急拡大するコワーキングスペースと、そのなかで見つける本当の「コミュニティ」とは
人と人との繋がりを大切にしてきた自らの経験を事業に。”紹介”をキーワードに”理想の繋がり方”を模索してきた中で、青木社長はコワーキングスペースのコミュニティマネジャーに出会いました。コミュニティマネジャーをサポートするサービス「TAISY」を通して実現したい世界は「人とのつながりを活用して、友達の困りごとを一つでも多く解決する」こと。2019年2月、仙台で生まれたfunky jumpは温かい繋がりの世界を目指します。
農家から大手メーカーへ
起業する前のキャリアを教えてください。
生まれは群馬の農家でした。農家がもっと儲かる仕組みを作れないかと考え、東北大学農学部に進学しました。東北大学ではTPPや農業物流、JAの果たす役割など農業経済学分野について学びました。特に印象に残っているのは他所からやってきた人がどうやって農村コミュニティになじむようになるか、という研究です。その関係で社会学や心理学の分野も積極的に学んでいました。
大学院時代にシリコンバレーへ行くきっかけがありました。そこで出会った方の中に、日本のメーカーの方がいました。その方は日本国内の研究で開発された技術をシリコンバレーに持っていき、現地のスタートアップにその技術を使ってもらうことをミッションとしていました。その仕事に興味を持ち、就職活動ではメーカーを志し、縁あってパナソニックに入社いたしました。
パナソニックでは松下幸之助氏の哲学に衝撃を受けました。「私の生き方考え方」、「道をひらく」などを読むと企業の果たす役割についての考え方が書いてありました。「企業は社会の公器」というパナソニックの重要な理念には人材、物資、資金は社会からの預かりものであるから共に社会を発展させることが企業の責務である、という考え方です。さらに感銘を受けたのは先輩社員にもその心がインプットされていたこと。パナソニックにはマーケットシェアが高い製品があるのですが、その意味を「マーケットシェアが高いということは日本国民の生活のスタンダードを作っているのが我々である」とお話されていたことに大企業の果たす役割や心構えを感じました。
本当にお世話になったパナソニックでしたが、起業へ向けた気持ちが大きくなり1年4ヶ月で退社いたしました。
具体的な事業計画があって会社を辞めたのでしょうか。
最初から具体的な事業のビジョンがあったわけではありませんでした。
ただ、起業への挑戦について悩んでいるときに、大事な人が背中を押してくれたのが大きなきっかけでした。自身も起業して会社を経営している中学高校時代の友人や、大学生のころ大変お世話になった仙台の起業家、そういった人たちが親身になって相談に乗ってくれて、最終的には「青木が会社を経営している姿を、俺は見たい」と言ってくれたことで決心がつきました。
しかし事業の作り方がわからなかったので大変困りました。最初のサービスは友人にモニターをお願いしたのですが全く使ってもらえない結果に。そうしている内に仙台市が主催するアクセラレータープログラムに出会い、その縁でゼロワンブースターという会社にめぐり逢いました。ゼロワンブースターの起業家育成プログラムを受講し、そのままスタッフとして業務に携わることになりました。ゼロワンブースターでは自分の事業を磨きつつ起業家と大企業の共創プログラムを担当しました。そこで事業の作り方を学び、また事業についてたくさん相談にのっていただいている中で現在のTAISYの原型ができてきました。
人との縁で生かされてきた会社
人との出会いで人生が変わることが多かったのですね。
「funky jump(ファンキージャンプ)」という社名の由来を教えてください。
私の趣味はストリートダンスです。そこで出会ったのがファンクミュージック。黒人差別が一番激しかった時代の音楽でした。ファンクは、もともと「臭い」という意味があり、白人が黒人独特の体臭を指して差別的に使っていました。
それを黒人が「そうさ、俺たちは一人ひとり違うフレーバーがあるんだぜ」と明るくポジティブにとらえたのです。ファンクミュージックはそういった逆境を跳ね除け、世界中の人々に親しまれるカルチャーになりました。私はそのストーリーと、カルチャーを作り上げてきた人々に強く惹かれました。そして私達自身もそんなカルチャー、世界の片隅から始まり、いつしか世界中の人に感動を届けられる会社にしたい、と考えこの名をつけました。
人と人の快適なつながり方に興味があった
事業を模索して、コミュニケーションに着目したのはなぜですか。
