「きらめきと、ひらめきを。」 デザインの力で人々を豊かに、幸せに。
仙台駅から東へ4kmに位置する卸町の中心にあるシェアオフィスTRUNK-Creative Office Sharing-。ここで合同会社スカイスターは第一歩を踏み出しました。スカイスターは伊藤 典博(いとう のりひろ)氏と安保 満香(あんぼ みちか)氏の二人で創業され、コピーライター、イラストレーターの2名のクリエイティブパートナーとともに仙台、東北圏を中心にデザインワークを展開しています。ホームページで紹介される数々の仕事には、伊藤氏と安保氏とのコンビネーションが生み出す妙が見えてきます。直接クライアントの声に耳を傾け、コンセプトワークを大切にするお二人にお話を伺いました。
信頼関係の成立が会社立ち上げにつながる
お二人が会社を立ち上げるまでのキャリアについてお聞かせください。
伊藤氏:私は静岡県三島市出身で、日本大学芸術学部への進学を機に東京に行きました。大学時代に大手芸能会社や舞台関係の外部ブレーンとしてデザイナーの仕事をスタートしました。大学院を修了した時点で、デザイン制作だけではなく、テレビやラジオ、イベントなどトータルプロモーションの中でデザインに関わりたかったので広告代理店へ就職しました。
広告代理店では、クリエイティブディレクターやアートディレクター、プランナー、コピーライターなどクリエイティブスタッフの中でデザイナーとして勤務しました。転勤で静岡、首都圏担当を経て、東北支社がある仙台に異動してきました。2月に着任したこともあり東北らしい寒いところだなという印象でした。スタットレスタイヤのTVコマーシャルを初めて観たり、言葉のイントネーションに戸惑ったり…。
私は岩手県八幡平市出身で岩手大学教育学部を卒業したのですが、幼いころからデザイン関係が好きだったこともあって、そこから方向転換して札幌のデザイン専門学校に入り直して、札幌で印刷会社・デザイン会社に就職しました。10年ほど経ったころ、父親の体調の関係から実家に少しでも近い仙台へと移り、デザイン会社で働くことにしました。
お二人が一緒に会社を立ち上げたきっかけは?
伊藤が広告代理店に勤めていたときに、私は外部のデザイナーとして一緒に仕事をしたことがきっかけでした。伊藤とは2年くらい一緒に交通広告の仕事を行っていました。そこで東北大震災に遭遇したのですが、会社の中も大きな被害を受けてしまいました。この時、広告業界は全て仕事がストップしたものも多くあり、3カ月ほど経ったころから徐々に仕事が戻ってくるといった状況でした。ここで直接これがきっかけではありませんでしたが、私自身はいったん会社を退職しました。
震災後はUターンや起業された方が多かったと聞いていますが、仕事や家族、自分がやるべきことや、ふるさとについて考えたり、みんながいったん立ち止まって考えなおしたこともあった時期だったと思います。自分も30歳を過ぎて、タイミング的に独立やこれからを考える年回りだったことも大きかったです。そして安保さんがフリーになるということを聞いたので、一緒にやりませんか?と声をかけました。彼女とは2年以上にわたり、継続してプロジェクトを組んで動いていたことから、気心が知れていましたし、何より信頼関係がありました。
私自身も多数の方と一緒に仕事をしたなかで、伊藤は指示が的確でとても仕事が進めやすい相手だと思っていました。でもオファーをいただいた時には、業種を変えようかなと悩んだ時期でもありましたが、一緒にやろうと決心しました。結果的に会社という形態がよいのではないか?ということになり、具体的にどのように進めていくのかということは、少し時間をかけて相談しました。
卸町は街中から離れていますが、この場所をオフィスに選ばれた理由は?
