幅広いジャンルの音楽を作れる強みを活かし、CMからゲーム、アニメ音楽まで手がける制作会社
沖縄に住んでいれば一度は耳にしたことのあるようなテレビのCMソングや、大手スーパーマーケットで流れるキャッチーな歌。或いは人気ゲームやアニメのノリのいい音楽や、荘厳なオーケストラ音楽まで。多岐に渡る音楽を手がけている会社が、株式会社リサレコです。代表取締役兼作曲家の来兎(らいと)さんと、来兎さんの奥様でありマネージャーであるめろこ。さんは、「常に楽しみながら仕事をする」をモットーに、音楽制作からイベントプロデュース、時にアーティストマネンジメントまで、幅広く活動しています。その原動力の源を探るべく、お話を伺いました。
ゲーム音楽からスタートした作曲活動
会社設立以前のご経歴を教えていただけますか?
音楽を始めたきっかけは、ゲーム音楽です。ゲーム音楽に魅了されていて、中学生になるとパソコンを使って自分でも作るようになっていました。高校生の頃にはゲーム会社に就職したいと思うようになり、「ナムコ(現、バンダイナムコエンターテインメント)」に入ることが夢になりました。しかし、作曲は完全に独学で自分の実力を試す機会がなく、自信を持てずにいました。その後、ポリテクカレッジ(沖縄職業能力開発大学校)の電子工学科に進学したもののゲームで遊んでばかりいて、依然作曲の自信を持てずに就職活動時期を迎えます。結局、そんな気持ちでいたのでナムコに履歴書すら送らず、沖縄のパソコン教室でインストラクターを始めました。
一方、その頃から友達と一緒にゲームを作るようになり、販売を始めます。そのゲーム販売を通して、東京で自分たちと同じように独自にゲーム制作をしている人たちと知り合い、交流を続けるうちに、ゲーム音楽担当として彼らの活動にも参加するようになりました
沖縄にいながら、東京のグループと交流されていたのですか?
そうです。しばらく彼らとネットを通じてやり取りしていましたが、2001年に東京へ移住し、彼らとともに本格的に活動を始めました。数年間彼らと一緒に仕事をした後にフリーランスになり、ゲームだけでなくアニメの曲なども手がけるようになりました。そして2009年に沖縄に戻り、リサレコを設立しました。
なぜ沖縄に帰ってこられたのですか?
結婚したこともあり、親孝行したいと漠然と思ったことと、東京での生活に飽きたことですね。実は沖縄にいる頃は、言葉遣いや地元の人間の気質が合わず、沖縄が嫌いでした。しかし離れて生活してみると、沖縄の良い部分も見えてくるものです。
沖縄のどんなところが良いと感じたのですか?
何といっても暖かいことです(笑)。私の仕事はネットなどの環境さえ整えば、どこででもできます。沖縄に住みながら東京の仕事は引き続きできますし、むしろ沖縄で新しく仕事を探すもりは全くありませんでした。
なぜ沖縄の仕事をするつもりはなかったのですか?
東京に行く前、沖縄で音楽の仕事をしようかと考えたこともありました。しかし知人から、CMなどの仕事は決まった会社が独占しているので参入する余地はないと言われ、断念しました。だから沖縄の仕事はあてにしていませんでしたが、実は意外とあったのです。
幅広いジャンルの音楽を作れる強みを生かし、多くの取引先を開拓
「意外と沖縄に仕事があった」ということですが、どういうことでしょう?
お話ししたように、私のキャリアはゲーム音楽から始まっています。ゲーム音楽というのは、テクノっぽいものもあればオーケストラもあるし、アイドル音楽のようなものもある。子供の頃から、それらを網羅的に聞いて学び、作ってきましたので、どんなジャンルの音楽でも作れるようになっていたのです。幅広い要望に対応できる点が強みとなり、広告代理店や企業から重宝されるようになりました。沖縄にもミュージシャンは数多くいるのですが、作れる曲のジャンルに一人一人偏りがあるようで、広告代理店や企業の要望に応じられない場合も多いそうです。
沖縄で知り合った方の紹介で代理店とお仕事するようになり、それをきっかけに他の代理店からも依頼が来るようになりました。今では沖縄の仕事もかなり増え、ゲームやアニメの音楽は東京からですが、CM音楽は沖縄からの依頼がほとんどです。
他にも、御社の強みはありますか?
