ものづくりの延長線上に 自然に若手の育成という取り組みが 収まっていった感じがしています
- Vol.77
- 東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻教授/テレビ番組プロデューサー 岡本美津子(Mitsuko Okamoto)氏
海外には、教育者出身のプロデューサーが多くいます。
2008年に東京芸術大学大学院の教授に転出されましたが、「なぜ?」っていう質問はあるんじゃないですか?
よく、いただきます。ただ、うまく説明はできません(笑)。ひとつだけ言えるのは、私にとってはNHKのプロデューサーも、大学院の教授も、あまり大きく違わないんですね。外からの見え方が全然違うのは当然と思いますが、自覚として、やっていることはほとんど同じなんです。
『デジタル・スタジアム』という番組なんかは、映像クリエイターの育成がテーマでしたからね。大学院での教育と似ているということでしょうか。
私の中では、どちらもプロデューサーなんですね。海外の映像業界の方と交流していると、特にアニメーションの世界には教育者出身のプロデューサーが多いです。どんな業界にも通底すると思いますが、コンテンツを制作する作業には常に、制作プロセスの中で若手を育てるというミッションが含まれているもので、それがプロデューサーの重要な役割になっています。
とはいえ、教育者になってしまうと、制作の一線からは退くことになってしまうような。そういう心配はなかったのですか?
よく考えた上で、テレビ局の外に身を置いても制作の仕事はつづけられるとわかったので決断しました。
なるほど、『Eテレ0655』、『Eテレ2355』は教授になってからのお仕事ですものね。
教育と番組づくりと両方やりたいことができていて、かなり満足感が大きいです(笑)。
ものづくりが、多くの才能をかけあわせることで 2倍にも3倍にも有意義になる
ところで、岡本さんが教育に興味を持ったきっかけは?
それはつまり、番組の制作の現場に身を置いていて、才能ある若手、才能あるクリエイターが、「つなぐ人」がいないために羽ばたくチャンスを得られていないという問題意識があったからです。
『デジタル・スタジアム』での体験が大きい?
大きいですね。番組を通してたくさんの若手を見てきましたし、8年間プロデューサーを務める中で、アニメーションが仕事として市民権を得ていくのも実感していました。実際に、この業界をめざす若者は増えました。 一方でプロデューサーという肩書のクリエイターである私自身は、ものづくりが、多くの才能をかけあわせることで2倍にも3倍にも有意義になる点に魅了されるようになっていました。たまたま手がけていた番組が若手育成というテーマを持っていたことも相まって、自分のものづくりの延長線上に、とても自然に若手の育成という取り組みが収まっていった感じがしています。そういう点にプロデューサー職の醍醐味があると考えるようになったんですね。
なるほど。とても理解しやすいご説明です。ただ、制作の現場にいて、そう考える人、あまつさえ実行する人は、少ないのではないですか?
多数派ではないようですね(笑)。とにかく、私の中ではそういう考えが経験的にできあがった。そう言うしか、ないですね。
日本のコンテンツ産業の未来には、 プロデューサーがちゃんと育つ環境が必要だ。
教授というお仕事には、学生に教えるだけでなく、研究も加わってきますよね。
はい。現在は、プロデューサーそのものをテーマに研究活動しています。
これまた、なるほどですね。
クリエイターの育成が必要なのと同様に、プロデュースという、日本では終始黒子(くろこ)であることを求められる仕事の体系化、セオリー化と、レベルアップが必要だと思っています。日本では、アニメーションの世界にも、映画、テレビの世界にも、いわゆるプロデュース権という概念が不明確で、それがゆえにプロデューサーはかなり重要な役割にも関わらず、人材が育ちづらいのです。この部分を強化すれば、日本のコンテンツ産業は、もっと伸びると思います。 現在は、日本のTVや映画のプロデューサーの系譜を紐解く作業をしています。
少なくとも日本のアニメーションは世界的に評価されて、順風満帆に見えますが。
いえいえ、局所的な評価や人気を拡大報道されている側面がありますからね。世界マーケットでは、まだ、がんばらなければならいこと多いですよ。しかも、日本社会はこれから少子化に向かいますからマーケットは縮小しますし、つくり手の人員確保も難しくなる。前者のためには世界に打って出ることのできる仕組みづくりが、後者のためには労働環境の整備など、課題は山積しています。そのような大枠の設計図を引く担当者としても、プロデューサーの育成はとにかく鍵になることと思います。
