路上花屋から、エリザベス女王も賞賛する庭園デザイナーへの転身!「日本中をエデンみたいな庭園王国にしていきたい」

Vol.198
石原和幸デザイン研究所 代表取締役・造園家・庭園デザイナー
Kazuyuki Ishihara
石原 和幸

英国チェルシーフラワーショーで2006年から2019年までの13年間で11回の受賞歴を持ち、国内外1万カ所以上の庭園づくりや緑化を総合プロデュースしてきた庭園デザイナーの石原和幸(いしはらかずゆき)さん。
日本の生け花文化が伝えてきた細やかな季節感をベースに、魅力的な庭園を生み出す手腕には英国のエリザベス女王も「緑の魔術師」とたたえるほど。
長崎出身で、路上での花の販売などアイデア満載で切り開いてきたビジネス感覚の鋭敏さや、大水害被害・バブル崩壊での借金などの試練を乗り越えてきたたくましさも印象的で、波乱万丈の半生から導き出された「好きなことを仕事にしなさい」というモットーはクリエイターへの熱いエールに聴こえた。

3本の枝で空間を作る生け花に踊った心
街中に小さな花屋出店もバブル崩壊で借金8億

最初はレーサーを目指していたそうですね。

家の畑で耕運機を乗り回していたら、モトクロスに誘われ、15歳からレースを始めました。大学ではレースと勉強と新聞配達の3つを並列させていましたが、20歳で近眼になったためモトクロスは断念しました。そのころは自分が本当に人生をかける仕事というのがまだ分からなくて迷っていました。父親が牛を飼っていた牧草地に花を植え始めたので、それを手伝いたいと思い、花を勉強しようと(生け花の)池坊に入門したんです。これは生涯をかけられると感じ、22歳の時に花で生きていくと決めました。

生け花はたった3本の枝で空間を作ることができる。それは僕の心を躍らせました。その辺に転がっている花を、生けたらまったく別世界ができる。絵を描いている感じ。植物が絵の具みたいだと思いました。マツダ(マツダ株式会社)に就職しましたが、花を贈るとか飾るとかが活発になってきた時期でもあり、1年だけ働かせていただいて。すぐに花の業界に入ろうと決めていました。

素材はシンプルなのにこれほどの世界をつくりだせると?

ええ、生け花を習う前は、季節と言えば春夏秋冬だと思っていましたが、実は季節は365日分あることを知ったんです。桜の花が咲いて、3分咲き、5分咲き、満開になって、風が吹いて花吹雪になる。1日の内でも朝昼晩で違います。季節ってすごいなと思いました。

現在の庭園デザインのお仕事も含めて、生け花は石原さんのクリエイティブの中心にあるものですか?

はい。365日、「今日のこの季節を生ける」ことです。生け花はそういうことを400年も前からやっていたんです。その考え方が勉強になりました。まさに原点ですね。

マツダを退社後は、どうされたのですか?

近所の路上の花屋さんに弟子入りしました。そこで学んだことは自分が商品なんだということ。社長はお客さんとの会話の進め方や路上での販売のしかたが巧いんです。話術というより、道で挨拶したりお手伝いしたりのお付き合い。その上、お客さんごとにどんなことを話し掛けるのかとか、それぞれのお客さんが何を欲しがっているのかを見抜く目などを勉強しました。

相手の気持ちにどう寄り添うかなんですね。

そうですね。自分そのものが商品になるということは、その時の自分のすべてで、相手の方をどう喜ばせるかということです。

やっと花屋さんのスタートラインに立ちました。

23歳ですね。1年で独立した後、家の牛小屋を改造して、花は畑に温室を作って手作りで育て、24歳で自分の花屋をオープンしました。商売はうまく行き始めていましたが、店をオープンしてすぐに1982年の長崎大水害で畑は流されてしまいました。

「すべて終わった」と思いましたが、花の修業をし直そうと思い、夜の花屋、昼の花屋といろいろなところでアルバイトをしながら、2度目の独立を目指しました。5年間続けましたが、結婚したこともあって、29歳でもう一度屋根のある花屋を始めました。自動販売機がいっぱい置いてあるところで少しだけ屋根やシャッターを付けて、ビルの谷間に小さな花屋をオープンしたんです。奥行きが1m20、30cm。幅が3mぐらいの小さな花屋です。

うまく行きましたか?

