ビールがつなぐ幸せの輪! ヤッホーブルーイング・井手直行氏がファンと共に実現する新たな世界観
『よなよなエール』をはじめ、個性豊かなネーミングのクラフトビールを次々と世に送り出す株式会社ヤッホーブルーイング。8年続いた赤字から一転V字回復を果たし、2021年度には19期連続増収を達成するなど、業界内外から注目を集めています。 まさに快進撃ともいえる成長を支えているのは、熱量の高いファンの存在です。この10年間でファンイベントの開催数は約1000回にのぼり、コロナ禍で開催されたオンラインイベントは1万人が視聴しました。ヤッホーブルーイングはいかにして「ファンを愛し、ファンに愛されるクラフトビールメーカー」になったのか? 同社代表取締役社長の井手直行(いで なおゆき)さんに伺いました。
絶好調から一転、どん底の時代へ
クラフトビール業界に入ったきっかけを教えてください。
オーディオ機器メーカーでエンジニアとして5年勤めた後、環境アセスメントの会社に転職しましたが、長く続きませんでした。「これから何をしよう」なんて漠然と考えながら、バイクでツーリングの旅に出たんです。数ヵ月間、日本中を回りました。
私は自然に興味があったので「自然が豊かな地域で働こう」と、半ば思いつきで軽井沢に移住を決めました。そこでたまたま見つけた仕事が、広告代理店の営業です。ただ、それも長続きしなくて。
しばらくフラフラしているときに、星野リゾート代表であり、ヤッホーブルーイングの創業社長でもある星野佳路に、「ビール事業を立ち上げるから一緒にやってみないか」と声をかけてもらったんです。
なぜ井手社長に声がかかったのでしょうか。
星野リゾートは私が勤めていた広告代理店の取引先で、星野とはたまたま面識がありました。星野がビール事業を立ち上げる際、「そういえば、元気が取り柄で根性だけはありそうなヤツがいたな」と誘ってくれたんだと思います。
仕事がすごく良くできたとか、特別な技術を持っていたわけではありません。本当に拾ってもらったような形ですね(笑)。結局、それがご縁となって、ヤッホーブルーイングの創業メンバーになりました。
クラフトビール事業は初経験だったのですね?
もちろんそうです。営業職で入った私を含め、製造メンバーにもビールの醸造経験者は誰もいませんでした。ビール醸造の中核となるブルワー(醸造士)も経験がないので、大学院で微生物の研究をしていたスタッフを採用して、アメリカ留学でビール醸造について学んでもらいました。ビールのレシピを考えるにしても、お手本も無ければ、教えてくれる人もいない。創業当時は、何もかも一から我流でつくっていきました。
そうして試行錯誤を重ね、1997年にヤッホーブルーイングの全国ブランド第一号として誕生したのが『よなよなエール』です。
当時、世の中はちょうど地ビールブームの真っ盛り。とにかくどんどん注文が入って、つくった瞬間に在庫がなくなりました。しばらくはつくる量よりも注文のほうが遥かに多く、受注を制限したほどです。ところが、1999年をピークに売上が下がり続けました。
売上が下がってしまったのはなぜでしょうか。
地ビールブームが終わってしまったんです。ブームには必ず終わりが来るもので、私たちだけでなく業界全体の売上がみるみる下がっていきました。一時は300社近くあった地ビール会社のうち、100社ほどが倒産したり事業撤退したり。もう本当に冬の時期でしたね。
そのころは、いくら営業活動をしても、まったくダメで。社員は辞めていき、取引先も徐々に減っていく。何をやってもうまくいきませんでした。そんな状態が何年も続いたんです。
突破口を開いたのはインターネット通販
行き詰まった状況をどのように打開したのですか?
営業の私にできる手段が、たった一つだけ残っていたんです。それがインターネット通販です。
それまで、パソコンやインターネットには興味がなく、インターネット通販で買物もしたことがない。そんな自分が「これが最後だ。これでダメだったら、もう私にできることはない」と背水の陣を敷き、インターネット通販に臨んだんです。
当時、楽天市場に出店はしていましたが、開店休業状態でした。そんな店舗の担当に素人の私がなったわけで、まず何から手を付けていいのかもわかりません。そこで、楽天市場のアドバイザーの方がすすめてくれた楽天大学への入学を決めました。
講義のたびに、軽井沢から六本木ヒルズにあった楽天市場のオフィスに通って。学費だって、会社のお金を使うわけですよ、赤字の会社なのに。「絶対にすぐ取り戻すから」とスタッフみんなに宣言して、メルマガの書き方やトップページの作り方、キャッチコピーの作り方など、楽天大学で学んだことを片っ端から実践していきました。
結果はすぐに出たのでしょうか。
結果的には、インターネット通販が突破口となって売上が回復していきました。が、すぐに結果が出たわけではありません。製品は『よなよなエール』しかなく、メーカーなので安売りもできない。新製品も出ていないわけだから、あまりやることがないんですよ(笑)。
ホームページ上で「『よなよなエール』にまつわるオモシロ写真を募集します!」なんていうくだらない企画を考えては、それをネタにページをつくったり、メルマガを書いたり。そのうちに面白がってくれるお客さまが増え、次第に注文にもつながっていきました。
今思えば、そういうオモシロ企画を続けることで、ファンの方々とのコミュニケーションを大切にするようになったのではないかと思います。
ファンの方とのコミュニケーションで、今でも印象に残っていることはありますか?
