印刷技術で培った実績で新たなコンテンツを生み出し、 京都の奥深さを多角的に発信
古きものと新しきものが交差しながら進化を続ける街、京都。この街でおよそ半世紀前、今の若いクリエイターはおそらく知らないであろう「写植」という組版(文字レイアウト)業から起業したサンケイデザイン株式会社。創業者である父親から平成26年に家業を引き継いだ吉川忠男氏は印刷市場が縮小する中でもこれまで蓄積してきたコンテンツやノウハウを強みに事業領域を広めている。祇園祭へのご奉仕や京都におけるさまざまな地域活動に精力的取り組む氏は、1年前に京都の奥深い魅力が満載のWebサイト「Kyoto Love Kyoto」も立ち上げた。どこまでも京都の企業であることにこだわり続ける吉川忠男社長に京都への思い、今後の展望などについてお話を伺いました。
新たな道を模索し続ける日々
社長になられるまでの経緯を教えてください。
1971年に父が写植業を自宅で創業しました。ハガキ位の大きさのガラスの「文字盤」に3ミリ角くらいの大きで何百文字もの漢字が刻まれています。その文字盤が何十枚も敷き詰められた畳サイズのプレート。オペレーターはそこからレンズを通して文字を「拾っていく」のです。拾った文字は印画紙に焼き付けられて文字組の印刷原稿となります。さらに昔のハンコのように活字を1文字づつ手で拾って印刷原版を作った「活版印刷」と、現代のワープロとの間の組版技術でした。写植は1字1字が印画紙に刻字されるごとにガッチャン、ガッチャンという音がして、父は遅くまで仕事をしていたのでなかなか寝つけなかった覚えがあります。
私は大学を卒業して東京で大手印刷会社に勤めました。印刷といっても紙の印刷はやらせてもらえなくて、産業資材と言われる電化製品や建材などの表面装飾をするフィルム転写印刷の海外取引部門でした。考えてみれば企業規模が違うとはいえ同業の倅を印刷部門には配属しませんよね(笑)。1年ほどで退社しましたが組織の基本を学べたこと、師と仰ぐ上司に恵まれたこと、また30年前のインターネットの「イ」の字も聞かなかった頃に、事業の主軸を紙の印刷から、その技術を転用した高付加価値部門にシフトしつつあった企業としての強さを見ました。
大手印刷会社を退社されてどうされたのですか?
実は私は安定志向で、大学を出るころは一生サラリーマンでもいいなと考えていました。しかし自分の中にあった家業への思いが東京で違う仕事をしている間にニョキニョキと芽をだしてきました。それで京都に戻ってきて地元の広告代理店に勤めました。ここでも素晴らしい上司に巡り合えたこと、また「人は楽しいところに集まる」という人間の行動原理を広告やイベントの仕事を通して学びました。このフィロソフィーは社長になった今も組織運営や事業展開でいつも頭においていることです。
御社には社長として戻ってこられたのですか?
いえ。父から「最初の会社を1年で辞めて迷惑をかけたんだから、次の会社では一番の成績を上げて恩返ししてから帰ってこい!」と言われていました。一応その約束を果たして円満退社ののちにサンケイデザインに入社しました。携帯電話やWindowsが普及しだしたインターネットの黎明期のことでした。インターネットが本格的に普及したら紙のメディアはどうなるのだろうか・・・そんな漠然とした不安を抱えながらも、紙の印刷の仕事にまい進していたのを覚えています。
その後どうされましたか?
