上司から「コンピューターさわれるだろ。マッキントッシュ買ってきて、DTPっていうのを始めてみてくれ。」なんて言われて独学で習得したような状況でした。
それが1994年4月のDS事業部発足当時のことですね。
中野さん:その後、デジタルカメラも導入したんです。カメラマンも初採用し1995年4月には印刷機があった場所にデジタル撮影スタジオを開設しました。最初は「デジタルカメラってフィルムいらないの?」っていうレベル。当時のデジタルカメラの画像はクオリティーが低くて商業印刷には使えないといわれていたのですが、フィルムカメラ時代は外注していたレタッチ(修正)を内制化したところ、画像処理の技術が評価されて大手百貨店のカタログ制作などを受注できるようになったんです。
印刷会社のDNAが活きる
インターネット利用が広がり始めるころですね。
中野さん:「これからはネット抜きに生き残れないだろ!」ということになりましたが、現実の社内は「ホームページって何?」っていう感じ。DTP からスタートし、デジタルカメラ、ホームページとずっと「何?」ってこのワード始まりの会社ですね(笑)。DTP導入後もクライアントから指示を受けて、それをかたちにしていくのが主な仕事。でもインターネットという新しい分野ですから、お客さまへの企画提案もしないと仕事が来ません。そのためウェブデザイナーやディレクター経験者も採用してきました。
DS事業部が拡大してきたわけですね。
中野さん:現在は大阪で約20人、東京が約30人、名古屋が約10人で計60人くらいのスタッフが在籍しています。全社員が90人ちょっとなので7割近くがDS事業部員です。私が入社したときは社員が今の半分くらいで名古屋にも拠点はありませんでした。ですからデジタル中心の会社になったともいえますが、やはりコアな部分として印刷会社のDNAがあるのは強みだと思います。
例えば、紙の会社案内にしても、弊社では企画提案から印刷、納品までできますし、商品やモデルの撮影も自社スタジオで可能なうえ、ウェブサイトへの反映もできます。お客さまにひとつの窓口でワンストップのサービスをご提供できることはベースが印刷会社だからこその強みだと思います。
アナログとデジタルが融合する強み
厳しい時代のなかで、成長したのはすごいですね。
中野さん:前を見てちょっとずつ進んできた結果が今だと思います。ウェブサイト制作会社の栄枯盛衰も激しいですが、弊社の場合、紙ベースから始めたデザイナーをうまく採用できているのも奏功している気がします。
そこのところ、荒木さんのご意見を聞かせてください。
荒木さん:私は今、42歳で20年デザインの仕事をしていますが、昔はまず手で描いて、その後、PCを使って制作していました。今はいきなりPCに向かう傾向がありますよね。ネット上にはテンプレートがたくさんあって、参考にすれば何となく見栄えのいいものができます。でも、テンプレートと同じデザインにするわけではないですから、バランスが悪くなる場合があります。また、手描きですとコンピューターのように上書きされず、変化のプロセスが残って見返しやすく頭の中で整理できるのがいいです。
アナログの良さ、デジタルの良さ、どちらもうまく使い分けた制作をこれからも続けていきたいなと思っています。
荒木さんはウェブからデザインの世界に入ったのではないのですね。
荒木さん:もともと、インテリアデザインを勉強していたんですが、広告の仕事にどんどん興味が移っていき、制作プロダクションでグラフィックデザイナーをしていました。でも時代の流れでウェブの仕事も増えて、縁あって光画印刷に転職してきました。今はウェブと紙の仕事が半々くらい。名古屋オフィスが受注したスマホアプリの制作にも関わっています。各拠点にはそれぞれの分野のエキスパートがいます。案件ごとにプロジェクトチームが組まれるので、ベストな提案ができ、やりがいは大きいです。
大阪、名古屋、東京で横断したチームですか?
中野さん:最初からがっつりと横断チームでやっていたわけじゃないんです。本格的に始動したのは、ここ数年のことです。それまでは、それぞれの拠点で培っている情報やスキルが共有されにくかった。各拠点の事案に会社の最善の総合力が反映されないという問題がありました。近年では、テレビ会議なども利用して、3つの拠点から最善のソリューションをくみ上げることにより、スタッフのモチベーションもクライアントへの提案力もぐんと増したと思います。
頓挫したプロジェクトを再生
2010年8月から自社で「こだわりシニアに贈る通販サイト『COOCAN++(クゥカンプラスプラス)』」をリリースされました。
中野さん:バリアフリーな住居を手掛ける施工会社さんから「シニアを対象にしたビジネスを一緒に」ということでサイトの計画が立ち上がったんですが先方の都合で、急に頓挫したんです。このせっかくの面白い企画を自社だけで何とかできないか、ということになって、最初は介護ビジネスでの展開を考えたのですが、調べてみたらハードルが高い。そこで介護を受けるほどではないけれど、少し生活に不便が出てきたような世代に向けて、[デザインも洗練されていて機能性が優れている商品を提案する]というコンセプトが生まれたんです。
商品選びは?
中野さん:プロに依頼すれば費用がかかります。会社から「君、商品を見つけてきなさい」と命が下りました。大手通販が取り扱うものでは太刀打ちできないので、埋もれているけれど、シニアにも使いやすくてデザインにも妥協がない商品を展示会などで探掘したんです。もちやすいマグカップとか……。小さい子供がいるお母さんが持っているマザーズバッグって、軽いし撥水(はっすい)や防臭加工がされていてポケットも多いのでシニア向けのトラベルバッグとして提案すれば売れるかも……とか。最初は数十点でしたけど、今は約200点を揃えています。
才能の育成にも挑む
扱った商品が新聞などのメディアに紹介されるなど、反応はいいようですね。
中野さん:おかげさまでギフトだけでなく自分用としての購入も3~4割を占めてシニアだけでなく幅広い層の方が利用してくださっています。とはいえ人員の関係であまり手をかけることができていませんが、収益よりも、こういうこともできる会社だとPRできる意味が大きい。今後は、スマホアプリやCOOCAN++のようなオリジナルのサービスも、もっともっと展開していける会社になればいいなと思っています。
それには若くて新しい感性が必要なんです。これまでは才能を白紙から育てる余裕がなかったんですけど、荒木のような中堅人材も安定してきて、やっと教育もできる環境が整ってきましたしね。
荒木さんはどんな方と仕事がしたいですか?
荒木さん:受け身でなく、自分の頭で考えて動く事が出来る人物です。今、SNSと連動してアルバムづくりができるスマホアプリの開発もしています。これからどんどん増えてくる新しい案件は、ユニークな発想のある若手と、ぜひ一緒に手がけてみたいですね。
来年5月に創立70周年を迎えられるそうですね。
中野さん:そうなんです。創立70周年を迎えるにあたり、社名変更も予定しています。これからも、変化していきながら、いろいろなことをカタチにしていける会社であり続けたいなと思います。
取材日:2017年8月2日 ライター: 岡崎秀俊
光画印刷株式会社
- 代表者名(よみがな):代表取締役 廣岡圭一(ひろおか・けいいち)
- 設立年月:1948年5月
- 資本金:1,000万円
- 事業内容:印刷、ウェブデザイン、スチール・ムービー撮影、画像処理、ECサイト向け撮影システム開発、グラフィックデザイン、DTP、プランニング、コンサルティング、ショッピングサイト運営など
- 所在地:大阪市中央区上町Cー1
- URL:http://www.kohga.co.jp/
- お問い合わせ先:TEL)06-6761-4381