人に求められること、喜ばれることをカタチにしたい

仙台
株式会社 Gazi工房
Kazunori Hara
原 一宣。

山形県東置賜郡川西町の、のどかな田園風景に建つ家屋が、Gazi工房の事務所。代表取締役の原 一宣。 (はら かずのり)さんは、会社員、町工場の代表を経てWebデザイナーに転身。Web制作会社を設立。東日本大震災を機に故郷の福島市から川西町に家族・スタッフと共に移住しました。
問いかけに対するエピソード一つひとつが面白く、人を惹きつける不思議な魅力を持つがじさんこと原社長に、これまでの道のりと仕事への思いなどを伺いました。

「君は面白いから仕事を発注しよう」と言われてWebデザイナーに

がじさんが、Web制作を仕事にするようになったきっかけを教えてください。

大学卒業後、食品会社の会社員として就職しました。やりがいを感じて働いていましたが、ある時父親から仕事への思い、将来の展望を聞き、家業である町工場で働くことを決めました。しかし、父の会社に入社し半年も経たないうちに父が病気で他界してしまい、やむなく会社を継ぐことになりました。そして経営状況を知ることとなり、その現実に愕然としました。さらに不景気に拍車がかかり必死で仕事を確保しましたが、仕事をやればやるほど赤字になり、やむをえず工場を閉鎖しました。

その時は29歳。子どもが生まれて間もないのに1億円以上の借金を抱えることになりました。それまでの趣味はプロレスとインターネットで、プロレスのホームページを自己流で作っていました。無職となり自身の将来を考えていた私に、ネット上のプロレスコミュニティで知り合ったWebデザイナーが、「ホームページを作る仕事をしてみないか?」と声をかけてくれました。その時期、相続した借金未払いによる裁判に出廷するために上京することがあり、閉廷後に友人が勤める制作会社を訪ねました。そこで、借金や裁判のことなどを話していると、話を聞いていた部長さんが「君は面白いね。仕事をしてみない?」と言われまして、それがWeb業界でのスタートでした。

Webデザイナーになって徐々に仕事を増やしたわけですね。

そもそも、Webの知識がないので、お金をいただくレベルのものを作る自信は当然ありませんでした。前述の友人に教わったり調べたりしながら、必死で何とかしようとしていました。最初の仕事はバナーの制作で、対価として2万円をいただけたのがやたら嬉しかったのを覚えています。

その会社から仕事をいただきながら、地元の広告代理店や印刷会社さんからの仕事も徐々に受けるようになりました。当時、福島にはWeb制作会社が少なかったので、「ホームページを作る時は、声をかけてください」とお願いしてまわり、数社から直接仕事を依頼されたりもするようになりました。Webサイトの制作を入口にチラシやロゴの制作、看板制作など頼まれるものは何でもやっていましたね。

縁とは不思議なもの。出会いに恵まれて起業し事業を拡大

2007年にGazi工房を立ち上げたきっかけは。

当時は個人事業主で、様々な職種が集まっているシェアオフィスに籍を置いていました。そこに、広告代理店の新入社員として勤務していたのが、現スタッフの赤井です。その後、紆余曲折がありそのオフィスは解散し、赤井はフリーランスになることを選びました。

信用の問題で、個人事業主での活動に限界を感じ法人化をしました。その後、フリーランスでの活動に悩んでいた赤井の相談を受け、スタッフとして迎え入れました。それから12年。おかげさまで、悩みながらも制作活動を続けることができています。

Jimdo Expert(ジンドゥエキスパート)の仕事を始めたきっかけは?

法人化当初、独学のみでの制作への疑問と、最新の情報を積極的に取り入れる必要性を感じていました。また、同じWeb制作者同士のつながりを求めて、「CSS Nite(シーエスエス ナイト)」というWeb制作者が集まる勉強会に参加。ほどなくして福島県の実行委員になりました。その縁もあり、あるセミナーで、KDDIウェブコミュニケーションズの部長さんと名刺交換をする機会に恵まれました。東日本大震災が起きた際「大丈夫?」とすぐに連絡をくれたのが、その方でした。仕事が止まっていることを心配して「大変な時だけど、一緒に仕事をしませんか?」とありがたいお誘いがあり、それがJimdoに触れるきっかけでした。あの当時、多くの人が福島を避ける風潮があったにも関わらず、わざわざお越しいただき、仕事をご依頼いただいたこと、福島でセミナーを無料開催することで支援してくれたことは、今でも感謝しています。