多くの創業者は逞しくまた頑固です。世の印刷市場があきらかに縮小し始めても父は大きく舵を切ることはせず、また私も面と向かってそれに異を唱えることはできませんでした。サンケイデザインでも胸を張れるだけの営業成績を上げていたものの、自分自身や会社に何かしらのインプットをしていかないと次の時代は乗り切れないことを痛感していました。そんな折にご縁があって京都商工会議所の青年部という会に入らせていただきました。ここでさまざまな異業種の青年経済人との交流をすることができました。また青年部でお役をいただいたことで、仕事では決してお会いできないような京都の錚々たる方々にたくさんお会いすることができました。
地域貢献活動で見えた、京都人の美しさ
京都をより深く知るきっかけになったのですね。
京都市などの諮問機関(※1)の委員にも加えていただき、真剣に京都のことを考え、行動を起こしている市民や事業者とたくさん出会いました。また市民とともに汗をかく役所の方々の姿を目の当たりにしました。その姿に触発されて地域活動にますます興味を持ちました。若い頃から続けてきた八坂神社・祇園祭へのご奉仕に加えて、会社が所在する北大路界隈の活性化を目的とした北大路テラスネットワークの立ち上げや、コミュニティラジオの役員など仕事と同じくらいに地域活動に情熱を注ぐようになりました。
※1学識経験者などが審議・調査を行い、意見を答申する機関
祇園祭にも参加されているのですね。
参加というよりご奉仕ですね。雅な山鉾巡行とは雰囲気が全く異なり、勇ましい男たちによる神輿渡御がありこちらが祇園祭の神事の中心です。先代が神輿会の会長をしていたこともあり私も、そして社員も八坂さん(祇園祭)にご奉仕してきました。京都のためにちゃんと汗をかいている企業か、格子(※2)の陰からそうろと(※3)見ているのが京都人の怖いところです。ま、神輿は楽しんでやらせてもらってるのも本音ですが(笑)。
※2格子=京町家にある木枠の格子状の窓や引き戸の総称
※3そうろと=京ことばで「静かに」の意
京都にある印刷会社から京都の印刷会社へ
地域活動に深くかかわったことで、事業にも変化があったのでしょうか?
「メディア」にかかわるビジネスはインターネットやスマホやSNSの普及で一変しましたが、当社はメディア×地域にとことんこだわってそこに活路を見い出しつつあります。いま1+3で4つの事業を動かしています。まず+3について。1つめはCMSDというWeb制作とアクセス解析をセットメニューにしてお客様と一緒に効果が出るまでトライ&エラーを繰り返すサービスです。一般的なWeb制作と違ってお客様の会社に足を運ぶ回数も時間も多くて営業効率はよくはないですが、その分お客様との信頼関係は強いものになります。これは地域企業として京都を愛し地域特化をしないとできない事業です。
2つめの事業について教えてください。
「きょうとプリント」という印刷通販事業です。テレビCMで有名なP社より価格は高いですが今伸びてきています。印刷物という1点1点がオーダーメイドの仕事を顔も見えない関係で発注するのは怖いというお客様や、どうせ発注するなら同じ京都の会社にというお客様が少なからずおられます。地元のお客様に特化したサービスもあり「京都 印刷」というキーワードでググっていただくと母屋のサンケイデザインよりはるか上位で検索されるまでになりました。
3つめの事業について教えてください。
天経香(てんきょうこう)という文字入りのお線香です。16本のお線香1本1本に文字が刻印されています。宗派ごとにバリエーションがあるのですが262文字の般若心経が刻まれたバージョンは芸術品的な美しさがあると思います。先代が考案した商品なのですが写植時代の文字組の美しさへのこだわり、祈りの心を煙に昇華させて託す、これもサンケイデザイン流のメディアだと思っています。ところがこれが京都ではそれほど売れない(笑)。印刷会社が作った線香にはありがたみが薄いのか他県からのご用命が圧倒的に多いです。京都での商売の難しいところです。
悠久の京都をオウンドメディアで発信
御社でも自社サイトを立ち上げられているそうですが。
そうです。4つめの事業になりますが「Kyoto love .kyoto ~ 伝えたい京都、知りたい京都。」(KLK) というWebサイトを1年前の2018年11月に立ち上げました。京都人もよく知らない京都のことを、京都をこよなく愛する方々にボランティアで執筆していただいています。この1年間で50人以上に執筆者は増え、100本以上の記事を掲載してきました。観光的視点にとらわれず京都の美意識など他県の方より京都の方々にもっと知ってほしい、語り継いでほしい深遠な話が満載です。
「Kyoto love .kyoto」をはじめるキッカケは何ですか?