音楽を販促ツールとして捉え、制作できることです。アーティストが音楽を作る場合は、自分のエゴで作りますよね。しかし私の場合は、CMでもゲーム音楽でも、その商品を売るために音楽を作ります。つまり、多くの人の感性とリンクする音楽を作る必要がありますので、マスの視点を大事にしています。そこがアーティストとの大きな違いであり、職業音楽家としての私の強みだと思います。
自分の好きなように作りたいと思うことはありませんか?
自分が作りたいものを作る、ということと、商品が売れる音楽を作ることは、両立できると思っています。自分が納得できるクオリティーの作品を作った方が、結果的に商品が売れ、CMソングとしての耐久性が高くなると、実感しています。
耐久性とは、具体的にどのようなことでしょう?
10年前に作ったCMソングが、今でも使われているということだと思います。多くの人が覚えていてくれて、口ずさめるようなCMソングです。実際、2009年に手がけた自動車税のCMソングは今でも流れていますし、サンエー(沖縄の大手スーパーマーケット)のかりゆしウェアCMも長く使われています。自分がこだわって作り上げられたものは、視聴者の反応がいいようです。
ゲームやアニメ、CM音楽制作以外に、イベントプロデュースも担っているとHPにありました。どのようなことを行っているのか、教えていただけますか?
ゲーム音楽では主題歌を作る仕事が多かったので、沖縄で専門学校等を通してボーカルを見つけました。しかし、主題歌収録の日だけ歌っても歌は上達しません。そのボーカルの子を育てる場所が必要だと感じ、アニメのクラブイベントを定期的に開催し始めました。
ちょうど地下アイドルやローカルアイドルブームの時期だったこともあり、徐々に応援してくれる人も増えてきました。そこからイベント運営の仕事の依頼も来るようになってきて、5、6年前には「沖縄国際映画祭」の中のアイドルイベント運営を請け負ったこともあります。
もともとイベント運営のノウハウをお持ちだったのですか?
いいえ(笑)。実は私自身が東京で声優事務所に所属していたことがあり、ライブに出演する側でしたので、なんとかイベントを回せていたのだと思います。
音楽という娯楽を作るには、作り手も楽しむ必要がある
仕事をする上で心がけていることはありますか?
来兎さん:
どんな仕事にも楽しみを見出すことです。弊社が作るアニメやゲーム音楽は娯楽の一種。娯楽を作る人間が楽しんで仕事をしていないと、人々を楽しませるものを作り出せないと思っています。面白さを見出せる嗅覚を持って仕事に望んだり、面白いと感じることへは自ら首をつっこんだりするようにしています。
御社の今後のビジョンや目標などあれば、教えてください。
そうです。特にゲーム音楽の需要はあると思っています。実は既にアメリカのゲームの仕事に少し携わっています。私がかつて東京にいた頃の仲間とは今でも一緒にゲーム制作をしていまして、その作品の一つが昨年、ラスベガスで行われる世界一大きな格闘ゲームの大会「EVO(エボ)」の正式種目の一つに選ばれました。このゲームを作ったのはかなり前ですが、昨年PC版を作ったことで急速に人気が高まったようです。他の正式種目はストリートファイターなどのメジャーなゲームばかりなので、大会ファンの間でちょっとしたニュースになりました。
言葉のやり取りが少ないアクションゲームであれば、日本で作っても世界に通用する可能性が十分あります。面白いゲームと音楽を作っていれば、ヒット作品を生み出せると感じています。
最後に、音楽制作を職業にしたいと考えている方へ、アドバイスをお願いします。
私が音楽制作を始めた頃はパソコンもネットも普及していませんでしたので、発表する場がありませんでした。しかし今はYouTubeなどがあるので、どんどん発表していけばいいと思います。ある日いきなりバズる可能性も十分あります。その反面、批判にさらされやすいリスクもありますので、批判を受けても落ち込まないメンタルを持つことも大事だと思います。
批判にめげず、とにかく作り続けて世に出していくことに意味があると思います。
私もなんとか作り続けてきた結果、かつて憧れていたナムコの音楽を担当していた方と知り合えて、仕事の依頼をいただけるようになりました。続けるうちに自分の作る音楽を認めてくれる人が増えてきたら、どこからか声がかかる可能性は高まると思いますよ。
取材日:2019年5月9日 ライター:仲濱 淳
株式会社リサレコ
- 代表者名:代表取締役 久場 超(来兎)
- 設立年月:2010年3月
- 資本金:1,000,000円
- 事業内容:ゲーム・アニメ・CMなどの音楽制作、動画制作・イベント企画・運営・アーティストマネジメント・コンサルティング
- 所在地:〒900-0015 沖縄県那覇市久茂地1-4-8 第二新垣ビル4F
- URL:https://lisa-rec.net/
- お問い合わせ先:098-943-6116