劇場はあらゆる人を受け入れる 逃げ込むことのできる場所
- Vol.25
- 映画監督 中江裕司(Yuji Nakae)氏
中江裕司さんです。『ナビィの恋』、『ホテル・ハイビスカス』でうんと楽しませてもらいました。最新作『恋しくて』が完成しました。観させていただきました――すんごくよかったです。期待を裏切らない、というより期待を上回った素晴らしい出来です。できることなら高校生のころに戻って、バンドを始めてみたい。そう思わせてくれる映画です。ほんとこの方、音楽の扱い方がうまいなあ。誰にも真似できないことするなあ。ということで、中江さんに会ってきました。公開前のプレス対応でお疲れにもかかわらず、相変わらず淡々と、面白いコメントを提供してくれました。
編集で映像を見ていくと、彼らの顔つきが どんどん変わっていくんです。
『恋しくて』を完成させた、今のお気持ちをお聞かせください。
本当の完成は、これから。僕は、映画というものは、お客さんに観てもらい、お客さんそれぞれの中で完成していくものだと思ってるからです。今は、それを楽しみにしているところです。
音楽が素晴らしいですね。高校生のバンド活動を、こんなふうに扱った映画は観たことがありません。音楽の楽しさが、見事に伝わってくる映画だと思います。
もともとは、BEGINの高校生時代をモデルに映画にしようと考えて書いたオリジナル脚本です。構想を練っていくうちに、「じゃあバンド映画だな」となり、音楽というか唄をどういうふうに使っていくかを同時進行で考えていきました。
バンドのシーンは同時録音ですか?
最後の『恋しくて』のロックバージョン以外は全部同時録音です。登場人物が実際に演奏しています。
あの、主人公たちが初めて音を出すシーンも、実際にああ演奏しているんですね?
実際に出した音です。
高校生がバンドを始めるときの面白さ、楽しさが伝わってくる、素晴らしいシーンだと思います。
ありがとうございます。ボーカルの東里くんには「演奏はとにかくめちゃくちゃだから、唄で抑え込め」と指示しました。あのシーンは、最初は恥ずかしくて唄えないけど、唄い出すと気持ちよくてどんどん乗っていくという、流れの変化をつくり出すのが難しかった。
ドキュメンタリー的なことも狙って、全編、順撮りをしたそうですね。
実は、そんなには狙ってないんですけど。いや、狙っていないと言うと嘘になるかな。映画の中で出演者たちが成長してくれればいいなとは思ってました。成長の兆しが見えたら、僕がその手助けをできるようにと心がけてはいました。 で、驚いたのは編集に入ってですね。自分の子供の成長って、毎日顔を見ている親にはわかりづらいじゃないですか。あれと同じで、撮影の現場ではあまり感じられなかったんですが、編集で映像を見ていくと彼らの顔つきがどんどん変わっていったんです。
ストーリーの途上で主人公たちが敗北する。 どう演出しようか迷いがあったのですが、 彼女たちの出現で解決しました。
主人公たちのライバルバンド『ふとももファイブ』。いったいあれは、何者ですか。
あれは石垣島の女の子バンドです。本当の高校2年生のバンドです。今回、彼女たちの評判、いいですね。
あの唄のインパクトは、すごい。監督もいいと思ったから、あの長さで編集しているんですよね。
そういうことですね。彼女たちも、石垣のオーディションに集まってくれた高校生です。衝撃的でしたね。結成して2、3週間で、名前もない。だからバンド名は、撮影監督が現場でつけました。ベースの子は「すみません、座っていいですか。立って弾けないんですけど」なんて感じで、ボーカルは唄い出すとけっしてこちらを見ない。窓の外の青空を見ながら唄っている。撮影では、そのときの感じをそのままに再現しました。 ストーリーの途上で主人公たちが敗北する。それをどう演出しようかと迷いがあったのですが、彼女たちの出現で解決しました。「主人公たちは、彼女たちに負ける」――僕の中で、それがはっきりしたし、納得できたのです。
オーディションで、大きな拾い物をしたという感じですかね。
その通りですね。彼女たち、もう解散してるかな。撮影中もずっともめてたから。もめている理由が面白くて……。普通は音楽性の違いでもめるでしょ。でも彼女たちのもめごとは楽器性なんですよ。つまり、「私はこの楽器やりたい」(笑)。今、どうしているかな。
牛のギャグは面白かったですね。試写では大受けしてましたよ。中江映画の新機軸かな。
そうですか(笑)、僕はあまりうまくいったような気はしていないですけど。
ヤギは、また出てましたね。中江さん、ヤギ好きですよね。
人が生活していると動物もいるでしょ、という感じで出してます。沖縄では、犬よりヤギかなという感じ。沖縄で飼っているヤギは食べるために飼っているわけですから、いずれ食べられちゃうんだなとか思うとそのせつなさもいい(笑)。
あの当時の歌謡曲ってものすごくプロフェッショナル なんですよね、サウンドも歌詞も。
以前お話を伺ったとき、「僕の理想は、監督が現場にいなくても撮影が進むこと」とおっしゃっていました。その理想は、今も変わらない?
