ビジネスに、寄り道を。
- 名古屋
- 株式会社アンドアイ 代表 荻野 滋夫 氏
アナウンサーの夢をあきらめず、デビューのチャンスを伺う。
アナウンサーを志したきっかけを教えてください。
大学の恩師から現役アナウンサーを紹介いただいたのがきっかけです。 私は幼少の頃からスポーツが得意でした。中学時代には東京オリンピックの陸上強化コーチを務めた方からスカウトの手紙をいただき、高校の体力テストでは満点でした。当時、生徒が千数百人いましたが、満点を取った生徒はわずか2人だったと記憶しています。
そんなことから、将来はスポーツに関連する仕事に就きたいと考えていました。教師や指導者の道も考えたのですが、教職過程がうまくいかず悩んでいた頃、CBC(中部日本放送)草柳伸一アナウンサー(故人)をご紹介いただいたんです。
では、卒業されてすぐアナウンサーになられたのですか?
草柳さんにご指導いただいてCBCの局アナ試験に挑戦しました。300名ほどの志願者の中から最終選考の7名に選ばれたのですが、残念ながら落選。学生結婚して妻もいたため、やむなく名古屋の鉄道会社に就職することになりました。
しかしアナウンサーへの想いは残っていたため、多くの有名アナウンサーを輩出していた東京の名門アナウンススクールに週1回の頻度で通いました。そして局アナ試験に再度チャレンジしたのですが、今度は「既卒扱い」のため合格することは叶いませんでした。当時の社会は今のように第二新卒を受け入れる柔軟性がなかったんです。
そんな折に新聞で「衛星多チャンネル放送局」が立ち上がることを知り、さっそく電話。就職活動もうまくいってニューメディアの立ち上げに携わることになりました。アナウンサーの修行をしていた経歴は尊重してくれましたが、あくまでも総合職としての採用でした。
そこからフリーアナウンサーになるまでの道のりを教えてください。
その会社では、放送するチャンネルの企画からシステムの設計、インフラ準備、加入営業までのすべての業務に携わりました。放送局を0からまるごと作るイメージです。そこで9年ほどお世話になったのですが、会社が譲渡されることとなり退職しました。その後、ご縁があって東海ラジオから独立した亀関 開(かめせき ひらく)さんの元でアナウンサーとして活動することになったんです。
当時は30代も半ばにさしかかった頃。「局アナだとデスクを担当するくらいの年齢でデビュー!?」と亀関さんからも言われましたし、はじめから充分な仕事があるわけもなく5年ほどはアルバイトを掛け持ちしながらボートレースの実況や結婚式の司会などで腕を磨いていきました。 そして亀関さんの元でアナウンサーになってから10年ほど経った時に独立することになりました。実はその1年ほど前に独立の打診をし、その時は怒られたんです。しかし1年が過ぎた頃にもう一度お願いしたところ、「携わっている仕事は全部持って行っていいから」と快く送り出してくれました。
「形がない」ところが会社の強みになっている。
御社が手がけてきたビジネスについて教えてください。
ちょうど独立するタイミングで東海地区のボートレース関連のアナウンサーを取りまとめて組織化する話が出たため、アンドアイを立ち上げました。私としては法人化することは全く考えていなかったのですが、お世話になった業界のためにやってみることにしました。私は人生のほとんどは運でできていると考えていて、その運を拾った形となります。
アンドアイを立ち上げて今年で14年目。当初はボートレース場でのアナウンスやリポートの仕事だけだったのですが、次第にディレクターの補助まで行うようになり、制作の補助を行うようになり、いつしか制作一式を行うようになりました。さらにイベントの広告代理業務や映像制作、ホームページの制作や出版・デザインまでを行なっています。すべてが自分からではなく、目の前にやってきた状況をつかんだという感覚でビジネスが広がっていきました。
会社名「アンドアイ」の由来も教えてください。
社名には「◯◯と愛情」という意味を持たせています。◯◯の部分には「私」「社会」「ボートレース」など何が入ってもよく、何事にも愛情を持って仕事を進めていくという想いが込められています。
御社の強みを教えていただけますか?