Jimdoは誰でも簡単にホームページが作れるWebサービスです。当時は同業者に「このようなサービスがあると、仕事が奪われる」などと言われましたが、自分はそうは思いませんでした。逆に、今までホームページを持ちたくても持てなかった方々が、ホームページを持つ・触れる機会として広がることに可能性を感じていました。

Jimdoによる制作のプロとして認められ、KDDIウェブコミュニケーションズに Jimdo Expertとして認定をいただきました。Jimdoのおかげで多くを学び、当時感じた可能性が間違いではなかったと、様々の人と関わることで確認することができました。今では、弊社にとって無くてはならないサービスのひとつです。

震災が転機になったわけですね。山形に移住されたのも、震災後ですね。

震災当時、ありがたいことに多くの方から避難先としてのお誘いがありました。なかでも「子育てをするのには、良い所なので住んでみたら」と一番熱心に誘ってくれたのが、お客様でもある山形県東置賜郡川西町の特定非営利活動法人きらりよしじまネットワークの方々でした。

そもそも賃貸物件が少ない高齢・過疎の町に移住し、これまでと勝手が違い大変でしたが、このような地方でこそWebが必要であり、都市部でなくてもWeb制作会社として活動していけるのか試してみたい気持ちが強くありました。多くの方々の協力もあり、実現できています。現在は、インターネット上でのやりとりで仕事を進めることは可能ですが、お客さんのご要望があれば直接お伺いすることを心がけています。

他者の利益は自身の利益。「自利利他」の理念

がじさんの仕事のモットーは。

まず、お客様のお話をよく伺うようにしています。ホームページの制作をご依頼いただいても、ご相談内容によっては、制作を無理には勧めません。
「自利利他」という考えが根本にあり、他者の利益がめぐりめぐって最終的に自身の利益に繋がると思っています。Webデザインは求められる内容や技術が日々進化しています。インターネットの先には必ず見てくれる人がいる。このことを忘れずにお客様、ユーザーの利益を考え、喜ばれるWebサイトを提案できるように心懸けています。

今はセミナーのお仕事もされていますね。

小・中学校などで保護者や生徒を対象にSNSやネットについての講演や、商工会など各種団体による事業者向けのIT活用セミナーなど、依頼に応じて行なっています。最近は、スマートフォンが広く行き渡った影響もあり、学校でお話をする機会が増えています。

インターネットやSNSは道具であり、道具に振り回されることなく、モラルを持った使い方を知って、上手に活用してほしいと思っています。

人との出会いで成長し、人に生かされて今がある

仕事をしていてうれしいこと、やりがいはなんですか。

現在はありがたいことにお客様からの直接のご依頼が増えています。様々な業種の方と出会い、日々新しい世界を知ることができ楽しいです。多くの人との出会いから得るものが大きく、自身も会社も成長できることが喜びです。

ホームページを活用いただき、お客様の望む成果が出た時には、特にやりがいを感じます。

会社を立ち上げて10年以上になりますが、今後会社でやりたいことは。

私もスタッフの赤井も人に喜ばれることが好きで、自分たちが何をやりたいかと言うより、お客様が求めていることを表現し、成果を出すことが重要と考えているので、驕ること無く、人に喜ばれることをやっていきたいですね。今はWeb制作をメインに取り組んでいますが、もともとWebに固執するつもりはありません。

今後のことはまだわかりませんが、求められれば形を変え、求められるモノを作っていきたいです。

仕事を離れた個人としての夢、目標はありますか。

これまでの経験から、人に生かされていると思うようになりました。これといった大きな目標はありませんが、これからも人との出会いを大切にし、今の生活を楽しんで行きたいです。

取材日:2019年4月25日 ライター:佐藤 由紀子

株式会社Gazi工房

  • 代表者名:代表取締役:原 一宣。
  • 設立年月:2007年1月
  • 事業内容:Webサイト(ホームページ)制作、ITコンサルティング、印刷物デザイン・印刷、セミナー講師・講演
  • 所在地:〒999-0211 山形県東置賜郡川西町洲島572-8
  • URL:http://gazikobo.co.jp/
  • お問い合わせ先:0238-54-3075

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