城下町・金沢のまち歩きを楽しむ古地図アプリ「古今金澤」を開発。「その仕事はおもしろいか、クリエイティブか?」を問い続けたい。
- 金沢
- 株式会社エイブルコンピュータ 代表取締役 新田一也さん
ネット上で見つけた金沢の古地図。手にしながら、まちを歩いてみたいとアプリ開発に着手
金沢を古地図で楽しむアプリ「古今金澤」を紹介してください。
古地図と現在の地図をリンクさせ表示し、地図アプリ感覚で操作できる古地図アプリです。古地図上の気になるスポットを長押しすると、くずし字で書かれた屋敷名や寺社名が表示され、そのまま建物や用水、橋などの由来をウェブで検索することもできます。周辺スポットや距離も表示され、まち歩きには最適のアプリです。地名の由来や逸話などがまとめられた金沢の歴史の百科事典ともいうべき「金澤古蹟志」も収録されており、より深く金沢について知ることができます。
「古今金澤」を開発されたきっかけは?
実家のあった能美市から金沢市内に引っ越したことから、歩いて会社へ通うようになりました。すると昔ながらの路地や古い建物が残っているという印象を受けました。ある時ネット上で金沢の古地図を見つけ、これを手にしながら町を歩いてみたいと思ったのが開発のきっかけです。
開発においてどんな点に工夫されましたか?
古地図はやはり絵でして、現代の感覚の地図からすると正確ではない部分が見られます。縮尺は書かれていますが、一定ではなく、例えば重要な建築物は大きめに書かれていたりします。現代の地図とはそのまま照合できないので、金沢工業大学 環境・建築学部 建築系建築デザイン学科の増田研究室との共同研究により、古今の地図を合わせるデータを作成しました。新たに位置合わせのエンジンもつくり、両者をシンクロさせて見えるところにたどり着きました。また「金澤古蹟志」の解読を地元の歴史家である安藤竜さんに依頼し、地図から史料へのリンクデータを作成していただきました。
アプリは設立20周年記念で地域貢献の一環として提供。まち歩きイベントも開催され、反響呼ぶ
有料ではなく、無料アプリとして公開しているのはどうしてですか?
会社設立の20周年記念事業として、地域貢献の観点から無料で提供させていただきました。今後、観光分野の事業として他の地域での開発など、いわゆる横展開も含めてビジネスにつなげていけたらという思いはもちろんありますが、金沢のまち歩きのツールとして活用していだければ嬉しいなという思いです。
反響はいかがですか?
とても好評をいただいております。アプリを持ってまち歩きをすることで、なぜ町の中に高低差があったのかが分かったとか、アンドロイド版を早く出してほしいなどと多くの声をいただきました。「古今金澤」を手にして、まち歩きをするイベントも開催されました。
地元のシステムメーカーに入社、ソフトウェア開発の勉強に追われるも、「 SE35歳定年説」を知り、転職
新田さんが、システムやアプリを開発する道を選んだきっかけを教えてください。
出⾝は⽯川県能美市です。あまり勉強もせず、高校を卒業する年にちょうど開学するという地元の短大に、運良く1期⽣として⼊学しました。できたばかりの情報システム学科に進み、卒業後はこれまた地元にあった電⼦システムメーカーに就職します。しかし配属されたのは研究開発部門。ソフトウエア開発を担当することになって、今までのツケを払うがごとく、勉強に追われます。1990年ごろですので、まだインターネットも普及しておらず、ようやく会社にパソコン通信サービス「ニフティサーブ」が通ったかどうかという時代でした。連日、会社帰りに書店へ寄って立ち読みしたり、大学の夜間講座に通ったりしました。これが生まれて初めて勉強した経験だったと思います。
会社にはどれくらい在籍していたのですか。
「C言語」や「アセンブリ言語」などのプログラミング知識を身に着けて、主に検査機を制御するためのソフトウエア開発に従事していましたが、3年ほどで退社しました。仕事に対しては熱心だったのですが、ある時、目にした本で「SE(システムエンジニア)35歳定年説」というものに出合ってしまいます。すっかり真に受けてしまい、将来に対する不安を抱き、何か別の道を探そうと思いました。
SEからどのような職種に転身したのですか?
