「バカ」というのは、 人を幸せにできる人に与えられる称号。
- Vol.79
- 株式会社テレビ東京 プロデューサー 伊藤隆行(Takayuki Ito)氏
今年の目標は「かなり笑う。」。一度全部忘れて真っ白になりたい。
手がける番組は次々とヒット、著書も売れ行き絶好調と、まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」の時代の人になりつつありますね。
僕はテレビ東京に入社して17年目なんですよね。今年は一度全部忘れて真っ白になりたいと思っているんです。長くこの仕事を続けていると、こうすれば数字を獲れる、といったある程度の方法論が見えてきてしまうこともある。でも、それはマズイ、という危機感を持っています。そこで、僕は2012年の目標を考えたんですよ。・・・「かなり笑う。」です(笑)
すごい目標ですね(笑)でも、シンプルですが、すごく深い言葉です。
最近よく聞く言葉として「コンテンツ」や「動画」がありますが、僕はテレビ番組はコンテンツではない、という気持ちを持っています。テレビはWebに載っていつでも見ることができるコンテンツではなく、その時間に流れている一発勝負の「番組」なんです。
ひとつのコンテンツをスマートフォンや携帯などで見られるようにする、ワンソースマルチデバイス、と言われている時代に逆行していますね(笑)
確かに(笑)でも、先の見えるものではなく、展開がわからなくてドキドキする感じを大切にしたいですね。番組の流れている時間を意識して、その時間に流れている番組として面白いかどうか、を考える。その流れている時間に見ないとダメ、という一発勝負に持ち込みたい。テレビ東京という局は、予算もないし規模も小さいので、他局がやったことを真似しては勝負にならないんです。既成概念を外したところから考えなくてはならない。でも、うちの局のいいところはとにかく「やってみよう」と言えるところですね。まぁ17年目ともなると、飽き飽きしているところもあるんですが(笑)
「アホ」な子ども時代、いい加減だった学生時代。
伊藤さんは、小さいころから「既成概念にとらわれない」タイプだったんですか?
そうですねぇ、かなり「アホ」な部類の子どもでしたね(笑) 成績はそんなに悪くなかったけど、筆箱に入っていたはずの5本の鉛筆を、その日の放課後にはもう失くしている、みたいな。そういう意味では規格外なんですが、「アホ」な方向の規格外ですね(笑)学生になってもいい加減でしたねえ。就職のときはバブルがはじけた直後だったんですが、今のように厳しい就職戦線、というわけでもなく。「ゆるい」感じでずっと来ていました。
そんな学生が、テレビ局に入社することになったきっかけは?
明確なきっかけはないですかね・・・。僕は経済学部だったので、何となく金融機関に就職するのかな、と思っていました。当時はまだ都市銀行も証券会社も元気な時代でしたし。銀行に勤めている先輩にOB訪問なんかもしていたんですよ。まぁ、周りの流れに乗っただけでしたけど…そんな中、テレビ局などのマスコミは就職試験の時期が早かったんですよね。それで、興味本位で受けてみようかな、と。そうしたら運よくテレビ東京から内定をもらいました。経済学部なので「経済に興味がある、わかりやすく経済を伝える報道記者になりたい」などと、いちおうギラギラしたコメントを吐いてましたね(笑)
入社前はテレビ局に対する具体的なイメージは持っていたのですか?
いやいや、全然イメージはありませんでした。まさに「真っ白」な状態で入社しました。かといって、金融機関で働くイメージも持っていなかったんですけど。何しろいい加減だったので(笑)
ゴールの見えないつらさを、小さなうれしいことの積み重ねで乗り越えた。
明確なイメージのないまま入社したテレビ東京で、最初の配属が編成部。
「編成」って聞いて「編集」かと思ったくらいに未知でしたからね(笑)そして、みんな驚くほどに酒を飲むんですよ(笑)飲まされ過ぎて入社3日目に午後2時出勤になったほどに(笑)ですが、予備知識がなかった分、毎日が発見の連続でしたし、個性的な先輩に囲まれて、楽しかったですね。番組の企画は編成にいても考えることができたので、いくつも企画を考えて、それが通って番組になったこともあります。編成部はテレビ局全体を俯瞰で見ることができるポジションで、経験できて良かったと思っています。
そして、4年目に制作に異動。イチからのスタートですね。
そうですね、本当にキツイ日々でした…一番の下っ端なので、最初から制作にいる後輩のディレクターの指示で動かなくてはならない。アシスタントディレクター(AD)は準備やセッティングをとにかく先回りしてやっておかなければならないのですが、子どものころから鉛筆をすぐに失くすような性分ですから、パーフェクトにできないんですよ。何かしら抜けている。それでも完璧にできるように、常に緊張状態で仕事をしていました。いったいいつになったらこの緊張感から抜け出せるんだろうという、ゴールの見えないつらさがあったなあ・・・
体力的にも精神的にもつらいAD時代、それでも辞めなかった理由は?