元々“人の孤独”に興味がありました。2014年に渋谷駅でお母さんが子供を何度も殴りつける動画がTwitterにアップされました。こういった事件の背景には孤独がつきものです。誰も相談できる人がいない、誰も頼れる人がいない状況でストレスが制御できずこうなってしまうケースがあります。私自身も大阪に引っ越した際、社外の友人もなかなかできずストレスを溜めてしまっていました。そういった状況の中で「人と人とがもっと気楽に繋がるにはどうしたらいいか」ということを模索していくことになりました。
「TAISY」はどんなことができるのでしょうか。
TAISYは、商談や打ち合わせに行った帰りに、その場で話した内容をその場でスマートフォンにどんどん入力してアカウントを共有しているチームメンバーに共有する、顧客管理システムで、人と人をつなぐ、紹介するために使います。Twitterのように簡単で、パソコンより早く情報を共有できます。メールやラインより使い勝手がよくて、個人情報も守れます。
想定するメインユーザーは、コワーキングスペースにいるコミュニティマネージャーです。入居者から「こういう人を探している」と相談されたら、コミュニティマネージャーがTAISYに集約された情報を使ってマッチングを行います。
これは人の“紹介”に着眼しました。人と人とが繋がる上でもっとも気楽に繋がることのできる方法は紹介です。発想の原点になったのは曾祖母でした。曾祖母は仲人として数々の結婚を仲介してきました。自分の知り合いが紹介してくれる人は話題が作りやすく、仲介した人との信頼もあって緊張感も少なくて済みます。また、間に入る人は互いの性格などを加味して紹介するかどうかを決めます。そのマッチングの編集力。これは論理を超えた人間の勘が生きる世界です。
ただしそもそもマッチングを起こすためのデータベースに課題があります。「あの人誰だっけな…」と思い出せない現象です。人間がきちんと認識できるのは150人前後といわれています。記憶力は何かで補完してあげなければいけない。TAISYはいわば脳の外付けハードディスクなのです。
なぜ、コワーキングスペースに着目したのですか。
多くのコワーキングスペースにはスペースの居心地の良さを保持するためにコミュニティマネジャーという役職の方がいます。スペースによって業務内容は異なるのですがコミュニティマネジャーは利用者同士を紹介し、赤の他人同士ではなく知り合いへ関係を進めたり、外部の人たちと関係を作ったり。その方々の仕事ぶりを見て「この人達をサポートするサービスを作ろう」と決めました。私がイメージする“紹介”にピッタリ合ったのです。
自らが入居するコワーキングスペースで「TAISY」の実証実験を始めたそうですね。
70社前後が入居し、コミュニティマネージャーがインターン生を含めて15人ほどいらっしゃるコワーキングスペースで、12月から実証実験を始めました。「TAISY」を使ってネットワーク構築ができるか、コミュニケーションで出てきた課題を拾って解決ができるか、コミュニケーション活動を促進できるか、販売に耐えうるサービスになるかを見ていきたいと思います。
これまでも実際に使ってみて、思ったほど使われる機会がなく、修正してきたものもあるので、実際の運用と成果を見て、次につなげていきたいと考えています。
仙台にあるコワーキングスペースは10ヵ所位ですが、ここを出発点に、今後世界的に広がり、万国共通で使えるサービスにしていければと思います。
「人のつながりを活用して、友達の困りごとを一つでも多く解決する」
事業を通じて目指したいことを教えてください。
記事を読んでいるクリエイターへのアドバイス、メッセージがあればお願いします。
私はどうしていいかわからなくなったときに、必ずまわりの人の意見を聞くようにしていました。その中から助けてくれる人が必ず出てきてくれます。もし助けてもらったら感謝の気持ちを忘れずに。また助けを求められたときも丁寧に。その積み重ねが人としての信頼を築き、助け合える友達となれるものと確信しております。一人は弱く脆いものです。面倒だとは思わずにぜひまわりと一緒に大きくなっていきましょう。
取材日:2019年12月10日 ライター:佐藤由紀子
株式会社funky jump(ファンキージャンプ)
- 代表者名:代表取締役 青木 雄太
- 設立年月:2019年2月4日
- 事業内容:コミュニティマネージャー支援サービス事業、コワーキングスペース向けコミュニティ形成支援ツール「TAISY」の開発・運用
- 所在地:〒980-0803 宮城県仙台市青葉区国分町1-4-9 enspace内
- URL:https://taisy.tech/
- お問い合わせ先:y.aoki@funkyjump.co.jp