めちゃくちゃ売れました。今度は市内の自動販売機をどんどん花屋に変えていって、テナントも借りました。2年か3年で30軒に増やして、最高では80軒ほど。長崎市の花の消費がなんと日本一になったんですよ。

出店の引き合いも?

福岡や東京などいろいろなところに出しました。それで調子に乗って中国とかベトナムでバラ園も計画していましたし、商社からのお誘いもあって東京で合弁会社をつくりましたが、そこでバブル経済が崩壊して、突然花が売れなくなり、8億円の借金ができました。
その時考えたのは父親のことです。がんで亡くなった父親は生涯、働きづめの人でしたが、最期は「楽しかった」と言って死んでいったんですよ。かっこいいなと思いました。僕は最初、好きな花の仕事を家内と二人で一生懸命やっていましたが、途中から花屋を出すことが仕事になってしまった。でもそうじゃない。原点である、お客さんをどう喜ばせるかということを忘れていたんです。

8億円の借金は大きいですね。

でも、その8億円があったから今があります。私はいつのまにか、世の中の動向が変わっていたことに気付けていなかったんです。家に切り花も飾るけど、緑も飾る。商業施設や旅館などでは景色の良いところにお客さんは行きますし、庭のある家が売れたりするようになっていたんです。

庭園はひとつのアート、定義を変えたい
日本が世界に勝てるのは庭園文化

庭園デザインに注力されたきっかけは?

庭づくりの注文を初めていただいたときに、本当はやったことがなかったんですけど「得意ですよ」と言ってやらせてもらったら、ほめられたんです。それで花って別に切り花だけじゃなくて、庭という仕事があると気付きました。

花だったら3,000円とか5,000円ですけど、庭だったら10万円とか100万円、何百万という単価になる。これだと思いましたね。
自分で仕入れに行って値段を付けて庭をつくるという庭づくりの工程の中で直接お客さんの声を聴くと世の中の流れが分かるんですよ。それが、切り花から庭づくりに変わる最大のターニングポイントです。

8億円の借金を返す財源としての庭づくり、これは気合が入ります。
後ろは断崖絶壁で、前は光り輝く未来みたいな。

そこで次の一手が見つかったというのは非常に良かったと思います。
大きなウェーブを自分の中で起こすには、やはり小さくてもいいから成功体験と、リスクを自分でどうとるかという2つが大切です。

庭園に本格的に進出し、その後、国際ガーデニングショーの最高峰である「英国チェルシーフラワーショー」で2006年から2019年までの13年間で11回も受賞されました。これだけ評価をいただいた理由はどういうところにあると思いますか?

自分では「評価をいただいている」とは思っていなくて、「石原の庭」をまだ知られていないと思っています。また「石原さんの庭は、和ですか。洋ですか」とよく聞かれますが、私の庭は和でも洋でもないと答えます。私が造る庭はひとつのアート。庭園の定義を変えたいと思っています。例えば(洋を感じさせる)薔薇のアーチに(和の)灯篭なんてかっこいいですよね。ゴッホやモネの絵と言ったらみなさんすぐイメージできますが、それと同じように「これは石原さんの庭やなあ」と世界中の方々から言われるようなアーティストになりたいんです。

エリザベス女王からは「緑の魔術師」という評価をいただいたそうですが。

私にとってそれはもう過去のことですが、大英帝国のトップの方から言われたということは事実ですから、嬉しいですし、武器として使います。「緑の魔術師」という評価プラス実績で勝負していけていますからね。

花や庭園という舞台で世界と勝負していくために必要なことは何ですか?

もっともっと刺激的な、緑っていいな、花っていいなっていうようなものをクリエイトしていくことです。生の植物はこんなに素敵なんだということを感じてもらいたいですね。その延長線上として、自然や家族を大事にすることとつながってくるのかなと思います。それに、今のお客さんのニーズにシフトするには、自分の庭を売るんじゃなくて、お客さんのためにどういう庭をつくったらいいかを考えることが大事です。灯篭を置いて滝を作ったとしたらお金もかかりますし、お客さんにとっては負担でしかない。道楽であっても、それを見たご家族からお客様が「ああきれい、いいね」と言ってもらえるようにしないといけないと思います。

ニーズは、お客さんごとに違うと?

