カラフルな色と魅力的な柄のデザインで、もっと人の気持ちを豊かにできたら
雨の日がたのしみになる傘、心が軽やかになるスニーカーや鞄……。テキスタイルデザイナー・鈴木マサル(すずき まさる)さんは、動物や植物をモチーフに鮮やかな色と柄を組みわせたデザインで、私たちの心を動かしてきました。
オリジナルブランドOTTAPINU(オッタイピイヌ)やMarimekko(マリメッコ)などの国内外のブランドとの仕事、テキスタイルの枠を超えて、建築空間の壁面デザインや、街や道を彩るアートワークまで、さまざまなシーンで私たちに高揚感を与える鈴木さんの創作。その魅力を紐解きます。
※緊急事態宣言発令により2021年4月25日~5月9日の開催が中止となった
「鈴木マサルのテキスタイル展 色と柄を、すべての人に。」会場(Gallery AaMo)でインタビューを行いました。
グラフィカルなテキスタイルに惹かれて
大学で染織科を専攻されたそうですね。それがテキスタイルの道に入るきっかけですか?
もともと絵を描くのが好きで、高校生の頃にはイラストレーターになりたいと思っていました。大学受験で美大のグラフィック専攻を受験しましたが、ことごとく受からなくて。たまたま併願していた多摩美術大学の染織科に入りました。大学は手描きの友禅や型染めなどの伝統工芸的なことを学んだりと、すごく古典的な世界でした。
今でこそ、そうした日本の伝統的なものはすばらしいと思いますが、グラフィックデザイナーやイラストレーターに憧れていた当時は正直、あまり興味がもてませんでした。
大学時代には、現在の鈴木さんのテキスタイルデザインに影響を与えるような出会いもあったそうですね。
大学1年生のときに、課題の参考図書を探して図書館に行ったら、偶然、古い雑誌にマリメッコのテキスタイルの写真を見つけたんです。白黒の写真でしたが、すごく大胆でグラフィカルなデザインのテキスタイルにとても惹かれました。その後、大学3年生のときに授業でテキスタイルデザイナーの粟辻博(あわつじ ひろし)先生に出会ったことは大きかったです。
粟辻先生は北欧のテキスタイルに影響を受けていて、グラフィカルな色や柄をテキスタイルに展開された方で、ぼくはすぐに先生の大胆で美しいデザイン、テキスタイルの世界に引き込まれました。就活する時期に毎日のように先生につきまとってお願いし、ようやく入れてもらったんです。でも、ほんとうにダメダメな所員で、毎日のように怒られていましたね。単純に実力不足だったと思います。
実は、学生の頃色は苦手でした。赤、青、黄色などの原色しか使えなくて、粟辻事務所に入ると先輩たちがベージュの色について「もうちょっと赤いの」とか「もうちょっと青の」とか話していても、ぼくには全部同じ色にしかに見えなかった。「これはまずい」なと、色をすごく意識して見るようになりました。そこから色に目覚めていって、さまざまな色を使うのがたのしくなっていきました。
色だけでなく粟辻先生の事務所で学んだことは、ぼくのすべてです。粟辻先生はほんとうに厳しかったですが、人間的にとても尊敬できる方でした。技術だけでなく、デザイナーとしてどう生きていくのかという姿勢も学ばせてもらいました。
気持ちにすっと入っていくデザインを
その後、独立されたのですね。
粟辻先生の事務所には約4年間いましたが、1995年に先生が亡くなられた後は、どこかに就職することも考えずに、住んでいたところで仕事をスタートさせて。そこから約10年間は、企業や商社と契約してカーテンの生地などのインテリアファブリックをつくっていました。
その9割が白やベージュ、グレーといった日本の住環境に合う無地のもので、それはそれで単純にものづくりとしてたのしい仕事だったし、充実していましたね。ただ、その一方で、もともと自分が強い影響を受けた北欧の色鮮やかなテキスタイルが、もっと日本の住環境にあってもいいんじゃないか、という思いが強くなっていったんです。
そして2004年に、オリジナルブランドOTTAIPNU(オッタイピイヌ)*1をはじめられました。最初につくったのはどんな生地ですか?
カラフルなプリント生地です。でも、発表しても手応えはまったくなくて……。最初の頃は、既存の仕事との割合が「99:1」というふうで、ぜんぜん売れませんでした。ただ、とにかくやり続けるのが重要というか、意地でも続けていればどうにかなると思ってやっていました。それまでの仕事をしながら、そこにプラスアルファで自身のブランドも展開していたので大変忙しかったですが、いつかその割合が半々になったらいいなと思って続けてきました。
鈴木さんの代表作であるOTTAIPNUの傘はほんとうにきれいで雨の日にも、ぱあっと気持ちが明るくなりますね。
色や柄があると、単純にたのしくなりますよね。雨を遮るという用途において、ビニール傘は機能的ですし、すばらしいプロダクトです。
でも、ビニール傘をさして何か感情面に変化が起こることはないと思うのです。OTTAIPNUの傘をさして、もしかしたら派手でちょっとはずかしいと思う人もいるかもしれませんが、それでも気持ちが変わっていく。
色柄がなくても機能的に満たされますし、デザインは余裕の産物みたいなところもありますが、そうしたものがないと、実は人ってうまく生きていけない気がするんです。
きれいとか、たのしいという気持ちは日々を豊かにしてくれますよね。
人はしんどいときにおいしいものを食べたり、女性だったらきれいな色のリップを買ったりします。そういうのってやっぱり必要だなと思います。OTTAIPNUをはじめたときも、「会社で何かいやなことがあったときに、帰りに衝動買いしてしまうようなものをつくりたい」と思っていました。目に入った瞬間に人の気持ちにすっと入っていくような、色がきれいで魅力的な柄のテキスタイルをつくりたい。その思いは今も変わりません。
デザインをするときは、色と柄のどちらを先に決めるのですか?
