鉛筆が持てなくなるまでは 続けるつもりでいます
- Vol.21
- 美術監督 桑島十和子(Towako Kuwajima)氏
『下妻物語』と『嫌われ松子の一生』――すごい世界観、すごい色彩だったねえ。あれで中島哲也監督が評価されるのは当然だけど、その美術パートを担った美術監督はいったいどんな人なのだろう?という興味を抱いた人も少なくないはずだ。そこで、今回登場いただくのが、美術監督/桑島十和子さん。同2作はもちろん、CMでも数多くの中島作品を手がけている。『下妻物語』では第59回毎日映画コンクール/美術賞を獲得し、映画関係者から俄然注目されている模様。作風からの連想で、かなりエキセントリックな人物像を思い描いていたのですが……なんとも柔らかく、素敵なお方でありました。
張り紙が光り輝いていた。ほかの人に見つけられてはいけない と思い、はがしてポケットに入れちゃいました(笑)。
――桑島さんは、会社に所属しているんですね。
師匠である寒竹恒雄も所属している会社/有限会社SOMETHING ELSの社員です。自称OLです(笑)。
てっきり、美術監督はみんなフリーランスかと思っていました。
その認識は間違っていないと思います。私のようなケースは稀だと思いますよ。
独立の予定は?
ないです。小さいけれど居心地のいい会社で、辞める理由が見つからない。この会社にいたから、いろんな出会いがあって、仕事の幅が広がってきたという感謝の気持ちもありますし。
会社が仕事を見つけてきて、桑島さんに割り振る?
オファーは私自身にきます。
自分自身にきた仕事をやり、売り上げは会社に入れる。
そうですね。私はお給料をいただいています。もちろんやった仕事に即して歩合もついてきます。
仕事のやり方は、ほとんどフリーのように見えますね。
そうですね。外部の人には変則的に見えるでしょうね。
会社には、短大在学中から在籍していたみたいですね。
はい。在学中にアルバイトで映画の現場に出て、そこで寒竹さんに出会って師事しました。それ以来ずっと師弟関係が続いているということです。
映画の美術がやりたかった?
子供の頃からずっと、お話に沿って絵を描くのが好きでした。そういう意味ではジャンルは映画でなくても、アニメでも、漫画でも、舞台でもよかった。歳を重ねるにしたがって映画を観るようになり、「これかもしれない」と思ったのは中学生の頃だったと思います。
映画の現場のアルバイトって、簡単に見つかるものですか?
私の場合、幸運にも、学校にアルバイト募集の張り紙があった。もちろん「ラッキー!」と思いましたよ。張り紙が光り輝いていた。他の人に見つけられてはいけないと思い、はがしてポケットに入れちゃいました(笑)。
その幸運がなかったら、この世界には入っていなかったかもしれない?
いえ、入っていたと思います。問題は入り口がどこにあるかわからないということだけで、あちこち探りを入れていましたから。
う~ん、賞は、あれはなくてもいいですね。 頑張ったことが評価されるのは嬉しいけれど、 頑張っているのは私だけではないですから。
中島監督と組んでの仕事は、もう長いのですか?
監督と出会ってから、もう10年以上になりますね。ずっとCMでご一緒してました。
映画は『下妻物語』が最初?
そうです。映画は『下妻物語』がデビューです。
そのデビュー作で賞を獲るって、すごいことですね。
映画に携われたというだけで十分に満足していたのに、いろいろついてきてびっくりという感じです。
賞を獲ったので、映画へのモチベーションもさらに上がったのでは?
う~ん、賞は、あれはなくてもいいですね。頑張ったことが評価されるのは嬉しいけれど、頑張っているのは私だけではないですからね。なぜ賞がいただけたのかというと、運がよかったから。そう考えてます。
「映画人」という自覚、あります?
やっているのは映画だけではないので、映画人ではないですね。職業を聞かれたら、映像制作の美術をやっていますと答えます。
『下妻物語』も『嫌われ松子の一生』も、見たこともないような色彩とトーンですね。
今の、中島哲也の世界ですね。
桑島十和子の世界ではないのですか?
まず中島哲也のイメージがあります。トーンはカメラマンと照明が決めます。2作に通じるトーンがあるとしたら、それはどちらも同じカメラマンと照明部だということが大きいと思います。ただ、たしかに、たくさんの色を使うというアイデアは私が出しています。
色使いは独特だし、あれを成立させるのはすごいと思いましたね。
そうですか?そんなに難しいことをしているという自覚はないですけど。
特に『嫌われ松子の一生』では、レンズにフィルターをかけたような色彩計画も多用していますね。
一連の作品は2作とも、フィルムではなくHDビデオで撮っています。だから、映像の色彩については、現場でモニターを見ながらいじれる。ほぼ自由自在です。光を遮るために黒い布をかぶせたモニターに、カメラマン、照明、そして時には私も、何人もが首を突っ込んで、ああだこうだと議論している現場でした。
『嫌われ松子の一生』で、画面手前に入ってくる花はCG?
