やってみたら「会社の芸風」を 広げることができた
- Vol.12
- テレビ番組プロデューサー/株式会社ジッピープロダクション 取締役チーフプロデューサー 荻原伸之(Nobuyuki Ogiwara)氏
ドキュメンタリーが得意な制作会社の “芸風”を変えたのはこの人と目されている人。
ジッピープロダクションのプロフィールを。
設立は1985年。当初はドキュメンタリーを得意とする制作会社としてスタートしましたが、その後いわゆるスタジオものにも進出して、現在に至っています。
荻原さんは、その“スタジオもの”である『いつみても波瀾万丈』や『行列のできる法律相談所』を担当なさっているんですね。
レギュラー番組に関してはそうですね。あとは不定期な特番ものや、制作のチャンスを伺いつつドキュメンタリーの企画を温めていたりします。
“スタジオもの”もできるしドキュメンタリーもできるという制作会社は、あまり多くないと思うのですが。
そう思いますね。特に当社の創業期をよく知る方には、「芸風が変わったね」と言われますよ(笑)。
会社の方針転換があって、ドキュメンタリー以外の分野にも進出した?
いや、たまたまチャンスがあって、やってみたら「会社の芸風」を広げることができたということです。少なくとも、先代社長も今の社長も、ドキュメンタリー以外の分野への進出になんの抵抗も見せなかった。風土はもともと柔軟だったんですよ。
荻原さんは会社設立後3年目に入社なさっていますね。
そうです。それまでは株式会社テレテックで、放送技術の営業担当でした。そこで9年働いた後に、ジッピープロダクションに入社です。2年間はアシスタントプロデューサーとして働き、3年目にプロデューサーとしてひとり立ちした。その記念すべきデビュー作が、『いつみても波瀾万丈』。当社にとっても記念すべき“初スタジオもの”でした。
「会社の芸風」を変えた、張本人は荻原さんだった?!
もちろん、たまたま。巡り合わせですよ。あの企画では、日本テレビの某大物プロデューサーさんが、「こういうものをやるには、こういう組み合わせが面白いかも」と、バラエティ番組が得意な制作会社とドキュメンタリーが得意な当社を一緒に参加させることを考えた。一種の実験です。まったく異質な制作グループのぶつかり合いや化学反応を狙ったと思うのですが、それが見事にはまったということですね。僕は初のプロデュース作品なので、ただ必死に頑張ったというだけのことです。
でも、会社は確実に変わったのでは?
そうですね。情報があって、お遊びもあるというような番組作りは、それまでの当社にはなかったものですね。この番組がきっかけになって、作る番組の幅が広がったという気はしています。特にディレクターには得意不得意というものが明らかにあるので、彼らの選択肢の幅も広がったということの意義は大きいと思います。
成功している番組は、同時に、 作っているスタッフが楽しんでいる番組でもある。
長寿番組の『いつみても波瀾万丈』、高視聴率番組の『行列のできる法律相談所』、どちらも視聴者から高い支持を得ています。そういう、成功する番組を作る秘訣は?
それがわかると苦労はないです(笑)。そうですねえ、たとえば『行列のできる法律相談所』に関して言えば、5年前に企画されていたらどうだったろう?5年後だったら?と考えることがあります。時代にマッチした企画であるかどうかというのは、とても大きいと思う。別の考え方をしてみると、見た人が楽しくなるような番組は視聴率をとれる。それは当たり前のことなのですが、そういう番組の現場はどうか?と考えてみると、明らかな傾向はある。それは、そういう番組は、同時に作っているスタッフが楽しんでいる番組でもあるということです。私の経験則から言うと、成功している番組は明らかにスタッフの勢いが違う。大袈裟に言えば、苦しみが楽しみになっちゃってるし、会議の場も、収録現場も、怒鳴り合っている声でさえ楽しそうなんです。怒られている奴の顔さえ、楽しくてしようがないって感じなんですよ。
制作会社のプロデューサーにとって、もっとも重要な仕事は?
予算管理ですね。それにつきます。実は、レギュラー番組はある程度見えますが、特番を任されると、不確定要素の多い企画内容をいかに予算枠に合わせるかで苦労します。勘どころが難しい。
収録の現場では、裏方に徹することになる?
僕は、番組制作の“何でも屋”だと思ってます。だから、番組のためにできることなら、何でもする。手が空いていれば、弁当くばりだってしますよ(笑)。もちろん、ディレクターが気持ちよく仕事ができるように環境を整備するのも仕事だと思ってます。たとえば、収録の当日は、事前に斥侯(せっこう)に出ます。斥侯というのは、当日のタレントさんのご機嫌伺い(笑)。本人に直接とか、マネージャーさんを通じてとか、いろんな方法でタレントさんのコンディションはリサーチしますよ。そして、「Aさんは、今日はまったく問題なし」とか「Bさんは、ちょっとご機嫌斜めなので無理な注文は控えるように」とか、事前にディレクターに情報を提供する。ディレクターにとってはタレントさんに怒られることも勉強になるので、その辺ももちろん見極めて、使い分ける。もちろん、ディレクターがタレントさんを怒らせてしまったときは、後で謝りに行くのも僕の仕事です(笑)。
ディレクターの前にころがっている石ころを拾って、 邪魔なものを排除してあげる。 そして、通った後はごみくずなどを掃除してあげるのが仕事。
荻原さんはディレクター経験がありませんよね?そいういう部分は、ディレクターと付き合うにあたってネックにはならない?
