アナログとデジタルの融合で「日本を翻訳」する
- 大阪
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アイ・ディー・エー株式会社
代表取締役社長
トッド・ボーディン氏
取締役 中村明子氏
カナダの家を売って生活資金を捻出
まずボーディンさんの来日のきっかけから教えてください。
ボーディンさん:カナダの専門学校で電子工学を学び、電話会社に勤めたあと、沿岸警備隊の船舶のエンジニアをしていました。日本に来たのは1989年12月です。その2年前から友達が大阪で働いていたので、休暇を利用して遊びに来たのです。ところが、たまたま電子機器メーカーのマニュアルを制作していた会社に外国人の欠員ができたので、そこで働くことになりました。それが日本に住むきっかけです。友達はカナダにいたときから日本が好きでしたが、現代の日本には、彼が興味を持っていた侍や忍者はいませんでした。彼は、イメージと現実のギャップに愕然(がくぜん)として帰国してしまいました。
では、ボーディンさんは、なぜ日本で働くことにしたのですか?
ボーディンさん:当時は、ソニーやパナソニックという有名企業の名前くらいしか知らず、「日本ってどこ?」という感じでした。バブル経済のピークで景気が良く大阪に来てビックリしました。とにかく、人が多くて活気があり、夜もネオンが華やかな日本は、それまで暮らしていたカナダとは別世界で魅せられてしまったのです。友達のような侍や忍者への憧れも、日本への先入観もない私は単純にエキサイティングで自分の可能性を追求できる場所だと感じました。 その後、勤務先の経営が傾きフリーランスになり、収入が激減して、お金がなくなってしまいました。カナダに戻るという道もありましたが、帰国しても自分のやりたい仕事があるとは限りません。それなら日本に残るほうがチャンスがあると考えてカナダにあった自宅を売って生活資金にしたのです。収入を安定させるため、友人が帰国前までライターとして勤めていた翻訳会社を紹介してもらい、 就職し、そこで働いていた妻の明子と出会いました。
中村さんはどのような経緯で、その翻訳会社で働いていたのですか?
中村さん:同志社女子大学を卒業して大阪の出版社でライターをしたり、フリーランスで取材の仕事をしたりしたあと、翻訳会社に勤務していました。私が入社して6年後にトッドも入ってきました。私とトッドはチームメイト同士として数々の案件をこなしていましたが、その翻訳会社の経営状態が悪くなって、仕事のスピード感も失われていって顧客に申し訳ないような状況になりました。そこでトッドが起業を決意し1997年に西天満(大阪市北区)に事務所を借りてアイ・ディー・エーを創設したのです。翻訳会社で同僚だった3人と総勢5人からのスタートでした。私とトッドはその1年前に結婚しました。
「できます」と返事をしてから解決策を考えた
創業当初から現在のように多角的な展開をされていたのですか?
中村さん:翻訳の依頼を受けてマニュアルやカタログの制作に関わらせていただいたお客さまから「ホームページも作りたいのでアイデアを出してくれませんか?」というご依頼からの自然な流れです。もともとコンピューターに興味を持っていたトッドが起業前から独学でサーバのセットアップやWebサイト制作などのスキルを身につけていたことが多角的な展開をする強みになりました。
ボーディンさん:当時はインターネットの一般向けの商用サービスが始まって間もなく、ブロードバンドも普及していない黎明期でした。もちろん、今のようなブログやSNS、動画共有サービスもありません。アメリカで発表された情報が日本のコンピューター専門誌に載るのが半年後くらいのタイムラグがありました。IT関連の仕事を依頼されれば、まず「できます」と答えて、その後で、解決策を考えていたのですが、その結果、他社よりも質の高いサービスを提供できるようになったと思います。
そのような方向性は社名の由来とも関係がありそうですね。
ボーディンさん:そうです。アイ・ディー・エー(ida)の「i」はインテグレーション(統合)、「d」はデジタル、「a」はアナログを表しています。デジタル最新技術と、人間が頭で考えたことを一緒にしてソリューション(解決策)を提供しようということです。言語に関する知恵とエンジニアリングを合体させたサービスが信頼と実績につながり、お客様も増えて、2002年に現在のビルに移転し従業員も50人以上になりました。