楽しんでいます。昔の同僚に、 「お前は、なんか楽しそうだな」と厭味を言われてしまう。
アニメーションに関する講演イベントなどもプロデュースされていますね。
東京藝術大学大学院の映像研究科というのは、ユニークな実務家がたくさん集まったところで、学科そのものが実験室みたいなところがあります。ですから、常に教育スタッフが総出で手づくりをつづけている感覚があり、情報発信もその中でいろいろ試行錯誤しています。私の場合、直近では公開講座の「現代映像プロデュース論2011」の企画・モデレーターや、藝大アーツイン丸の内「藝大アニメーション・音・ステージ2011」のプロデュースもしました。その他にもシンポジウムや対談企画など、いろいろやらせていただいています。
「藝大アニメーション・音・ステージ2011」は、とても意欲的な企画のようですね。
音楽家もいればアニメーターもいるという藝大の利点を(笑)、最大限に生かした企画です。アニメーションの上映に合わせて、生でピアノやバイオリンのほか、三味線や尺八、長唄などの邦楽などを演奏し、大好評でした。私は、司会までやることになってしまった(笑)。
いずれにしろ、楽しそうだ(笑)。大学院教授になって、研究室で難しい顔しているのかもと思いましたが、実際は全然違う。
そうなんですよ、自分でも楽しくて仕方ないのかもしれません。昔の同僚に、「お前は、なんか楽しそうだな」と厭味を言われてしまう。
今後の予定は?
今ある課題に、全力で取り組むことがひとつ。もうひとつ、すごく先の夢としてあるのは、アニメーション作品のプロデュース。まだ映画化権の調査さえしていない段階ですが、個人的な夢として、世界にいる優れたアニメーション監督たちと国際共同制作をやりたい。例えば村上春樹さんの短編小説を複数の世界的なアニメーション作家たちが短編アニメ化したオムニバス映画を作るなどを考えています。
では最後に、読者のクリエイターたちに、エールをお願いします。
では、映像制作業界の皆さんに向けてのエールとさせていただきます。自分のやりたいことを達成するにはたゆまぬ努力が必要ですし、たゆまぬ努力はそれを支える体力あってのことです。体力づくりを怠らないでくださいね。とさせてください。 これは私自身の反省も込められているのですが、少なくとも映像業界でのがんばりは、一発屋ではほとんど通用しません。徹夜が何夜つづこうと、がんばり、集中力を維持できなくてはアイデアがあっても、センスがあっても勝負にならないのです。 体力は年齢とともに着実に衰えますし、人によっては年齢に関係なく衰えます。ですから日ごろからの体への気配り、体力維持への努力が絶対に必要と思います。 そういう点に気をつけながら、ぜひ頑張ってください!
取材日:2011年10月26日
Profile of 岡本美津子
1964年、宮崎県に生まれる。1987年、京都大学文学部史学科卒業。1987~2008年、日本放送協会(NHK)にて、編成、番組開発、番組制作、イベント制作、およびデジタルTV、インターネット関連業務に従事。 2008年より、 東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻教授。NHKEテレ(教育テレビ)で放送中の『Eテレ0655』『Eテレ2355』(企画・制作 /チーフプロデューサー).【主な企画・プロデュースと研究活動】 | |
1992年 | 番組『ヒーロー列伝』 |
1993~95年 | NHKCI(NHKビジョン、ロゴマーク等) |
1995~96年 | BSキャンペーン『BSはぜんぶやる』 |
1996年 | ハイビジョンキャンペーン『荻原健司・ハイビジョンは金メダル!』 |
2000年 | BSデジタル開局特別編成 |
2000~06年 | NHKデータ放送、双方向番組 番組『デジタル・スタジアム』 |
2002年 | 番組『デジスタ・ビギナーズ』 |
2003~06年 | イベント『デジタルアートフェスティバル東京』(総合プロデューサー) |
2005年 | クリエーターユニット活動『デジスタ・エンジェルス』 |
2006年 | イベント『ヨコハマEIZONE』 |
2006~07年 | NHKケータイ(編集長) |
2008年 | NHKアーカイブオンデマンド |
2009年 | NHK教育テレビ番組シリーズ 趣味悠々 今年こそパソコンの達人『デジタル写真徹底活用術』講師(出演) 馬車道エッジズ『現代映像プロデュース論』(イベント企画・制作) |
2010年 | NHK教育テレビ番組『Eテレ0655』『Eテレ2355』(企画・制作 /チーフプロデューサー) |