当社の強みは「形がない」ところだと考えています。ボートレースのアナウンスからスタートした当社ですが、現在はさまざまな事業を展開しています。また、当社のスタッフはアナウンサーであってもディレクター業務も行いますし、レース場の横断幕の張り替えやイベントの片付けも行います。スタッフには「プライドは持つな。もし持つとしても、人の役にたつというプライドだけを持ちなさい。」と指導しています。
また、代表である私が「あえて意思決定をしない」という点も強みになっていると思います。私が理想としているのは、生物学者の福岡伸一さんが言っているような「動的平衡」な組織。固定はされていないけれど、なんとなくまとまりがある組織です。その考え方で成功を収めたのがサッカー元日本代表監督の岡田さんです。プロ野球のようにプレーヤー全員がベンチからの指示を仰ぐのではなく、瞬間瞬間でフィールドにいる選手が互いに反応し、連動することを掲げました。当社も意思決定を各プレーヤーに委ねていることで、強い組織となっているのだと思っています。
失敗は、何度してもいい。それでもできなければ、仕事を変えればいい。
荻野社長が仕事で心がけていることを教えてください。
さきほどの「意思決定をしない」という点にもつながっているのですが、スタッフに仕事を任せることでどんどん失敗してもらうことを心がけています。よく「一度した失敗は二度とするな!」と指導する方がいると思うのですが、それはどうかと考えます。子どもを見ていると、繰り返し繰り返しの失敗をして、やっとできるようになっていきます。大人もきっと同じはずです。失敗に対する過度なプレッシャーを与える人には、「そう言うあなたは子どもの頃どうだったの?」と問いたくなります。スタッフが失敗を繰り返し、それでもできないのであれば仕事の内容を変えればいいだけだと私は考えます。
御社の今後の展望についてお聞かせください。
私の中には「今後の計画」というのはありません。目標と計画を細かく立ててしまうとその目標にまっすぐ進んでしまうので“寄り道”ができないからです。寄り道ができないと、事業は硬直化してしまいます。時代が変わって「こっちのほうがいい!」となっても自由に行けなくなってしまうため、そのような経営はしていません。
ただ、当社のように動画やイベントをはじめとしたあらゆるコンテンツをスムーズに生み出せる会社は東海地区にはないと思っているので、この地域で信頼して任せてもらえる会社にしていきたいと思っています。
最後に、世のクリエイターにアドバイスをお願いします。
アナウンサーの世界にからめてお話しすると、アナウンサーには「個性を押し出すタイプ」と「個性は出さず、世の求めに応じるタイプ」の2つに分かれます。一般的にどちらが面白がられるかというと、それは個性を押し出すタイプです。
しかし、個性を押し出すタイプになるのは比較的簡単で、逆に世の中が求める「ど真ん中」の1点に向かって投げ込むのは、実は極めて難しい作業です。さらに、その「ど真ん中」は時代背景によっても競技によっても変わります。
私が言いたいのは、主義主張や個性を押し出すことに否定はしないけれど、その前にマーケットのど真ん中を見つけ、そこに投げ込む作業を必ずしてほしいということです。汗をかいて、苦しんで、懸命に投げ込む時代を過ごしてから、自分の個性を押し出すクリエイターになってください!
取材日:2018年12月11日
株式会社アンドアイ
- 代表者名:代表 荻野 滋夫
- 設立年月:2005年8月
- 資本金:300万円
- 事業内容:テレビ・ラジオ・イベント等のナレーション、司会、アナウンス業務/タレント・司会者等の人材育成のための教育、カウンセリング及びマネージメント業/タレント・司会者等の斡旋、仲介/雑誌・書籍の企画、編集、制作、出版業務/インターネットにおけるホームページの企画、立案、制作、運営、管理、及びコンサルタント業/その他
- 所在地:〒440-0885 愛知県豊橋市中柴町12番地
- 電話:0532-33-1430
- URL:http://www.and-ai.jp
- お問い合わせ先:上記ホームページお問い合わせフォームよりご連絡ください。