当時の会社からスピンアウトした⼈たちが、産業用ロボットを製作する会社を立ち上げて、その会社に就職しました。初めはロボットの組立を担当したのですが、自分の創造性を発揮する場がなく、全く面白みを感じませんでした。図面どおりに部品を揃え、組み立てていくのですが、完成した後になぜか部品が余っている。これは何だと。部品の数え間違いだと自分に言い聞かせるのですが、納品した後に動作に異常が出て、後々確認するとボルトの閉め忘れが発覚したこともありました。PCだったら、カーソルをあわせてクリックしてキーを叩けば修正ができるはずなのに、ロボットはバラして一から組み直さなければいけない。つまらないし、面倒くさい。そこでソフトウエア開発がいかに自分に向いている仕事だったかをあらためて思い知らされました。
中途半端を繰り返してきた自分に嫌気。コンピューターの世界へ再挑戦
その気づきがあって、一度飛び出したソフトウエア開発の仕事に戻っていくのですね。
そんな状況でしたので、半年ほどでロボット製作会社は退職しましたが、そこで今までの自分がいかに中途半端だったかに気づき、ある種の罪悪感を覚えました。勉強せずに過ごした学生時代、初めて深く興味を持って勉強したソフトウエア開発の仕事、若くて生意気だった自分は、会社ではもちろん、石川県にもこんなに仕事ができる人間はいないのではと勘違いをしていました。別の業界に移っても仕事に興味がわかない。そうして中途半端を繰り返してきた自分に嫌気がさして、唯一興味が持てたコンピューターの仕事にもう一度挑戦したいと思うようになりました。
それが独立のきっかけになったのですね。
普通のサラリーマンとして仕事をすれば、またどこかで中途半端に投げ出してしまうかもしれない、それだったら自分で看板を上げて、辞めるときには思い切り恥をかくような状況になるよう、自分を追い込んでやってみようということで、フリーランスとなって起業して、自宅の敷地にプレハブで事務所を建てました。
独立して受注をすぐに得ることはできましたか?
ツテやコネはもちろん、営業の経験さえも全くありませんでした。前職の会社や取引先にお願いに行けば、おそらく仕事を発注してくれるだろうと言う思いはありましたが、それは義理を欠くと思いました。それで、「私はこんなことができます。何かお手伝いできないでしょうか。」とタウンページを広げて上から順に、電話をかけていきました。大半は即電話を切られましたが、ソフトウエア開発の同業種の方からの反応がよく、孫請け、ひ孫請け、いやさらに下請けかもしれませんが、とりあえず受注をいただけるようになっていきました。振込手数料はこちら持ちで、1行ソースコードを書いて「0.何円」という単価の仕事からスタートしていきました。
そういった細かい請負の受注から始まって、事業が軌道に乗り始めて法人成りしていくのですね。社名の由来について教えてください。
個人事業ではありましたが、十分過ぎるほどに受注があり仕事ができましたので、会社組織にしてみたらという声をかけられるようになり、右も左もわからないまま会社を設立したのが1996年の8月でした。フリーランスになって約1年後だったと思います。通常は事業ありきで会社設立に向かうのでしょうが、それは後回しで、まず稼ぐことありきでした。明確なビジョンも定まらない中での法人設立でしたが、英和辞書を繰りながら、語感と五十音順で先になるよう「ア行」で始まることを考えながら社名を絞り込み、最終的に「株式会社エイブルコンピュータ」としました。
初の自社商品として、森林管理システムを開発。業界の注目を集め、少しずつ成長を続ける
会社として軌道に乗り始めたと感じたのはいつごろでしたか?
会社設立から4か月ほどして、初めての社員を雇った時でしょうか。順調とは言えませんでしたが、ソフトウエア開発の請負業務をメインに、会社としての形が見え始めた頃でした。当時会社をつくったと言っても、受注先の社内で作業をする形態が主でした。受注先の企業で、「退職する予定の優秀な人材がいる」と紹介されて、入社を要請します。彼は今も当社に在籍しており、とても頼れる存在です。
現在の社員数は?
現在は13名です。出⼊りもありますが、⻑く在籍している⼈もおり、順調に増えてはきています。
会社設立から事業の大きな転機となった時期はありましたか?
最初の転機は、2004年の「円空」という森林管理システムを開発したことです。それまで請負業務ばかりでしたが、初めて自社商品を開発することができました。
システム制作に至った経緯を教えてください。
ネット上の掲示板で、石川県林業試験場の職員の方が森林管理にコンピューターシステムを導入したいと書き込んでいたのをみて、「ぜひ、トライしたいです」と返信したのがきっかけでした。書き込まれた内容は「円空」とは別件だったのですが、その後のやり取りの中から森林管理システムの開発に着手していくことになりました。
森林管理システム「円空」についてご紹介いただけますか?
