常に起承転結が気になっている自分は すごく映画に向いている
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- Vol.19
- アートディレクター・映像作家・映画監督 信藤三雄(Mitsuo Shindo)氏
今となっては、信藤三雄は映画監督だと思っている人も多いと思う。いや、もちろんそれはそれで間違っていない。のだが、信藤さんは1980年代後半から90年代にかけて、ピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターのアートディレクション、PV(プロモーションビデオ)で卓越した仕事を発表し、多くの人に支持され、「渋谷系のカリスマ」と呼ばれた人でもある。アートディレクションをし、PVを作り、ついには映画監督にも進出した(最新作は、8月に公開された『男はソレを我慢できない』)、いわゆるひとつのマルチクリエイター。いろいろ手がけていらっしゃることもあるし、これほどの業績を残した方でもあるので、もう、「~の」と肩書きや職種を紹介するのは無意味かもと思うのだけど。一応上記のような属性を添付させてもらい、信藤三雄という制作者にお話を伺おうと考えた次第です。
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映画「男はソレを我慢できない」フライヤー
公式サイト:http://otoko-sore.excite.co.jp/
映画でお笑いっぽいことばかりやっているから、 「信藤はお笑いの監督」と思っている人がいるかもしれない。
現在は、グラフィックデザインの仕事と映像制作の仕事の比率は?
6対4くらいですね。グラフィックデザインのほうが多い。
ルーツはグラフィックデザインであるということが、映像作家/信藤三雄のアイデンティティになっているわけですね。
映像を作るときも、基本はスチール写真の感覚です。僕はデジタル撮影したスチール写真を映像に取り込んで動かすという手法を、よく使います。他の映像作家はあまり使わないので、僕の作風、特徴と言っていいでしょうね。
軸足をグラッフィクデザインに置いて、6対4程度の比率というのは、今後も変わらない?
そうですね。僕のベースはあくまでグラッフィク。映像をやるうえでも、そこが強みになっているとも思うから。
今後、グラフィック、映像につぐ3つめのジャンルを手がける予定は?
予定はないけど、予感はあります。インテリアとか建築とかには興味があるし、個人的にはちょこちょこやってみたりしてますから。
「マルチ」って言われたことありますか。言われたとしたらその感想は?
覚えてない(笑)。どうなんだろう、記憶にないから言われたことはないかも。言われたとしたら、そうだなあ……あまり好きな呼称じゃないかもね。トレンディ過ぎるから(一同爆笑)。
トレンディだから嫌だというリアクションは、想定外でした(笑)。では、「マルチ」は置いておくとして、「渋谷系」と呼ばれていた時代がありましたよね。
ありましたね。僕、子供のころから渋谷で遊んでいたから、自然に受け入れていましたよ。
人によってはとても気になさるんですが、レッテル貼られるのって嫌じゃないですか?
ああ、そういうことか。僕はまったく気にならないですね。「なんとか」っていう呼称を使いたい方がいるなら、それはご自由に、と思います。
最近は、レッテルを貼られている気配はない?
ないと思いますよ。あるとしたら、映画でお笑いっぽいことばかりやっているから、「信藤はお笑いの監督」と思っている人がいるかもしれない。もしそうだとしたら、ちょっと抵抗あるかも(笑)。それだけはちょっと気にしてて、もう少しおしゃれなものもやったほうがいいのかなあ、なんて考えてはいます。
ある日、映画のフォーマットの魅力に気づき、 そこから映画作りが始まった。
映画は今後も作っていく?
可能な限り作り続けたいですね。
信藤さんの映画への情熱って、どんな形をしています?
僕はまず、映画好きで映画作りに携わるようになった方たちとは違うタイプだと思います。ある日、映画のフォーマットの魅力に気づき、そこから映画作りが始まった。
映画のフォーマットとは?
起承転結があって、時間軸をいじることができて、カットのつなぎによっていろいろな表現を生み出すことができるということ。
映画のフォーマットの魅力に気づいたのは、いつごろ?