最初のうちはメルマガの書き方もわからず、「夏は暑いので『よなよなエール』はいかがですか?」と無難な内容を書いていましたが、一向に売れないんですよ。
そこで人気ショップのメルマガを読んでみたんです。衝撃が走りましたね。店長の私生活など、個人ブログのような話が書いてあるんです。それが面白くて。その後に少し製品のことが書いてあると、興味が湧いてついつい買ってしまうんです。
それで「こういうことか!」と気づいて、人気ショップのメルマガをまねて書きはじめました。すると、今まで無反応だったお客さまから、好意的なコメントが寄せられるようになって。調子に乗って、ますます自分のことを書くようにしたら、さらに反応が出て、注文も増えたんです。
でも同時に「あなたの話なんて聞きたくない」とか「調子に乗っていて気に入らない」といった、お叱りのメールも増えました。
私は一件一件、お詫びの返信をして、なぜメルマガに自分の話を書くようになったのかを真剣に説明しました。すると「気持ちはわかった。頑張れよ」というような返信を皆さまからいただきました。ありがたかったですね。
すべてのクレームに返信を!? なぜそこまでされたのですか?
どうしても気持ちをお伝えしたかったんです。インターネット通販をする前は、酒販店の店主やスーパーの酒類担当者が主なお客さまでした。一方、インターネット通販は、一般消費者の方々がお客さまです。注文時に直接お礼のメールをいただくこともあります。
「久しぶりに『よなよなエール』を飲んだらやっぱりうまいな、ありがとう!」なんていう声を聞くと、「こういうファンの方がまだわずかでも残っているから会社が存続できるんだ」と、熱い思いがこみ上げてくるんですよ。苦しい時代が何年も続いたので。
そんなファンの方々が、私の思いつきから書いたつまらないメルマガのせいでビールを嫌いになったら…そう考えると、本当に申し訳ない。スタッフにも申し訳ない。だから、心から謝って説明をしました。お客さまと真剣にコミュニケーションすることの大事さを教えてくれた出来事ですね。
ビールを中心に広がり続ける“幸せの輪”
ファンとの絆づくりに向けては、どういう活動をされたのでしょうか。
2010年にはファンイベントの開催に取り組みました。初開催は有志のメンバー10人ほどで手作りしたイベントでしたが、大変好評だったんです。
東京にあるパブを貸し切って開催したところ、イベントのチケット代を大幅に上回る旅費を出してまで、全国からファンの方々が集まってくださいました。北海道からいらっしゃった方は会社を休んでまで来てくださってね。3時間ほどのイベントは、もう熱狂ですよ。終了後も、初めて会ったファンの方々がグループを作り「二次会に行こうよ!」と誘ってくれて。
後片付けを終えて帰りの新幹線で、頭の中が真っ白になりながらスタッフに言った言葉をいまだに覚えています。「今日は人生最良の日だ!」ってね。全国からイベントに来て喜んでくれる熱量の高いファンの方がいて、社員もその熱を感じて奮い立っている。「ヤッホーブルーイングが生き残っていく道はこれしかない」と思いました。
私たちには、熱量の高いファンの方々を一人ずつ増やしていくことしかできないし、それが一番ヤッホーブルーイングらしいやり方なのではないかと思ったんです。
初開催から早11年。今ではオンラインで1万人の方々が集まるイベントにまで成長しました。ファンの方々に10年、20年と長く愛されるビールメーカーでありたいという志は、今でもまったくブレることはありません。
どうすればそこまでファンの心をつかめるのですか?