もちろん、いつかディレクターやプロデューサーになって自分の番組を作りたい、という希望を持ち続けていました。それと、番組の時間変更を告知するテロップを、自分で発注して、そのテロップが流れる、ということがあったんですよね。ちょっと恥ずかしいんですけど、その時、いちいち親に電話して「これから僕が指示したテロップが出るよ」って報告して、親が「見たよ」って言ってくれて。ああ、自分の仕事が形になっているんだなあ、ってうれしくて。それに、最後のエンドロールのスタッフ名に自分の名前が載っているのを確認してうれしくなったり。そういう「小さなうれしいこと」の積み重ねでやってこれたんですかね。
常識的な気遣いができない人とは、一緒に仕事をしたくない。
もしも、今、ADがつらくて辞めたくなっている人がいたとしたら・・・
嫌だったら辞めればいいんですよ。
えっ、辞めればいいんですか!?
でも、一度辞めたら、もう戻れないですよ。一生戻れなくてもいい、そのくらいの覚悟があるのなら、辞めればいいんです。辞めるというのは小さな選択ではないし、どんなに駆け出しだろうが、辞めるということは周りに迷惑がかかることになる。それを含めても辞めるというのなら止めませんが、周りに常識的な気遣いができない人とは一緒に仕事をしたくないので、後で戻りたいと言っても僕は拒否しますね。
「バカ」は人を幸せにできる人が与えられる称号。
では、伊藤Pが一緒に仕事をしたい人とは?
僕は、一緒に仕事をする人がどれだけできるか、優秀かどうか、ということには興味はないんです。テレビの制作にはいろいろな役割があり、いろいろなスキルが必要なわけだから、プロデューサーとして補完し合えるように人と人との出会いを作って、気持ちよく動けるようにしていきたいと考えています。一緒にいいものをつくろう、という思いに正直に向き合ってくれる人と仕事をしたいですね。今悩んでいる若い人がいたら、この仕事は先々を見てやる仕事だから、3年後の自分を夢見て頑張れ!と言いたいです。僕もゴールが見えないような気がして悩んだことがありますが、いつかはきっと晴れる。だから今はパーっとポジティブな音楽でも聞いて頑張れ!って言いたい。
ありがとうございます(笑)では、最後に改めて伊藤Pにあこがれる若いクリエーターにメッセージをお願いします。
テレビは衰退産業と言われることもありますが、そんなことは無視すべきですね(笑) テレビ番組はその時間に流れているからこそ面白い、というのが原点ですから、そこに立ち返って作っていったほうがいい。それと、「バカ」と言われる人になってほしい。「バカ」は最高の褒め言葉ですよ。「モヤさま」だって、「何でさまぁ~ずがひたすら歩いてるの?バカじゃない?」って番組ですよ。「バカ」というのは、人を幸せにすることができる人が与えられる称号。難しいことを考えずに、「バカだな~」って言われることをどんどん作っていってほしい。人と人とのつながりが番組の面白さを生むので、ぜひ機会があれば一緒に仕事をしましょう!
取材日:2012年1月13日
Profile of 伊藤隆行
1972年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒、テレビ東京プロデューサー。編成局を経て制作局に異動し、バラエティ番組を手掛ける。主な番組に、「モヤモヤさまぁ~ず2」「ちょこっとイイコト 岡村ほんこん♥しあわせプロジェクト」。過去には「やりすぎコージー」「人妻温泉」「怒りオヤジ3」など。著書「伊藤Pのモヤモヤ仕事術」(集英社新書)も大好評発売中。