仙台市が2009年より卸町をクリエイティブ産業の促進対象地区として指定しているエリアだということと、オフィスが入る卸町会館は郵便局や医療機関などが入る信頼性、それから地域に親しまれている卸町公園に隣接している点が決め手でした。独立当時はシェアオフィスも少なく、卸町は少し街中から離れていますが、クリエイター、アーティスト、研究者の方を対象としたシェアオフィスであることも環境として良いなと思えました。
あ・うんの呼吸の役割分担
お二人の役割分担についてお聞かせください。
個々で完結させられる案件はそれぞれが行いながら、スカイスターとして引き受ける仕事については軸となる部分の企画やコンセプトをまとめたり、ビジュアルのトーンを決めるデザインコントロールは伊藤が行い、細かな手配関係を進めるのは主にわたしが行っています。
打合せも二人で伺うことが多いのですが、お互いの観点が違うので、それぞれの捉え方や役割りを共有して、より幅を広げて責任も持って企画を進められるというのが、私たちのスタイルです。わたしが案件を受けてきたときも、まず安保に自分の考えを話してみて、具体的な実施ベースでデザインがイメージできたら「よし、進めよう」と判断します。彼女は俯瞰した視点で意見してくれるので、自分の角度とは違ったアイディアはとても重要だと思っています。
ホームページに掲載されているコンセプトワークが印象的ですね。
伊藤氏:最終的な成果物だけを掲載するだけではなく、可能な範囲で実際のデザイン資料、プロセスから掲載しようと思い、安保と相談して現在のホームページのスタイルにしました。視覚的に表現するまでのプロセスでクライアントの魅力や価値をいかに引き出せるかが重要で、スカイスターらしさの源だと思っております。
それぞれ印象に残る仕事についてご紹介ください。
仙台市による「とうほくあきんどでざいん塾」という、地元の中小企業とクリエイターをマッチングして、新しい商品やサービスを創り出すという事業があり、そこで有限会社大永商店さんという老舗の納豆屋を紹介いただきました。復興へ向けた環境下で伝統食の新しい商品づくりの企画開発から参加しネーミング、包装仕様、ビジュアルデザインに関わりました。
株式会社 武田染工場さんは老舗染物屋のオリジナルブランドの立ち上げに伴う、 ブランドロゴ開発、コンセプトブック、オリジナル手ぬぐいなどのデザインを行いました。職人の方の仕事に向かう真摯な姿や、歴史の重みなどを伝えられるように、印刷の質感にもこだわるなど、魅力を引き出し表現することに注力しました。おかげさまで地元仙台のほか、都内にも販路が拡大しています。
デザインの力で社会的課題にチャレンジしたい
今後はどのような仕事に力を注ぎたいとお考えでしょうか?
わたしから安保に一緒に動いてくれないかと持ち掛けたのですが、「インクルーシブデザイン(イギリスで始まった、市民団体やNPOらと積極的に協創的関係を築き、高齢者、障がい者、外国人など、従来、デザインプロセスから除外されてきた多様な人々を、デザインプロセスの上流から巻き込むデザイン手法)」に着目しています。
NPO法人エイブル・アート・ジャパンが主催し、仙台市も協働しているSHIRO Lab.というプロジェクトがあり、スカイスターでエントリーしました。それは仙台市で暮らす障害のある方と地元デザイナーが一緒に商品開発を行うプロジェクトで、福祉施設多夢多夢舎の方が描いたイラストを、私たちがデザインして、先述した武田染工場で製品化し、てぬぐいやガーゼマフラーなどを商品化するというものでした。
2016年に初めて参加したときのテーマは仙台市八木山動物公園のおみやげ品開発を目的としたものでした。障害のある人とデザイナーがチームを組み、2日間で集中的にアイデア出しからデザイン提案まで行い、選考を経て採択されたチームの作品が商品化されるというものです。2017年は東北楽天ゴールデンイーグルスが協力し、応援グッズとして商品化して球場内で販売するなど、活動も広がっています。
東北でのインクルーシブデザインの活動や実績はまだ浅く、これからのフィールドのようですが、私たちはインクルーシブデザインを通じてデザインの力は単なるデザインの形成を超えて、多様性を受け入れ、誰もが生きやすい社会づくりを後押しできると知ることができました。これからも枠に縛られることなく、新たなことにチャレンジしていきたいです。
取材日:2019年5月27日 ライター:桐生 由規
合同会社スカイスター SkyStars.LLC
- 代表者名:代表デザイナー 伊藤 典博
- 設立年月:2012年
- 事業内容:広告/ロゴデザイン/イラストレーション/パッケージデザイン/サイン/インクルーシブデザイン等、ヴィジュアルコミュニケーションに関わるデザインの企画・制作。
- 所在地:〒984-0015 宮城県仙台市若林区卸町2-15-2 卸町会館 5F TRUNK #20
- URL:https://www.skystars.jp/
- お問い合わせ先:hello@skystars.jp