中村さん:アナログという部分で言えば、社長のトッドが英語を母語にしていますので、もともと英語への翻訳に対してチェックが厳しいのが当社の特徴です。現在80カ国語以上に対応していますが、どの言語の仕事でも、世界各地への当社のネットワークでネイティブチェックは、お客さまから「必要がない」と言われない限り必ず行っています。翻訳サービスの国際規格「ISO17100」も取得しています。例えば、日本人が外国に行った時には、ホテルなどで妙な日本語を見るとサービスの質までも疑いたくなりますよね。弊社では、そういうことがないようにチェックしていますので、当社の仕事への海外での評価も高く、ご依頼のリピートにつながってきたと自負しています。
オンラインサービスの開発・運営もされていますね。
ボーディンさん:日本語のメニューを英語や中国語などに翻訳し料理の説明が付いたメニューとして印刷したり、パソコンやスマートフォンでの表示ができたりする「 ワールドメニュー」です。当社のオリジナルサービスで、訪日外国人向け飲食ポータルサイトにも掲載される仕組みになっています。
中村さん:トッドが海外のソフトウエアを探して紹介することもしています。たとえば一度、翻訳したコンテンツはデータベース化して、改訂作業などの効率を高める支援ツールの販売代理店業務のほか、多言語マニュアルを作成する際にテンプレートを利用したレイアウト作成や印刷物改訂の際の更新作業を効率化できるソフトウエアの導入支援なども行っています。今後、さらに日本の企業が事業を展開する国や地域が増えてきても、工数の増加を最小限に抑えることができるようなサービスを提供していく方向でスタッフも常に勉強や情報収集をしています。
「壁」を乗り越えて成長していく
ボーディンさんは来日されてから、30年近くになりますね。日本に対する思いを聞かせてください。
ボーディンさん:来日当初、日本語がまったく分からなかったうえ、当時は街中の英語の案内表示もほとんどなくて苦労しました。カナダで牧場を経営する両親や姉妹たちに電話をするのに毎月数万円の請求がありましたが、今はインターネットのテレビ電話サービスならふだんの通信費以外の追加費用はかかりません。昔が嘘のようです。日本だけではなく、世界のどこであっても情報のやりとりが簡単になりましたが、海外の人々にとって日本にはまだまだミステリアスな部分がたくさんあります。東京一極集中が進んでいますが、文化と歴史は関西の方が豊かです。奈良の東大寺や京都の三十三間堂と、気持ちの良い温泉など、私の好きな場所がたくさんありますので、もっと関西を海外に紹介していきたいと思っています。
今後の展望や目標を聞かせてください。
中村さん:20周年を機に「Beyond The Edge(ビヨンド・ザ・エッジ)」というスローガンを掲げました。「“壁"を乗り越えていこう」ということですが、単にお客さまから依頼のあったサービスを納品するだけではなく、積極的に、お客さまの課題の解決に役立つことは何かということを探って発展していきたいです。たとえば、社内報を海外の支社や現地法人向けに翻訳する際、社長やトップの言葉も、日本独特の時候の挨拶(あいさつ)や紋切り型の言い回しを、そのまま直訳すると、大切な意図が伝わらないことがあります。そんな場合は、お客さまに説明をして、訳文を工夫するといった配慮が必要です。英単語にしても英語を母語としない方々にグローバル言語として発信する場合には、よりシンプルに伝わる単語を選択するといったことの重要性も高まっています。
ボーディンさん:技術が日々進化し、次々と新しい翻訳やWebサービスのソフトが開発されています。「Beyond The Edge」の実現のために常に最先端の技術を把握しお客さまに最適な高品質のサービスを、より速く低コストで提供していきたいです。
どのような人と一緒にお仕事をしたいですか?
中村さん:創業当初はスタッフのマネジメントで苦労しました。でも今は人が育って、それぞれ自分自身で判断して仕事を進めてくれていることが本当にうれしいので、機転がきいて臨機応変に対応ができるスマートな方は貴重だと思っています。
ボーディンさん:ハイテクノロジー化に従ってコンピューターソフトも、より複雑になってきています。ですから、そんなソフトが理解できるプログラマーとしての資質の高い人物。IT関係以外の問題も論理的に解決をするためにもプログラマーの能力は役立つと考えています。
取材日:2017年12月6日 ライター:岡崎秀俊
アイ・ディー・エー株式会社
- 代表者名:代表取締役社長 トッド・ボーディン
- 設立年月日:1997年5月
- 資本金:1,200万円
- 事業内容:
「多言語翻訳」「DTP」「Web」の連携による海外向けドキュメント制作や、プロモーションの課題を解決する解決策の提供 - 所在地:大阪市北区太融寺町1-17梅田アスカビル4階
- URL:http://www.idanet.co.jp/
- 問い合わせ先:TEL)06-6360-6300