CGチックに見えるけど、実は撮ってます。造花を一本々々配置しました。予算があったら生花でいきたかったんですけど。
松子の実家の襖の絵が気になったんですけど。
あれは私のアイデアです。家庭が平和な時をひな祭りの花で、川尻家の悲運が始まることを枯葉の木で、松子がいなくなって、また平和な時間が流れていたことを緑の葉で表現しました。勝手にやって、事後承諾でした(笑)。
中島監督は、美術に関してすべて桑島さんにお任せなんですね。
興味のあることとないことが、はっきりしています。興味のあることであれば、花びらひとつの向きにもこだわって要求を出します。
中島哲也って、どんな監督?
とにかくすごいことを考える。台本上で3行くらいのシーンが、膨大な枚数の絵コンテになって出てきたりします。私はいつも、そのイメージを成立させるために最大限の努力をしますし、プラスアルファになにかしてやろうという目論みも常にめぐらせています。
巷の噂では、かなりハードなキャラクターの方とか。
そうですね、私も最初の仕事では「こんなクソオヤジとは、二度と仕事をしたくない」と思ったこともありました。でも、素顔はとても、いい人なんですよ。
中島監督とのコンビは今後も続く?
ご本人は「50歳で作風を変える」と公言していますが、監督が50歳をすぎても、ご一緒したいと思っています。
他の監督との仕事は?
もちろんしたいです。ただ、映画は拘束時間が長いですから、タイミングが合わないとなかなかお受けできないんです。
もし1年くらい仕事を休むことがあったら、復帰して、 現場の空気を吸っただけで泣くでしょうね。
尊敬する美術監督は?
もちろん寒竹恒雄さん。そして、村木忍さん。ご主人の村木与四郎さんと一緒に取り組まれた黒澤映画『どですかでん』が大好きです。
最近の日本映画で好きな作品は?
すいません。まったく日本映画観てません。最近観て面白かったのは、『ダヴィンチ・コード』と『ミッション・インポッシブルⅢ』です。
ハリウッド派なんですね。
美術系の学校だったもので、学生時分に文芸系映画を観すぎた。その反動だと思います。ある日突然、「私は難しい映画より、こっちの方が好きなんだ」と気づいた。
なるほど。
学生時代は、そういうこと言うとかっこ悪いと思ってましたから(笑)。
CMの面白さと映画の面白さは違う?
CMは様々な題材に取り組めるという面白さがある。映画はひとつの話にじっくりと取り組むという面白さ。どちらもそれぞれに面白いですね。映画は、長い間多くの人と一緒にいるので、そこから生まれる仲間意識も独特のものがあります。
仕事への取り組みへのポリシーは?
楽しくやることです。
これから美術監督を目指す人たちにアドバイスをください。
この仕事は教えることも、教えられることもできません。とにかく現場に出て、動いて学ぶしかありませんから、どんどん現場に出てきてほしいですね。
今後の夢は?
その日その日、精一杯やっているだけなので将来への質問には答えづらいですね(笑)。可能な限り仕事を続けていきたい――言えるのはそれくらいです。鉛筆が持てなくなるまでは続けるつもりでいます(笑)。
映像制作の世界って、やったら辞められなくなるみたいですね。
もし1年くらい仕事を休むことがあったら、復帰して、現場の空気を吸っただけで泣くでしょうね。カメラの音を聞いただけで泣いてしまうような気がする。映像関係者ということにそんな強い自負はないし、好きなことをやっているだけなんですけど、きっとそうなると思います。
Profile of 桑島十和子
1971年東京生まれ。 1992年女子美術短期大学造形科絵画教室卒業。短大在学当時より(有)SOMETHING ELSに籍を置き、寒竹恒雄氏に師事。映像美術の仕事に携わる。 ●主な仕事 <CM> ダイワハウス、キリンラガー、P&Gアリエール、ライフカード、イオン、キリン円熟、たまごクラブ・ひよこクラブ、タワーレコード <Live> smap Live(Live中映像部分美術担当) <ドラマ> X’smap「虎とライオンと五人の男」など <映画> 「ロスト・イン・トランスレーション」(ソフィア・コッポラ監督)(アシスタント参加) 「下妻物語」(中島哲也監督) 「嫌われ松子の一生」(中島哲也監督)