祇園祭のご奉仕の話をしましたが祇園祭を山鉾のパレードのように思っている方が京都でもまだまだ多く、祭の本義を知る人が少ない。同じようなことが京都のほかの祭りや伝統産業や生活風習などいたるところにある。これを正しく次代に継承して同時に経済も回る仕組みを構築しなければ京都の未来はないと感じています。京都の粋に関心をもつ国の内外の方もそうですが、むしろ京都の人にこそもっと京都をよく知ってほしいと思っています。
京都の人向けの情報もあるのでしょうか?
京都には上京と下京という昔からの街(行政区)があります。例えるなら大阪の梅田と難波、東京なら千代田区と中央区のようなカラーの違いがあります。そこで両区長と住民代表に登場してもらってホンネでお互いの街の印象や自分の街の自慢をしてもらうラジオ番組を制作・放送しました。公家の上京VS商人の下京といったところでしょうか。その様子をKLKのサイトでも紹介しています。これは京都に限らずですが自分が住んでいる街をもっとよく知ることはとても大切なことだと思っています。そして大人から子どもに街の良さを伝えていくこともです。
まさに、御社の京都愛があふれるサイトですね。
このサイトの面白いところは掲載から何か月経った記事でもアクセスが途絶えることがないというところです。掲載して1週間目で数百アクセスだった記事が半年後に何千アクセスになっている記事がいくつもあります。まだ月間のアクセスは3万~5万程度ですが、京都のことを知りたいという方がたくさんいらっしゃることは嬉しいことです。上京×下京のようなエリア特集は今後も続けていきますが、職人さんや社長さんに焦点を当てたいわゆる「京都人の職業観」という特集も始めました。これはリクルーティングツールとしても活用していただけます。
「Kyoto love .kyoto」の収益化はどう考えておられますか?
今はごくわずかの広告収入くらいです。その収益もほぼ執筆者の方々に何らかのメリットバックをするのに使っていますので完全赤字事業です。このサイトで京都がよくなり、記事を書いてくださる方に何らかの恩恵がでる、すなわちこのサイトで京都を好きな人が増える、そしてそれが小さくても京都の経済を回す輪になれれば弊社も潤うことができると信じています。京都のための先義後利の精神ですね。
地域と人、そして人と人
今後の展望についてお聞かせください。
京都市では、中小企業を改め「地域企業」と呼ぶようになりました。この決定をした諮問機関には私も関わっているのですが、企業や産業がすべての地域から元気にならないと日本は元気にならないと思っています。これまで会社として蓄積してきたノウハウや実績、そして、私が祇園祭や地域活動でいただいたご縁や、先輩方から教えていただいたことを、愛する京都にご恩返ししたい。「Kyoto love .kyoto」を地域貢献としてもビジネスとしても主力に育て、サンケイデザインがこういう事業をやってくれてよかったと後世の京都の方々からも言われるくらいのものを残していきたいと思っています。
最後にクリエイターに向けてメッセージをお願いします。
私自身はクリエイターとは言えないので口幅ったいのですが、あえて言うならフラットな場で意見を交わす機会を大切にしてほしいですね。自分とは違う立場や感性の方から意見をいただくことがアイデアのブラッシュアップになります。わが社では私が考えた事業プランも若い社員にいつもダメ出しされて手直しをしています。だからこそ新しい事業が回りだし、会社の活力にもなっていると思っています。
取材日:2019年10月15日 ライター:川原 珠美
サンケイデザイン株式会社
- 代表者名:代表取締役 吉川 忠男
- 設立年月:1971年10月
- 資本金:1,000万円
- 事業内容:印刷業、Web制作、メディア広告、イベント、天経香(経文入りお線香)製造販売
- 所在地:〒603-8165 京都府京都市北区紫野西御所田町14-2 (北大路通堀川西入南側)
- URL:http://sankeidesign.co.jp/
- Kyoto love.kyoto:https://kyotolove.kyoto/
- お問い合わせ先:075-441-9125