実は、社内で取り組んでいるチームビルディングとファンとの絆づくりの取り組みには、共通点があるんです。ヤッホーブルーイングでは、社員同士ニックネームで呼び合っています。イベントでは同じように、ファンの方も社員も皆、ニックネームで呼び合ってもらいます。そうすると、一気に心の距離が縮まるんですよね。
また、チーム対抗クイズ大会などを企画すると、参加者全員が次第に打ち解けて盛り上がっていく。共同作業をしながら、楽しく一致団結できる仕掛けを作るんです。イベントでは毎回、そういう工夫を凝らすようにしています。
今では、メーカーとファンの垣根を越えて、同じビール好きの仲間として、「よりよい社会を作っていこう」というチームになっている感覚ですね。さらに、取引先も巻き込んで、「ビールを中心にさまざまな“いいこと”を提供していこう」という雰囲気も生まれており、その輪の広がりをますます実感しています。
日本中どこでもクラフトビールが買えるようにしたい
御社では「ビールに味を!人生に幸せを!」というミッションを掲げています。どれくらい達成できていると感じていますか?
現在の達成度としては、まだ1%か2%ほどですね。ようやく少し踏み出せたところです。まず、手軽にクラフトビールが飲める状況を作ることが必要です。ヤッホーブルーイングのビールに限らず、どのコンビニに行っても、クラフトビールが最低1本は置いてあるようにしたい。
まだまだ道のりは長いですね。
そのために、現在どんな施策に注力されているか教えてください。
製品開発に力を入れています。
例えば、2021年12月に新製品「山の上ニューイ」を長野県と山梨県のセブン‐イレブンで先行発売しました。ヤッホーブルーイングの地元でもある長野県と山梨県で、「県民が誇る文化のひとつにクラフトビールを加えたい」という思いから開発しました。流通缶ビールでは日本初となるエッセンシャルホッピング(水蒸気蒸留)製法を用いるなど、味にこだわっているのはもちろん、斬新なネーミングとパッケージのビールです。ぜひ注目していただきたいですね。
ネーミングといえば、御社ではこれまでも「水曜日のネコ」や「前略 好みなんて聞いてないぜSORRY」といった、とても印象に残る製品名のビールを発売されてきました。クリエイティブは社内で行っているのですか?
はい。ネーミングだけでなく、デザインのコンセプトやモチーフを決めたり、クリエイティブに関する業務はほぼすべて社内で行っています。最初は私一人でやっていましたが、今は企画ごとプロジェクトチームを組んで進めるようにしています。
印象的なネーミングにするためには、事前にコンセプトを明確にしておくことが大切です。『水曜日のネコ』や『前略 好みなんて聞いてないぜSORRY』は、コンセプトに関連したワードから生まれた製品名なんですよ。
製品名を決めるときは、千本ノックのように皆で何百個もアイデアを出し、時間をかけてブレストしながら作り出しています。その作業を繰り返すうちに、次第に切れ味が良くなってきたという感じですね。
『よなよなエール』で目指すのはノーベル平和賞!
これからチーム一丸となって、どんなことにチャンレンジしたいとお考えでしょうか。
ヤッホーブルーイングは「ビールを中心としたエンターテイメント事業」だと考えています。ただビールを飲んで「爽快でおいしいね」というだけでなく、缶のデザインやネーミング、プロモーションも含めて、皆さまがあっと驚くようなエンターテイメントを提供し続けたいんです。そして、ビールを通じてさまざまな世界観を感じていただき、たくさんの方々に「ビールは楽しいものなんだ!」と体感してほしいですね。
私たちの挑戦はまだ始まったばかり。日本にクラフトビールを根付かせるには、まだまだたくさんのハードルがあります。それを楽しくクリアしていきたいですね。
日本にクラフトビール文化が根付いた先には、どんな世界を実現したいですか?
実は、『よなよなエール』でノーベル平和賞を受賞したいと思っているんです。イベントでは、見ず知らずの人たちが意気投合して、和気あいあいと幸せな時間を過ごしています。5000人が集まっても、泥酔した人が争いごとを起こすことはありません。ビールを飲んで楽しいコンテンツを体感しているときには、皆が笑顔でいられて、争いごともなく、初めて会った人たちが繋がり、幸せの輪が広がります。
「日本にクラフトビールを根付かせることはもうノーベル平和賞を目指すのと同じことだな」なんて、言い始めて数年。笑われることも多かったけど、最近はたまに「あなた達だったらできそうですね」と言ってもらえるようになってきたんですよ(笑)。
ただ、日本のビール市場において、クラフトビールは1〜2%ほどのシェアしかありません。つまり、まだ飲んだことのない方や、クラフトビールの存在すら知らない方も多いのが実情です。『よなよなエール』は日本中でもっとも手軽に買えるクラフトビールだと思うので、ぜひ一度飲んで、クラフトビールがもたらす幸せな瞬間を体感していただきたいですね!
株式会社ヤッホーブルーイング:https://yohobrewing.com/