目指してますね。たとえば、『白百合クラブ 東京へ行く』のときは3分の2は現場に行っていません。ドキュメンタリーだから成立したこと、という見方もあると思いますが、僕は劇映画でもそれを目指しています。
今回の撮影では?
それができるほどの余裕はなかったです。つまり劇映画って、時間がないんですよ。もし1年の撮影期間がとれたら、できると思う。いつかそんな撮り方をしてみたいですね。
劇中曲のラインナップを見てみると、70’s、80’sの日本の名曲のオンパレードです。世代的な狙いがあるのですか?
いえ、そういうわけではないです。音楽監督といっしょにいい唄を探していたら、結果こうなったという感じです。
そうかあ、てっきり中江さんの意図として時代を合わせた選曲かと思いました。共同作業なんですね。
なにしろ、他力本願ですから(笑)。
主人公たちは、山本リンダで全国大会まで行っちゃいますね。すごい設定だと思う。
聴けば聴くほど、『狙いうち』はプロフェッショナルな曲です。その感動がそうさせたんだと思います。あの当時の歌謡曲ってものすごくプロフェッショナルなんですよね、サウンドも歌詞も。そういう曲はいつ聴いても、今聴いてもめちゃくちゃかっこいいわけですよ。
ラストに2人が唄ってキスします。まるで昔のハリウッドのミュージカル映画のエンディングみたいでした。
僕の映画って、いつも最後のほう、時空がおかしいんですよ(笑)。『ナビィの恋』でも主人公が「結婚します」と報告した以降は、正しい時間が流れてないですね。 僕は、映画には、お客さんが観たいと思っていることをどんどん入れていきます。そこからお客さんがいろいろ想像してくれて、頭の中で完成させてくれればいいと思ってます。普通に見れば2人は別れてしまったとなるはずですが、2人は別れなくて結婚して、今子供がいるんだと想像するお客さんがいてくれてもぜんぜんかまわないんです。
映画をつくるときに心がけなきゃいけないのは、 映画は自分のものじゃないということ。
以前、「年に1本は撮りたい」とおっしゃっていました。年1本というのはなかなか実現の難しいサイクルだと思います。結局今のこのサイクルが、理想的なんでしょうね。
僕は自作の沖縄での興行権を持っているので、上映に時間を割くことになります。それで、やっぱりこれぐらいかかっちゃうんですね。
桜坂劇場の運営もありますから。劇場運営には、映画づくりとはまた違った面白さがあるのでしょうね。
劇場をやってみて改めて感じたのは、劇場は、あらゆる人を受け入れる場所だということです。たとえば犯罪者がそこへ逃げ込んできても、上映はやめてはいけないし、その犯罪者を追い出してもいけないと思ってます。犯罪者にも、そこにいる間だけでも楽しんでもらえればいい。そういう場所なんだという認識を強く持っています。
欧米の教会みたいな位置づけですね。
そういう場所ですね。逃げ込むことのできる場所。そういう非日常的な場所なんですよ。
では、最後に、これから映画の世界を目指したいという若い人たちに向けて、映画界の先輩としてエールを贈ってください。
僕は、映画は自分の映像表現のための手段ではないと思ってます。自分がつくれる映像とか映画というものには限界があるし、ものすごくすぐれたものをつくるのは一握りの天才だけに可能なことです。 では、天才だけが映画をつくっていればいいかというとそうでもない。天才じゃない人にも別に映画をつくる資格はあるんですけど、そのときに心がけなきゃいけないのは、映画は自分のものじゃないということです。それは観た人のものなんです。それがすごく大切なんだと思っています。
Profile of 中江裕司
1960年、京都府生まれ。 琉球大学農学部卒。80年に琉球大学入学と共に沖縄移住。パナリ本舗代表。琉球大学映画研究会にて多くの自主制作映画をつくる。92年、沖縄県産映画「パイナップル・ツアーズ」の第2話「春子とヒデヨシ」でプロデビュー。 94年、「パイパティローマ」を監督。98年には大琉球ミュージカル映画「ナビィの恋」を監督。沖縄県内を始め全国的な大ヒット作となった。沖縄では18万人の動員を記録。「タイタニック」を抜いて沖縄県の最多動員。2002年、「ホテル・ハイビスカス」(原作/仲宗根みいこ)が、全国公開され大ヒット。03年、石垣島の楽団のドキュメンタリー「白百合クラブ東京へ行く」を自主制作。劇映画以外にも数多くのTVドキュメンタリー、ミュージッククリップ、CFなどを発表。06年、那覇市の閉館した桜坂琉映を、街中の劇場「桜坂劇場」として復活させ、株式会社クランクの代表取締役社長に就任。
【作品】 1992年『パイナップル・ツアーズ』 1994年『パイパティローマ』 1999年『ナビィの恋』 2003年『ホテル・ハイビスカス』 2003年『白百合クラブ 東京へ行く』(/ドキュメンタリー/デジタルビデオ劇場公開作品)