森林内で撮影した全天空写真を画像解析して、森林の材木量の推定値を算出するシステムで、森林の環境調査の効率化を目的に開発しました。それまで請負業務ばかりで、自社の開発商品を持つことがなかったので、製品に対するマーケティングやプロモーションの必要性は感じていませんでした。製作してホームページに載せれば、誰かが見つけてくれて売れるのだろう、とそんな感覚しか持ち合わせていませんでした。林業試験場の方と、こんなものがあれば便利だよねという話の中でのみ進行していって、両者ともビジネス感覚は持っていませんでした。しかし、学会での発表を継続して行っていましたので、業界の方に注目してもらい、少しずつ拡大していきます。
「円空」開発の動機としては、やはり自社の開発商品を持ちたいという気持ちがあったのですか?
もちろんそれもありましたが林業のことを勉強すると、日本が抱える森林・林業の問題があまりにも深刻だという現状を知り、何かやらなければという使命感を強く覚えました。何より林業の現場がすごく困っていた状況を目の当たりにして、問題改善に自分たちのITの技術が役立つことに心を動かされました。
会社の事業外活動としても森林ボランティア活動を続けていますね。
「円空」を開発した2004年から環境保全活動の一環として、石川県が実施する「公益社団法人 石川の森づくり推進協会」に入会して、下草刈りや植樹活動に参加しています。
今後の展開について開発を進めているものはありますか?
ひとつには、森林管理システム「円空」の技術を生かした農業用のプロダクトを、また他社との共同開発でゲームの開発を進めております。そして「古今金澤」に絡んだ観光コンテンツがいろいろありまして、それらのビジネス化を進めるうえで、集まることのできるリアルな場所、拠点として、コミュニティカフェのようなスペースをつくりたいとも考えています。
「自分らしい」アイデアを出し合い、の実現に向けて取り組んでいくことで、会社が成長する
「『自分らしさ』を会社の成長に生かす」という考え方を説いています。
普通の会社ならば、「それは儲かるのか」というところからスタートすると思いますが、当社では、おもしろいかどうか、クリエイティブかどうかを重要視しています。会社としては必要以上に儲けたいとは考えていません。楽しい仕事ができればよい、もちろんつくる時には苦しみも伴うと思います。しかし、自分が欲しいと思うものをつくることは、絶対に楽しいことだと思います。この会社ならば、例えば「古今金澤」のように、社員たちが「自分らしい」新しいアイデアを出し合い、みんなでその実現に向けて取り組んでいくこと、それが会社の成長に生きてくるはずです。
社員がクリエイティブであるために心がけていることはありますか?
ナンセンスな規則や制約に縛られることなく、社員が集中して仕事ができる環境を考えています。8時間ずっと集中できる人間はいないと思います。一番集中できることが大事で、興が乗った時に書いたコードや設計のロジックは素晴らしかったりします。そのため、社員個人に大きく裁量を求める職場だと考えています。
文化活動支援にも会社として取り組んでいますね。
森林ボランティアに加えて、金沢21世紀美術館、社団法人金沢能楽会、クラシックの音楽祭「いしかわ・金沢 風と緑の楽都音楽祭」に協賛しています。社員たちには、そういった文化的な営みに触れてもらえればと考えています。また3月には事務所の移転を予定しており、休憩スペースにはお茶を点てるスペースを設ける予定です。
エイブルコンピュータの今後の展望についてお聞かせください。
「儲け」よりも、社員がいかに豊かに暮らせるかということに重きを置いていきたいと考えています。豊かに暮らすというのは、平穏な気持ちで生活できること、そして文化的なものに触れることだと思っています。文化的なものを吸収し続けていかなければ、クリエイティブであり続けることは難しいのではないかと直感的に感じています。
取材日: 2018年1月30日 ライター: 加茂谷 慎治
株式会社エイブルコンピュータ
- 代表者名(よみがな): 代表取締役 新田 一也
- 設立年月: 1996年8月
- 資本金:1,000万円
- 事業内容: コンピュータソフトウェア開発
- 所在地: 920-0855石川県金沢市武蔵町2番12号フルーツむらはたビル4階 (2018年3月5日より)
- URL: http://www.ablecomputer.co.jp
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