100%違います。結婚して住宅ローンを払っている夫婦で、庭に花をいっぱい植えたところでメンテナンスができない。負担にしかならない。であれば例えば1本だけでもみかんがなって食べられる木があったらいいよね。その木の前で写真を撮ると思い出になるよね。そういうことを提案すると。お客さまも「だよね」ってなるんです。こうしたらその人たちがハッピーになるんじゃないかということを提案するんです。

表面的にただ絵を描くというだけではなく、さらに奥の方にあるものをつかんでこなければいけないと?

デザイナーは最初からそれをつかんで提案しないといけません。

日本人のセンスは庭園デザインに向いていますか?

日本が世界に勝てるのは庭園文化だと思います。江戸時代、庭師が一番多い国は日本でした。それに日本の文化、お茶とか生け花の根底にある日本人の人を思う心やおもてなしの心は素晴らしい。日本人はみんな優しいし、季節を大事にする、それは世界に誇れると思います。
私が小学校の時は、女の子の将来の夢で「花屋さんになりたい」はベスト3に入っていましたが今は違います。ゲーマーになりたいという夢を抱くのもいいのですが、花屋になりたいという人を増やしていきたい。そのために、緑で稼げるんだという会社にしていきたいですね。
まだまだ、とんでもない庭をつくったり、みんなをびっくりさせたりしたいです。花によって人が遊園地に来るとか。CO2が削減できるとか、これ以上ないいい仕事なんじゃないかなと思います。日本が北海道、沖縄から石垣まで旧約聖書のエデンみたいな庭園王国になったら、世界中の人が日本に来たいと思いますよ。その時のためにも自分が庭師として世界に誇れる庭をつくり続けていきたいと思っています。

三原庭園をガーデンの聖地にしたい
お客さんの反応が擬音なら成功

今後の夢はありますか?

今、故郷の長崎市に斜面地も活用し、和風・洋風庭園やカフェなども配して私の世界観を表現した三原庭園をつくっています。サグラダファミリアを超えるような人気の場所にしたいですね。

ガーデナーの育成面にもつながっていますか?

育成と言うと大げさですが、世界中から学びたい人を受け入れて、ガーデンの聖地にしていけたらいいなと思っています。自分の得意分野がありながらチームとしてもやっていける、そんな人たちとこれからも一緒にやっていきたいですね。

教えるということではなく?

自分の感性や技術はすべて教えますが、私自身もまた向上、進化していかないと。私はみんなといっしょのスピードで次を目指していますから。皆さんに注目されればされるほど、自分のギアを上げておかないと。

若いクリエイターに対して何かアドバイスの言葉はありますか?

まず好きになること。仕事でやっていくなら、自分でわくわくしなきゃ。好きじゃないけど儲かるから勉強しようでは人を感動させられない。自分がわくわくして、できた作品にも自分がわくわくできれば、人に見せられるし、自分に自信があるからプレゼン力も増しますよね。
まだ世の中に出ていないクリエイティブな仕事もあると思います。例えば爪楊枝を極めてみるとか、ニッチなところで世界を相手にするのがいいですね。
他業種でもいいからいろいろなものに触れることも大切。人との出会いで気付くことも多いです。普通の主婦の方がつくった庭でもこんなものがあるのかと学ぶこともある。それは常にハングリーでいろいろなことを探しているから、ちょっとしたことにドキッとするんです。

お仕事をする上で忘れてはならないことは?

生き残るということが、必要です。そのためにはお客さんに寄り添わないといけない。お客さんにとってプラスになることをどう提案できるかです。
私はお客さんの反応が擬音になった時にクリエイターは成功なんじゃないかと思っていまして、単に「きれいでした」では最悪で、「あれ、なんなん?」って驚いてもらわないと。10億であろうが、1,000円であろうが、払ったお金に対してのお客さんの反応が重要です。それはすべてのクリエイターに通じることではないでしょうか。

取材日:2022年3月23日 ライター:阪 清和 スチール:橋本 直貴 ムービー撮影:村上 光廣 ムービー編集:遠藤 究

 

プロフィール
石原和幸デザイン研究所 代表取締役・造園家・庭園デザイナー
石原 和幸
1958年、長崎県生まれ。22歳で生け花の「池坊」に入門して花を学び、花の路上販売や店舗販売を成功させて注目される。庭づくりにも目ざめ、2006年に国際ガーデニングショーの最高峰である「英国チェルシーフラワーショー」への出品を始め、2019年までに11回の金賞を受賞。特に2016年の大会では、最高賞のプレジデント賞を受賞している。
石原デザイン研究所URL:https://www.kaza-hana.jp/

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP