誰も見たことのない・感じた事のない世界を作って 見る人に鳥肌を立たせたい
- 東京
- 株式会社SOTO 代表取締役 尾藤信吾氏
履歴書をスルーされフリーランスでスタート。 一度も就職せず今に至るキャリア
SOTOを設立したきっかけを教えてください。
東京にあるファションイベント業界の大手企業に知人がいて、大阪の服飾専門学校を卒業後、その企業に入ろうと履歴書を送りましたが、そのままスルーされて(笑)。その後も、知人からは外注として仕事を依頼され、フリーランスのように仕事をしていました。そんな事があって、その大手企業に入りたい気持ちはなくなりましたが、くやしい思いはありました。逆に向こうから「入ってください」と言われるまでやってやろうという気持ちになりました。3年ほど経った頃、ついにオファーがありましたが、断りました。 ちょうどその頃、その大手企業から独立された方がいて、会社を立ち上げるから一緒にやらないかとお誘いを受けました。25、6歳の頃で、既に僕は業界の中で自分の進むラインを確立できたので「自分でやっていこう」と決めていました。そこで、その会社には所属だけして、金銭面のマネージメントをお願いしました。30歳の頃には、自分一人でやっていく意志がさらに強くなり、完全に独立しました。
仕事をしていく中で、独立への意志が生まれたのですね。
はい、そうです。ファションイベント業界は結構狭い世界で、ショーやパーティーを手がける人達は、ほぼ全員が知り合いで、お互い仕事を手伝うこともあります。そういう業界の中で他の会社と繋がったりして、新しいオファーも来るようになり、自分でやっていけるという、先が見えるようになってきました。 最初は会社を立ち上げず、まずは「TAILwisteria」という屋号だけを付けて仕事をしていました。税理士からのアドバイスもあリ、娘が生まれたことをきっかけに法人化しました。僕が32歳、娘が生まれた年にSOTOを作って、今に至っています。ですから、僕は一度も就職していないんですよ(笑)。企業のルールも知らず、自分のスタイルのまま進んできました。
SOTOの社名やロゴデザインの由来を教えてください。
僕の苗字=尾藤は、普通は「びとう」と読まれますが、「おとう」と珍しい読みなので、会社の名前に「おとう」を使おうと思いました。「SOTO」は「S.OTO」=Shingo Otoから付けています。以前の「TAILwisteria」は「TAIL=尾、wisteria=藤の花」です。親族以外で同じ名前の人に会ったことはないんです。
野球生活の反動でファションの世界へ。 学生時代にショーの現場で毎回ゾクゾク
子供の頃からファッションに興味はあったのですか?
いいえ。フッションへの関心は高校3年生の時からですね。僕は小学校から高校までずっと野球をやってきました。母は高校時代、ソフトボール全国大会優勝チームのキャブテンで4番だったのです。子供の頃は一緒にキャッチボールをしていました。野球の英才教育を受けていた感じですね。高校は寮生活で練習は厳しく、実家に帰れるのはお盆とお正月の2回だけ。甘えないように親との連絡は禁止でした。1、2年生の時はすごくきつくて、3年生の時が一番天下なのですが、ケガでヘルニアになって甲子園に出られなくなった瞬間に、野球への情熱をなくし、あきらめることにしました。男子校で、それまでボールとバットしか見ていなかった自分に新しく見えたのは、可愛い女の子です。寮生活だったので、街を歩くことさえドキドキしていましたから。そこでモテようと思い、フッションを学ぼうと服飾の専門学校に入りました。
反動が大きかったのですね。
服飾のことは何も知らない状態でのスタートでした。でも昔から絵を描いたり、物を作ることも好きだったので、選択肢には、岡山の芸大と大阪の専門学校がありましたが、広島から都会へ出たかったので専門学校を選びました。入ったのはスタイリスト学科です。ファッションショーを手がけるいくつかの会社から学校へバイトの依頼があって、課外授業として生徒を行かせます。 2年生の時に参加してから、フッションショーに魅力を感じました。3年生の時に最初にお話しした会社の方に気に入られ、大阪の現場がある時には必ず依頼していただき、この世界にどんどん染まっていきました。そして海外の有名ブランドの全国ツアーに参加したことが、この業界に入る決定打になりました。
現場を体験したことが大きかったのですね。
華やかな世界だと思ったら全然違っていて、寝る間もありませんでした(笑)。でも面白かったですね。意外に耐えられるんだなと。全ては野球のおかげだと思っています。今までの人生で野球より厳しいものはまだないです。まだいける、まだいける、と思いますね。
その全国ツアーでは、具体的にどんな点に惹かれたのですか?
まずはきれいな外国人モデルですね。全然違う世界だなと。女性として見るというより、人形を見ている感覚ですね。僕が入ったのは演出チームでした。ショーには照明や音楽のキューを出す演出家、インカムで指示を受けてモデルをステージに出す人、その裏にはモデルを並べる人や、フィッターなどがいます。服3、40着に対してモデルは10数人ですから、すごく早く着替えなくはいけません。バックヤードは大パニックです。たとえば着替えが間に合わない場合、順番を待つのか、入れ替えるのか、カットするのか、演出家は瞬時に判断し、指示を出します。僕の仕事はモデルを出すことでしたが、モデルやスタイリストやヘアメイクから次々と質問され、一体何人から話しかけられるんだという状況でした。 フィナーレではモデル全員が一列に揃いますが、毎回、毎回、鳥肌が立ちました。「すごいものを作っているんだな」ということが分かったのです。カルチャーショックでしたね。
誰も見たことのないものを作って、見る人に鳥肌を立たせたい。 その思いが、斬新な演出を生み出す
現在の事業内容について教えてください。
ファッションショーの仕事が多いです。僕の仕事は演出家で、「今までと違うことをやって欲しい」「ファッショナブルに見せたい」という時に声が掛かります。最近では、化粧品の新作発表会やクルマ関係の依頼も増えてきました。
SOTOの強み・セールスポイントは、どういった点でしょうか?
誰も見たことのない・感じたことのない世界を作って、自分が表現したものに鳥肌を立てて欲しい、第五感で止まるのはなく、第六感・第七感まで感じてもらいたい、ということに一番力を入れています。人のブッキングも僕がしていますので、大道具、照明、音響……すべてに最高のクリエイティブを持った人達を集めます。常に「見る人を驚かせたい」と思っています。
ファッションという最先端の世界に居続けるために、どんな勉強をされていますか?
いろいろなショーや場所、美術展、アート展、そういうものを目に焼き付けて勉強しているという感じです。昔、バッグパック1個で世界遺産を周りました。ヨーロッパやアジアで100ヶ所近くを巡りました。写真で知っていても広さや高さなどの感覚や空気感は、その場所に行かないと分からないので、実際に見に行かなくてはと思います。舞台を見に行っても、照明などに自然と目が向きます。
ファションの仕事をきっかけに知った、ワインの世界。 そこから、新たな事業が生まれる
会社としての課題や、一緒に働く人に対して求めることはありますか?
仕事が重なって依頼に応えられないない時は、僕がもう一人いたらと思うこともあります。企業に属したことがなかったので、教えることは苦手ですが、人を育てて、僕の代わりになる演出家を作らなくてはと思います。部下には、自分のように会社を作ってトップに立って欲しいですね。自分で学んで、仕事を取ってきて、頑張って独立して欲しいと思います。自分を抜くことを考えて欲しいですね。
今後手掛けたいこと、展望・夢などを教えてください。
東京オリンピックの演出で何かしたいですね。メインの演出は有名な人が手掛けると思いますが、小さなことでもお手伝いできたらいいですね。 あとは、ワインの事業を今年(2016年)8月に立ち上げました。自然派のワインを取り扱う店を青山に作ります。 自然派ワインと演出は似ていると思います。ワイン作りは水を使わないお酒なので、ブドウや作り方にこだわる人達がたくさんいるんですよ。防腐剤などに頼らず、自然の力だけで美味しいワインを作ろうという、こだわりのある人達がたくさんいます。まるでアーティストですね。自然派ワインは、会社名や産地名でなく、作り手である「人」で選ばれるものなので、とても共感できるのです。
ファッション業界の人はワインや食に詳しいので、話についていけないと勉強したのがきっかけです。昔から料理も好きで、飲食店を開くのが夢でした。実は、広島の実家にブドウを植えています(笑)。
他に演出を手掛けてみたいジャンルはありますか?
やはり「食」関連ですね。今まで「食」は手掛けたことがないので、ワインの事業と絡めた仕事をしようと思っています。それから、映画の演出もやってみたいですね。タイトルは「ブドウの育て方」でしょうか(笑)。
取材日:2016年9月8日 ライター:保坂久美
株式会社SOTO
- 代表者名: 代表取締役 尾藤 信吾(おとう しんご)
- 設立年月: 2014年1月
- 資本金: 800万円
- 事業内容: ファッションショー、イベント、パーティーの企画・制作・演出・運営 ブランドコンサルティング 店舗プロデュース アートエキシビジョン企画・プロデュース 映像制作 音楽制作
- 所在地: 東京都港区南青山1-15-22 ヴィラ乃木坂302
- URL: http://sotooffice.com/
- お問い合わせ先:上記HPの「CONTACT」より