アシスタントプロデューサーの2年間は、アシスタントディレクターと変わらない下働きをしていたので、ディレクターの気持ちはわかっているつもりです。ただ、僕は、演出には口を出さないことは確かです。それはディレクター経験がないからというより、演出は主観の問題だと判断しているから。それにはアシスタントプロデューサー時代に結論を出しています。「これは、正解のない世界なんだ」とね。
ディレクターの能力を引き出すことに注力するのが仕事?
そうですね。どちらかというと、僕はアドバイザーに近い。決して中心ではないけれど、俯瞰の視点からアドバイスして、方向修正などを手伝う。当社の後輩プロデューサーやアシスタントプロデューサーにはよく、「ディレクターの前にころがっている石ころを拾って、邪魔なものを排除してあげる。そして、通った後はごみくずなどを掃除してあげるのが仕事だとよ」と言っています。そういう考えは、仕事を始めた当初から変わらないですね。自分で企画を考えるというよりは、企画を立てる環境を整えてあげたり、実現のバックアップをしてあげたりすることが使命なんだと思う。壁に当たるまで、静観する。そして、壁に当たったら何かを言ってあげる。
僕にとって「お祭り騒ぎ」というのは、 「みんなで何かを作り上げる」ということと同義語。
放送技術の営業から、番組制作への転出って珍しいパターンですよね。
それだけ見ればそうですね。ただ、もっとさかのぼれば、学生時代の目標はアナウンサーだった。アナウンサー試験がうまくいかなかったので、紹介された会社を受けてみた。そして入ってみたら、放送技術の営業の面白さにはまってしまった。
どんなところが面白かったんですか?
たとえば、大きな仕事のひとつにゴルフトーナメントがありました。もちろんかかわるのは中継技術に関してなんですが、結果的にイベントの運営にもからむことになる。スケジュール調整や宿泊施設の手配もそのひとつで、今の仕事と似たところが多かったんですよ。で、学生時代、その頃、今と共通しているのは、「お祭り騒ぎ」が好きということ。僕にとって「お祭り騒ぎ」というのは、「みんなで何かを作り上げる」ということと同義語で、実は、追いかけているやりがいみたいなものはあまり変わってないんです。
現在は取締役として、会社の将来や後進の育成にも心を砕くお立場ですね。
そうですね。当社には、全役員共通の夢があります。それは、離散はしたくないということ。この世界の制作会社は、育ったスタッフが飛び出す形で離散することが多い。まあ、仲間割れですね。それだけはしたくない。会社設立からここまで20年、そういうことにならずに済んでいますが、今後もそれだけはすまいと誓っています。もちろん、力のついた人が、いい形で独立するなら喜んで送り出しますが、仲たがいはいやです。だから、そうならないよう次の世代がどこへ行けばいいのかをちゃんと示すこと、次の世代が活躍できるプラットフォームを確保することが僕たちの使命だと思っています。テレビの世界で成功できないディレクターがいるなら、映像作りで違うチャンスを掴めるよう、たとえば、インターネットやCSという新しい活躍の場への道筋を作ってあげなくちゃならないと思っています。
テレビ番組制作は、定着率が悪い世界と言われますね。
それは事実です。でも、「相談できない環境」にさえならなければ、なんとかなると思う。「実は、辞めたい気持ちがあります」って相談されるのは大歓迎なんだけど「辞めようと思います」って切り出されるのは、あまりに辛い。だから、悩みがあったら相談してもらえるような環境であることを、いつも心がけたい。「辞めたい気持ちがあります」って相談されたら、「とにかく、今の番組を最後までやってみよう」とアドバイスします。やってみて、「よかった」と言えないようだったら、僕は止めない。「よかった」と言えるようなら、絶対に頑張れるし、成功できるんです。
最後に、秘密でなかったら、個人的な夢や野望を教えてください。
ドキュメンタリーがやりたいですね。どうやら“スタジオもの”の権化のように見られているようですが(笑)、実は一番好きなのはドキュメンタリーなんです。アシスタントプロデューサー時代には、何本も手がけてます。僕のドキュメンタリーは、人への興味です。面白い人をみつけて、それをみんなに教えてあげたい。人を追いかけること、人を描くことが、テレビでできる一番面白いことだと思っています。
Profile of 荻原伸之
1958年生まれ。1980年日本大学芸術学部卒業後、株式会社テレテック入社。放送技術の営業を担当。1989年株式会社ジッピープロダクション入社。アシスタントプロデューサーを2年務め、1992年からプロデューサーを務める
【作品リスト】 1992年~ 『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系列) 1992年~ 『24時間テレビ』(日本テレビ系列) 2002年~ 『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系列) 『もうひとつの箱根駅伝』(日本テレビ系列)