ケース・バイ・ケースです。ただ、テキスタイルをデザインするときはかならず配色違いをつくるので、極端に言えばどの色にするかはそこまで重要ではありません。緑にするか紫にするかは、正直どちらでもいいのです。ぼくはむしろ、色のもつ役割のほうを重視していて、雨が降ってあまり外に出たくないというときに気持ちが晴れるような傘をという場合は、すごくカラフルなものにしますし、逆にすごくリラックスしたいシーンで使うものには、あまり派手な色はつけません。
デザインでもっと気持ちにうるおいを
鈴木さんのお仕事は、テキスタイルの枠を超えて家具や建物の壁面装飾など、建築の領域にまでおよんでいます。
ここ10年くらいでさまざまな技術が進歩して、表現の場が広がりました。テキスタイルは好きですけれど、ぼくの表現は色とか柄が軸にあるので、テキスタイルに限らずさまざまなもののデザインを通して、人の生活環境にどんどん入っていけるのはすごくたのしいです。
建築空間や街などもテキスタイルと同様に、ある意味で「人を包む」と言えるかもしれないですね。
テキスタイルも、プロダクトや建築空間のデザインも、どちらももののいちばん外側にあるデザインです。粟辻先生はよく「サーフェスデザイン(表層のデザイン)」とおっしゃっていました。あるデザイナーは手触りや質感を追求するかもしれませんが、ぼくの場合、それは色や柄です。これまで傘や靴下、家具なども手がけてきましたが、アイテムの形に関してはシンプルなものにして、そこに色や柄を入れることで、文化を変えたいと思ってきました。
スケッチなどの手描きと、デジタルでデザインをつくりあげるそうですね。アナログとデジタルをどのように捉えていますか?
今も手で描くのは好きですし、4〜5年前まではそれが絶対だと思っていました。でも、次第に手で描くことがすべてではないと思うようになったのです。以前、手で描いたデザインのプロダクトがある売り場に並んだときに、何かがマッチしていないと思ったことがあって。クオリティの「いい」「悪い」ではなく何かうまくフィットしないと感じたことがありました。
アナログ表現がなくなるなんて絶対にないと思いますが、デジタルとの比率は変わっていく。今、この時代にあった表現の感覚というのは、どんどん変わっていくんじゃないでしょうか。
時代によって、表現の仕方は変わっても、鈴木さんのなかで変わらないことはありますか?
やっぱり「人の気持ちに入っていけるかどうか」ですね。そこは変わりません。そのうえで、人の気持ちや趣味嗜好は日々、変わっていくと思うので、デジタルな表現がすっと入っていけばそれはそれでいいわけです。ただ、人とテキスタイルとの関係性というのは、たとえば木や金属などとはまったく違う次元にあるものだと思います。
人は「おぎゃあ」と生まれてすぐにテキスタイルに包まれますね。そして、今この瞬間も包まれているわけです。この先、世の中にある多くのものはデジタル化されていくと思いますが、今のところ100年後も人はテキスタイルを着ているだろうし、テキスタイルに包まれて眠っているだろうと思います。
肌にずっと触れているものだから、やわらかい心地よいものであって欲しいというところは変わらない気がするし、そこにぼくの好きな色や柄をのせることは、やはりとてもエキサイティングでおもしろいです。
これからもご活躍の場が広がりそうですね。
はい。この先も技術はどんどん上がっていくだろうから、とてもたのしみです。ぼくはアナログなものも大好きですが、デジタルの進歩で実際にぼくの関わる領域がどんどん広がっていますし、この先ももっと広げてくれると思っています。
たとえば、建設現場で使用される仮囲いなどにたのしい色や柄が施されていたら、もっといいんじゃないかと思ったり。日本人は機能を満たすなど実質的なところを求めがちで、それも重要だけれど、そこに気持ちのうるおいのような部分をもっと増やしていけたらいいと思います。
最後に、鈴木さんのお仕事のモットーを教えてください。
自分の労力ですむ範囲ならば、ちょっとでもよくなると思うことは、面倒くさがらずにやらないといけないと思っています。あまり気付かれないようなところでも、手を抜かないようにすることは重要ですね。
若いクリエイターへのアドバイスをいただけますか。
自分が「こういうものをやりたい」と思ってやっているのだろうから、最初のその思いを忘れずに続けてほしいですね。今の若い人たちを見ていると、とても誠実で賢くてぼくらが若い頃よりもよっぽど人間性が高いなと思います。
一方で、先まで考えすぎて、すごく慎重な印象もあります。そればかりだと、何もできなくなってしまいますね。
強い思いがあるのなら、ある程度のリスクがあっても飛び込んでみる必要はあると思います。そうじゃないと、仕事はなかなかたのしくならないんじゃないでしょうか。
ぼくは計画性がなくて思いつきで行動するタイプだけれど、続けていればきっと誰かが見ていていくれるはずだと思ってきました。続けてきたことを誰かに見つけてもらい、助けられてここまでやってこられたと思っています。
取材日:2021年4月26日 ライター:天田 泉 撮影:小泉 真治
オフィシャルWebサイト:http://masarusuzuki.com/