PVをやるようになってからだと思う。PVでストーリー仕立てのものを作るようになって、その存在に気づきました。そして、自分は映画本体よりも、映画のフォーマットが好きなんだということにも気づいた。
なるほど、一般的な映画監督さんとは違う、独特の感覚ですね。
しかも、もっと言うと、一番好きなのはタイトルバック作り。映画本編より、かっこいいタイトルバックに惚れることのほうが多いし、自分の作品でも、そこが一番燃えるかも(笑)。
やっぱり独特だ(笑)。ところで、起承転結っていう話がありましが、以前、あるインタビューで「グラフィックデザインの起承転結」っていうことをおっしゃっていましたね。
ええ、大切にしています。CDジャケットをデザインするときでも、ユーザーがCDを買って、封を開けて、ディスクを見て、それをプレイヤーに入れて、ブックレットをとりだして、見て、という一連の行為をイメージしながらアイデアを練ります。音が鳴って、しまって終わるというところも含めて、起承転結を考えたデザインをしたいと思っている。
信藤さんは、「映画監督である」という自覚はある?
……どうだろう(笑)。
映像作家ではある?
それも、……どうだろう(笑)。
アートディレクターではありますよね。
そうですね。
映像作品にも、アートディレクターとしてかかわっている?
そうかもしれない。そういう言い方も、当たっていると思う。グラフィックの仕事をしていても常に起承転結が気になっている自分は、すごく映画に向いているとは思っています。
起承転結が気になっている信藤さんは、デザイナー、アートディレクターとしては、かなり理論派?
まったく違う(笑)。デザインは第六感でやっている。理論構築は苦手。ピンときたものに、後づけで正しい理屈をつけているんです。僕は、あらゆる発明発見は、理論構築よりも「降りてくる」ものだと思ってますから。
男は遅咲きのほうがいいよ。あまり早すぎるブレイクは、 後がつらくなるだけだからね。
信藤さんは、決してエリートではないですよね。最初は小さな会社勤めから始まっている。
そうですね。
湯村輝彦さん(イラストレーター)に仕事を紹介してもらって仕事を広げていった、というエピソードを読んだことがあるのですが。
それもその通りです。23歳くらいだったと思うけど、湯村さんに作品を見せたら気に入ってくれて、しばらく自分の部屋に飾ってくれて、知り合いにも見せて回ったりしてくれました。仕事どころか、デザイン事務所も紹介してくれて、そこに入った。
えっ、初耳です。なんという会社ですか?
中河原暉朗さんの宙クエスチョンという会社です。2年ぐらいいました。中河原さんは当時、広告賞を総なめにしていた超一流のアートディレクター。いわゆる弟子入りのような形で働きました。
信藤さんにも、バリバリに広告を作っていた時代があるんですね。
あまり性に合わなくて、けっこう悶々としていました。広告って、大人の世界でしょう(笑)。大人とは、コミュニケーションするのが難しかった。自分の価値観と世間の価値観がずれていて、うまく折り合いがつかなかったですね。
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音楽の仕事に出会うまでは、人生がグルーヴしなかったようですね。
30代の後半になって、ピチカート・ファイヴの小西康陽くんやフリッパーズ・ギターの連中に出会って、やっと自分と同じ価値観を持つ人を見つけた感じがしました。なるほど、下の世代にいたんだ!という感じでした。言うなれば、そこが僕のブレイクポイントでしたね。特に小西くんとの出会いは衝撃的でした。「こんなに同じこと考えている奴がいたとは!」と、嬉しくなった。
やった!という感じ?
しましたね。小西くんと出会って、魔法がかかった感じ。すべてが動き出した。
信藤さんって、遅咲きですね。
うん、遅咲き。男は、遅咲きのほうがいいよ。あまり早すぎるブレイクは、後がつらくなるだけだからね。
遅咲きで成功を手に入れた信藤さんとしては、自分のキャリアを振り返って、どんな教訓を見出しますか?
「すべては人との出会いから始まる」ということですね。ひとりでいても、何も始まらない。
その教訓は、現在も大切にしている?
会ったことのない人には、積極的に会おうと心がけています。
「人に会おう」というのは、昔からの気質?
いや、違いますね。若いころはもっとクールな奴で、そんなふうには考えていなかった。特にこの10年ですごく変わったと思う、ものすごく情熱的になった。情熱的に生きようと決めています。
お金はステイタスではなく、純粋にそれがやりたくて、すごいものを 作ってやろうという志さえあれば、ちゃんとしたものはできる。
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深海 /
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AMETORA /
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THE FRUSTRATED /
GLAY 04年
話題を変えて、素朴な質問をさせてください。ジャケットデザイナーとしては、CDよりもLPのほうがやりがいがある?よく、そういう話を聞きますけど。
そういう意見、ありますね。でも、僕はむしろ、CDになってからデザイナーの時代が到来したのだと思っています。
面白いですね。詳しく聞かせてください。
LPのころは、たとえばいい写真が1枚、たとえばいいイラストが1枚あればそれでデザインが決まっていた。ところがCDは小さいので、そういう力技が効かなくなった。つまり、アートディレクションの役割が大きくなったんです。
なるほど。
小さくても印象に残るものを作るには、シンボルマークを作るような構想が必要なんだと、あるとき気づいた。時代のアイコンを作るようなつもりでデザインする。そこから俄然面白くなりましたね。
やっぱりそれも、最初に直感があって、後から理屈をつけたわけですね。
そうですね。実を言うと僕だって、一音楽ファンとしては、CDになるのは嫌だった。最初は、面白さに気づいてなかったですよ。ただ、逆転の発想で、このCDがLPのように、「あのころはよかったね」「昔はかわいいものがあったよね」と後に言われるようになるとしたら、どうあるべきなんだろうと考え始めたあたりで直感が働いた。そして、世にある、優れたパッケージデザインはおしなべてシンボルマークとしてよくできているということにも気づきました。
遅咲きを自認する信藤さんが、ブレイク前に心がけたことで「よかった」と思うことは?
事務所を辞めるときに、中河原さんが「これから君はいろいろな仕事をしていくことになるだろうけど、それが商店街のチラシでも、なんであっても、一流の仕事をしようとさえ思えば、そうできるんだよ」と言ってくれた。その言葉はずっと残ってますね。お金やステイタスではなく、純粋にそれがやりたくて、すごいものを作ってやろうという志さえあれば、ちゃんとしたものはできるんだという思いを持ち続けたのは正しかったと思っています。
これからも、若い人がグラッフィクデザインを志すのは嬉しい?
もちろん。これは僕の持論なんだけど、日本人はグラフィックデザインがうまいんです。江戸で浮世絵が隆盛したことでもわかるように、日本人は平面には強い民族。世界的に見ると映像では欧米の底力が強力だけど、グラフィックはけっこう簡単に日本人が№1になれるフィールドだと思う。僕が映画にグラッフィックを持ち込んでいるのは、その考えがあるからなんです。
グラフィックを持ち込んだ映像で、世界と勝負する?
そのつもりです。
まだまだチャレンジするんですね。
もちろん、勝負はこれからだと思っています。ちょっと恥ずかしいけど、ことあるごとに明言しているのは、「僕は仕事を通して、少しでも世界がよくなったらいい」と思っている。そういう思いは、これからますます強くなっていくと思います。
Profile of 信藤三雄
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1948年東京生まれ。 85年、コンテムポラリー・プロダクション設立。 松任谷由実のアルバムジャケットの制作を機に本格的にジャケットデザインを始める。 以降、ピチカート・ファイヴ、Mr. Children、MISIA、元ちとせ、GLAYなど、これまで手掛けたレコード&CDジャケット数は約900枚にも及ぶ。 98年、映画「代官山物語」を発表。 桑田佳祐「東京」では2003年度のスペースシャワーMVA BEST VIDEO OF THE YEAR を受賞した。 03年、短編映画「男女7人蕎麦物語」を発表。 05年、「ほっとけない世界のまずしさ」キャンペーン(ホワイトバンド・プロジェクト)では、映像プロデューサー、アートディレクターをつとめる。 06年夏、初の劇場長編映画「男はソレを我慢できない」を発表。 秋には坂本龍一氏と雑誌「エロコト」を創刊する。 作品集に「シーティーピーピーのデザイン」、「続シーティーピーピーのデザイン 絶頂篇」など。